(前回から読む)
清野:前回、今の北朝鮮危機は、バラク・オバマ大統領時代による「戦略的忍耐」という無策が大きな原因であることをうかがいました。ところで、手嶋さんは、オバマさんのことは昔からご存じだったんですか。
手嶋:彼がまだイリノイ州議会の上院議員だったころから知っています。2004年の大統領選挙の民主党大会では、そのオバマにスピーチの機会が与えられました。
まだ全米では無名の存在でしたが、民主党陣営では早くも「希望の星」と見られていて、噂の「希望の星」は、一体どんな青年政治家なのだろうと品定めに行ってみたんです。民主党大会では大物が次々に壇上に上がるのですが、オバマはたった一人でスピーチの練習をしていたのが印象的でした。
清野:オバマさんをご覧になった時、彼は「来る」と思いました?
手嶋:えもいわれぬオーラを放っていましたね。その後、彼はイリノイ州選出の上院議員となりました。米国議会には議員会館と議事堂を結ぶ、トロッコのような議員とスタッフ、記者専用の乗り物があるのですが、たまたま二人だけで乗り合わせたことがあります。
「大会でスピーチの練習風景を見ていました」と話したところ、「党の大立者はみな立派なスピーチライターがいたのだけれど、自分は一人で草稿を用意しなければいけなかったんだ」と思い出話をしてくれました。
清野:好感をかもしますねえ。手嶋さんは、トランプさんとはお会いになったことはありますか。
手嶋:いいえ、トランプ・カジノには行ったことがありますが(笑)。
ブッシュ親子は、どちらも「とてもいい人」でした
清野:ブッシュ親子はどうですか。
手嶋:この二人は、ホワイトハウスで直接担当していましたから、その素顔はよく知っています。仕事ですから、ブッシュ大統領には、親子ともインタビューや、サシで質問をしたことはありますよ。
清野:イラク戦争に突き進んだブッシュ(子)大統領はという人は、どんな方でしたか?
手嶋:日本での世評は散々なようですが、個人としては、とても親切ないい人でしたよ。だからといって、僕らは批判を控えたりはしませんでしたが。
ブッシュ大統領に単独インタビューした時ですが、日本時間の朝7時のニュースの直前の時間帯で、大統領が遅れてきたら大変だ、と心配しました。補佐官にそう伝えると「うちのボスはクリントンとは違って、約束の時間は必ず守る」との返事で、実際にその通りでした。
清野:へえ。
手嶋:その数日前に、ブッシュ大統領はBBCのインタビューを受けたのですが、意地の悪い質問にご立腹でした。BBCのインタビュアーは、見識のあるところを視聴者にアピールする気持ちもあって、得意の二重否定の語法でブッシュを攻め立てていたのです。それに比べて、私の質問は、聞きたい内容を引き出せればいいのですからストレート。ブッシュ大統領は「あなたの英語は実に分かりやすい」といってくれました。そりゃそうです(笑)。
清野:いいやつじゃないですか。
手嶋:インタビューそのものは、朝鮮半島有事と台湾海峡有事にも触れる硬派のものでした。ブッシュ大統領は、インタビューが終わるとコンドリーザ・ライス補佐官を傍に呼び、「RYUICHIの取材の電話には出て、協力してやってくれ」とまで言ってくれました。
清野:そうやってインテリジェンス網が補強されていくんですね。
手嶋:インタビューの時点で、私のデータはすべて先方にインプットされており、「味方として取り込んでおいたほうが得だ」と判断したのでしょう。政治家に単なるいい人などいませんから。
清野:実は私はトランプにインタビューしたことがあるのですが、いい人でした(笑)。
手嶋:それはいつのことですか。
清野:1989年に、ニューヨークのトランプタワーを訪ねました。風雲児として米国の不動産業界でのしあがり、最初のピークを迎えていた時です。そのころから、「将来は大統領に」という話は出ていました。
手嶋:共和党の政治家は、日本のメディアでは、権力を振りかざし、腹黒く――といったステレオタイプのものが多いのですが、むしろ民主党の政治家より、義理堅くて、約束をきちんと守る人が多いのも事実です。
テロ支援国家指定を解除したコンドリーザ・ライス
清野:ブッシュ(子)政権の国家安全保障担当大統領補佐官だったコンドリーザ・ライスについても、ぜひおうかがいしたいのですが。ブッシュ政権時の安全保障戦略の要を担っていた彼女を、手嶋さんはどう評価していますか。
手嶋:彼女は若くして飛び級を重ねて、博士号を取得した秀才の黒人女性です。ロシア問題のスペシャリストとしてパパ・ブッシュに見いだされ、政権入りの直前はスタンフォード大学の教授でした。
ただ、切れ者ではあるのですが、ホワイトハウスという巨大な官僚組織を動かし、大統領に代わって泥をかぶるというタイプのプレーヤーじゃない。国家に尽くす器には、欠けるところがありましたね。パパ・ブッシュに仕えた国家安全保障担当補佐官、ブレント・スコウクロフト将軍のような真の公人とはいいかねます。
清野:コンドリーザ・ライスの世評は、若干「盛られている」ということですか。
手嶋:黒人女性の国際政治学者にして、スタンフォード大学から鳴り物入りで政権に迎えられたのですが、結局、彼女は「ライス外交」と呼ばれるような実績を残すことはできませんでした。
手嶋:オバマ政権の「戦略的忍耐」は、極めて悪評ですが、ブッシュ(子)政権が犯した失策も見逃すことはできません。その点でも、外交・安全保障の要にいたライス女史の責任は重いですね。北朝鮮をあろうことか「テロ支援国家」のリストから外してしまったのもブッシュ政権です。
清野:米国国務省は昨年11月、北朝鮮を「テロ支援国家」に再指定しました。そのニュースを聞いた時、それまで「テロ支援国家」指定は解除されていたんだ、と、逆に驚いてしまいました。指定解除から再指定まで、実に「空白の10年」が生じてしまったわけですね。
手嶋:北朝鮮の核・ミサイル開発を話し合う外交の枠組みが「六カ国協議」。北朝鮮のほかには、米国、日本、韓国、中国、ロシアがメンバーです。2008年当時、六カ国協議の代表を務めていたのが、国務次官補だったクリストファー・ヒル。彼はコンドリーザ・ライスの意を受け、指定解除に踏み切る誤りを犯した張本人です。
清野:なんでそんなことが起こるのでしょうか。
手嶋:当時の米国は、イラク戦争の後始末に追われていましたから、朝鮮半島問題など二の次でした。そんな政権内部や議会の空気をヒル次官補は忖度して、北の核・ミサイル問題をお手軽に処理しようとしたのでしょう。
清野:出た、忖度。
手嶋:それが逆に北の独裁者に付け込まれることになりました。ヒル次官補は、その北朝鮮寄り姿勢から「キム・ジョンヒル」とメディアから揶揄されていました。それにしても、これほどの愚行は、冷戦後の世界史でも、ちょっと見当たりません。
もう一人の“ライス”、北の核容認論者
清野:その「キム・ジョンヒル」の判断の誤りは、コンドリーザ・ライスにもあるということですか。コンドリーザは結局、のちに国務長官となるわけですが。
手嶋:そうですね、コンドドリーザ・ライスの判断がちゃんとしていれば、「テロ支援国家」の解除など、起こるはずはありません。解除の間、北朝鮮はレバノンのテロ組織、ヒズボラに武器を提供し、イランとミサイルの共同開発を行い、テロを支援するだけでなく、昨年はついに指導者が、自らの血を分けた兄を公然と暗殺した。これのどこが「テロ支援国家」ではないのか。
清野:テロ国家そのものですね。ただ、2008年の北朝鮮テロ支援国家解除について、正直に言いますと、それ、私はあまり覚えていないのです。というか、意識もしていなかった。
手嶋:新聞やニュースには、接していたのでしょうから、日本のメディアの報道が的を射ていなかったのでしょうね。
清野:ワシントンのメディアの反応はどうでしたか?
手嶋:日本よりももっとひどかったと思いますね。型通りの報道、つまり、テロ国家の認定を解除したという事実は報じていますが、これがどれほど重大な誤りなのかというトーンではありませんでした。
清野:あら。
手嶋:国務省の説明は「北が悔い改めた」というものでしたから、メディアはそれを信じてしまったのです。意外と単純なのですよ。
清野:困りますねえ。
手嶋:さて、実に紛らわしいのですが、米国の安全保障・外交のプレーヤーには、もう一人のライス女史がいるのです。それも黒人女性の大変な才女で、似たような経歴を経て、国家安全保障担当の大統領補佐官という最高位のポストを射止めています。オバマ政権で活躍したスーザン・ライスがそのひとです。
清野:共和党のブッシュ(子)政権と、民主党のオバマ政権で、米国の安全保障政策の枢要なポストを担ったコンドリーザとスーザン。確かにどちらも姓が「ライス」なので、ごっちゃになってしまいます。
手嶋:ちなみに二人には縁戚関係はありません。偶然、姓が同じだっただけです。
奇しくも、同じ姓を持つ二人の秀才の黒人女性が、安全保障を担うポストに就いた。さらに、「二人のライス」は、取り返しのつかない判断ミスを犯して、現在の北朝鮮情勢にも少なからぬ影響を与えた点でも、似たもの同士です。
清野:こちらのスーザン・ライスは、民主党のリベラルと思いきや、北朝鮮の核容認論者としても浮上していますね。
極めつきの才媛が犯した致命的なミス
手嶋:オバマ政権のスーザン・ライスは、スタンフォード大学で歴史学を収めた後、エスタブリッシュメントへの登竜門、ローズ奨学生に選ばれ、オックスフォード大学で修士号を取り、さらに居残って、アフリカ情勢を研究して博士号を取得しています。
清野:極めつきの秀才だったわけだ。
手嶋:クリントン民主党政権でホワイトハウス入りを果たしたのが29歳の時。国家安全保障会議でPKO(平和維持活動)を統括する部長を経て、アフリカ担当の大統領特別補佐官となり、これまたアフリカ担当の国務次官補、日本の外務省でいえばシニアな局長級のポストを手に入れました。目覚ましい出世です。
清野:目がくらみますねえ。それに随分と若くして、出世の階段を上っている。日本ではちょっと考えられませんね。
手嶋:どの国でも同じですが、引きあげてくれた人がいたのです。彼女は、クリントン政権で国務長官を務めたマデレーン・オルブライト女史の秘蔵っ子だったんです。クリントン選対の選挙運動でも政策作りにちゃんと関わっていましたので、一種の論功行賞です。
ところが、好事魔多し。意外な落とし穴が彼女の前途に待ち構えていました。9.11同時多発テロ事件が起きるはるか以前のことです。スーザン・ライスにとって生涯の傷となる大きなミスを、彼女は犯してしまったのです。
清野:生涯の傷。
手嶋:当時、アフリカのスーダンに独立王国のような勢力を築いていた男がいました。それが、サウジ育ちの大富豪オサマ・ビンラディンでした。
清野:え! いわずと知れた、9.11の首謀者、アルカイダのボスではありませんか。
手嶋:テロの世紀と呼ばれる21世紀の幕を開けた事件を、企画し、資金を調達し、命じた張本人。一族のルーツはイエメンで、父の代にサウジアラビアに移住し、一家は建設業で財を成した億万長者です。
その資産を引き継いだオサマ・ビンラディンは、サウジアラビアを拠点に、石油、化学、銀行、貿易、機械製造など幅広い事業を展開するコングロマリットの統率者となります。
一方で、思想的にはイスラム原理主義の過激な信奉者となり、サウジアラビア王家にとっても危険な存在として、1990年代の初めにサウジアラビア王国から追放されることになります。
ビンラディンは、新たな天地をスーダンに求めて本拠を移し、首都ハルツームを拠点に、建設業、農地開拓事業、金融業などを次々と興して、スーダン経済に影響力を及ぼしながら、その裏でテロ組織アルカイダの陣容を着々と整えていったのです。
清野:これまた、映画のよう。
手嶋:ここでスーダンを取り巻く情勢を押さえておきましょう。当時のスーダンには、イスラム過激派のテロリスト組織が蝟集していました。
清野:「蝟集」という字面からして怖いですが、それはなぜだったんですか。
手嶋:スーダン政府が彼らに宥和的だったからです。優遇していたといってもいい。
清野:ビンラディンが富豪だから?
手嶋:お金の面でも、政治的な駆け引きの道具としても。そして、テロリスト組織の首謀者となっていたのがオサマ・ビンラディンでした。
スーダンが提案した意外な交渉
清野:今の北朝鮮のようなものですね。国際社会は危険を察知していたのでしょうか。
手嶋:英国のインテリジェンス機関は、アフリカの専門家が多いこともあって、「スーダンは、近い将来、非常に危険な存在になる」と警告していましたし、そういうインテリジェンスは、米国にも、もたらされていました。
清野:なるほど。
手嶋:スーダンは「テロ支援国家」として経済制裁を受けており、国際社会からの締め付けは次第に厳しさを増していました。その中で、さしものスーダン政府も、彼から膨大な利益は得てきたものの、ビンラディンの存在は厄介なお荷物になり始めていたのです。
清野:ふむふむ。制裁は効果を上げつつあったのですね。
手嶋:スーダン政府は密かにオサマ・ビンラディンを引き取ってくれそうな国と交渉を始めます。まず彼の母国サウジアラビアに打診しました。
清野:えー、それってアリなんですか?
手嶋:いえ、サウジの王政を揺るがしかねないテロ組織の首領を引き取るなど、とんでもないと、にべもなく断られます。
清野:サウジ王族の中には、テロ組織にも寄進をして身の安全を図る人々がいる、なんて話を聞いたことがありますが、それでも、ビンラディンはあまりにも危険な存在だったんですね。
手嶋:ビンラディンは、祖国サウジアラビアへの反逆者であり、国籍も剥奪されていましたからね。そこで次にスーダンは、これまた秘密裡に、もう一枚のカードをそっと切ったのです。
清野:どんな外交カードを誰に切ったのでしょう。
手嶋:超大国アメリカです。彼の身柄を引き取ってくれないか、と打診したのです。
清野:よりによって、後に米国に襲いかかる人物を、ですか?
手嶋:だからこそ、引き取っておくべきだったのです。そしてスーダンとの交渉の窓口は、アフリカ問題のスペシャリスト、スーザン・ライスでした。
清野:ここでスーザン・ライスの登場ですか。それはいつのことでしょう。
手嶋:9・11が起こる7年前のことです。ところが、あろうことか、スーザン・ライスは、ビンラディンの身柄の受け取りを断ってしまった。
清野:その交渉が成立していれば、9・11は未然に防げたかもしれない、ということになりますが、どういう理由だったのでしょうか。
「機械工のごとき外交」
手嶋:この段階では、ビンラディンはまだ決定的な犯罪に手を染めていたわけではない。だから、その身柄を拘束し、引き受けるだけの十分な法的根拠がない、という理屈です。
清野:うーん……。
手嶋:封じ込め政策で著名な政治学者のジョージ・ケナンが、米国外交は時に「機械工のように」硬直的だと指摘していますが、まさにその典型でした。
清野:ただ、引き取る根拠がなかったわけですよね。そう判断せざるを得なかったことも、分かるような……。
手嶋:いえ、安全保障とインテリジェンスの視点に立てば、異なる対応があってしかるべきでした。インテリジェンスの戦いは、近未来を巡る攻防なのですから。
清野:スーザン・ライスにしてみたら、そのことは墓場まで持っていきたい秘密では?
手嶋:彼女は燃えるような野心を持っていました。その点で、コンドリーザ・ライスと相通じるところがあります。
清野:野心家ならば、どうしても消し去りたい、すねの傷ですね。
あの小池さんがかわいく見える……
手嶋:それはそうでしょう。ここまで上り詰めるために、相当な政治の賭けに出てきたのですから。
清野:賭け、といいますと。
手嶋:彼女の政治の師、オルブライトは、クリントン政権で国務長官を務めましたが、その縁でオルブライトもスーザン・ライスもヒラリー・クリントンに近かったのです。
ところが2008年の大統領選挙では、予備選の対立候補だったオバマ陣営にさっと転じています。この賭けは見事に当たって、オバマ政権では閣僚級の国家安全保障担当補佐官です。
清野:はあ。小池百合子がかわいく見えますね。
手嶋:私は、民主党政権の誕生に備えて、ワシントンの有力シンクタンクで再び政権入りを目指していたスーザン・ライスにインタビューに行ったことがあります。
清野:そうなんですね。
手嶋:アフリカでの人権外交をどのように進めてきたか、彼女の実績に触れた質問には、実に雄弁に答えてくれました。帰りがけに私が「あ、そうそう」という感じで振り返り、「ところで、スーダンにいたオサマ・ビンラディンをなぜ引き受けなかったのですか?」と聞いたとたんに顔色がぱっと変わりました。
清野:刑事コロンボですか。
手嶋:黙って、私を睨みつけて、その目でドアの方を見たのです。「帰ってちょうだい」というわけです。この野心家にとって、過去の失策がどれほど心の傷になっていたのか、お分かりでしょう。
清野:あの、手嶋さんはどうして、そのことをご存じだったのですか。
手嶋:政治情報都市ワシントンの地下水脈を流れるインテリジェンスに浸かっていたからです。
清野:うーん。
手嶋:スーダンと米国を仲介していた人たちからも情報は仕込んでいました。スーダンを顧客とするアメリカ女性、それにパキスタン人の投資銀行家といった人々ですが、かなりの情報でしたよ。
清野:あやしい……。
手嶋:ややあやしげな人たちなのですが(笑)、これという金鉱脈には、いかがわしい山師が出没しているものです。水清ければ――というでしょう。
ちなみにその投資銀行家は、9・11が起きた時は、ワールドトレードセンターを一望できる自宅のペントハウスにいました。家庭用のビデオを自分で回しながら、「ついに起きるべき事件が起こってしまった……」と、背後に上がる黒煙を背に、震える声で同時リポートを録音していました。そのシーンは後に「NHKスペシャル」の中で使わせてもらいました。
失われた機会と、インテリジェンスの価値
清野:歴史に「たら」「れば」は禁物といいますが、スーダンとの交渉の時に、オサマ・ビンラディンの身柄を米国に移していれば……。
手嶋:件の投資銀行家はスーダンに特別な情報源を持っており、スーダン政府とクリントン政権の話し合いの仲介者でした。米国が真剣にスーダンとの協議に応じれば、スーダン政府が持っていたアルカイダのテロ情報を渡してもいい、という話を仲介していたのです。その中には、9・11テロの実行犯に関する超一級のインテリジェンスが含まれていました。
清野:それって、ものすごい情報じゃないですか?
手嶋:ああ、失われた機会。
清野:なぜスーザン・ライスは決断できなかったのでしょう。
手嶋:まあ、度胸がなかったのでしょう。後知恵だという批判を覚悟して言えば、スーザン・ライスは先が読めなかった。インテリジェンスとは、紙に書かれた法律ではない。近未来の予測をすることです。そこを理解せずに、安易に法律や政策に逃げ込んで、困難な判断を下さない。これは政治指導者や真の公人のすべきことではありません。
清野:直近・現代史の教訓ですね。
(⇒第5回に続きます。)
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