日本のゴッホと呼ばれ、「裸の大将」の愛称でも親しまれた画家・山下清は、1922(大正11)年3月10日生まれ。
今年生誕100年を迎えました。
公開 2022/03/10(最終更新 2022/03/10)
学園で才能開花。作品が全国を回る
東京市に住んでいた山下清が児童保護教養施設「児童教化八幡学園」に入園したのは、1934(昭和9)年のこと。
12歳で母親に連れられてきたそうです。
1928(昭和3)年創立の学園が東葛飾郡八幡町衣川(現・八幡6丁目)にあった時期で、現在の本北方に移転したのは1941(昭和16)年のこと。
学園では創造的能力の発掘と育成が重視され、読み書き、木工、縫製、園芸の他に粘土細工やクレパス・クレヨン画、貼り絵などの図工を、清をはじめ子どもたちは伸び伸びと学んでいきました。
絵が好きだった清は、貼り絵に集中するようになってから落ち着いていったそうです。
「子どもたちの作品は昭和13年、早稲田大学心理学教室・戸川行男助教授により大隈講堂において『特異児童作品展』として発表され画壇・文壇から賞賛されました。ゴッホの研究家であり学園の精神科顧問医であった式場隆三郎の手によって、昭和31年、山下清展が東京大丸で開かれました」と話すのは「八幡学園」山下清展事業委員会代表の松岡一衛さん。
清は「学園があきた、外の景色を見たい」と学園を飛び出し放浪の旅に出掛け、戻っては制作し、また旅へと出掛けていきました。
我孫子駅近くの弁当屋で働いていたことも。
松岡さんは1963(昭和38)年から9年間、清と作品展を通して全国を旅したそうで「話し好きで、自分の主張をしっかり持っている人でした」と懐かしみます。
清と仲間たちの作品や学園の歴史も展示
八幡学園を訪ねると、玄関横に初代園長の胸像があって、「踏むな、育てよ、水そそげ」の標語の文字が優しく輝いていました。
3代目久保寺玲園長は「知的障害児の福祉の先駆けであったということに誇りと責任を持ち、さまざまな障害のある子どもたちの健やかな成長を、深い愛情と真の理解をもって支えていきたい」と話します。
園長は「清さんと学園生活を共にした仲間たちの作品も注目されており、学園の歴史や、障害児教育の黎明期資料と共に展示室で公開しています。学園もあと6年で100周年なんですよ」と目を細めていました。(取材・執筆/江梨)
問い合わせ/ 047(338)3763
住所/市川市本北方3-13-11