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【ジャイキリ連載500回記念特別対談】 川崎フロンターレ 中村憲剛╳ツジトモ[完全版]


『GIANT KILLING』の連載500回を記念し、川崎フロンターレのJ1リーグ連覇の立役者であり、「ジャイキリの第1話からの読者」と語る中村憲剛選手と、作者のツジトモ氏の初対談が実現!

二人は、サッカーや仕事、そして、「ジャイキリ」について語り合いました。

「モーニング」2018年52号に掲載された巻頭カラー特別対談の、完全版ウェブバージョンです!




中村憲剛を泣かせた達海の一言

——今回、『GIANT KILLING』が連載500回を迎えたということで、記念に対談を企画させてもらったのですが、実はお二人は初対面ではないんですよね?

ツジトモ 一度、中村憲剛選手が取材を受けている場に、立ち会わせてもらったことがあるんですよ。

中村憲剛(以下、中村) 覚えてます。確か10年くらい前のことですよね。連載が始まった当初から「ジャイキリ」を愛読していたので、当時、お会いできてうれしかったんです。最新巻も読みましたけど、好きな選手やエピソードがありすぎて……。今、パッと思い浮かんだ場面を挙げれば、達海猛が選手たちとミニゲームをして、本当の意味で引退を決意するシーン(単行本30巻参照)。「今日をもって俺は正式に選手を引退するよ」という一言を読んだときには、それはもう泣きました。

ツジトモ ありがとうございます。

中村 選手としてプレーしたクラブで監督になる。いずれは自分もそうなりたいと思っているので、どうしても達海には感情移入してしまうんです。まだ自分は引退していないので、分からないところもありますけど、ケガが理由で引退する選手は「きっと、こういう感情なのかな」と思いながら読み耽りました。

ツジトモ あのエピソードには共感してくれる人も多いので、憲剛選手にそう言ってもらえると、なおさらうれしいですね。

中村 さらに語っていいですか?

ツジトモ どうぞ、どうぞ(笑)。



中村 キャプテンの村越(茂幸)の生き様も自分と重なる部分が多いんです。達海が村越に掛けた「お前が背負ってきたもんの半分は これから俺が命懸けで背負ってやるよ」(1巻)という言葉、しびれました。

実は昨シーズン、(小林)悠にキャプテンを引き継ぐときに「ジャイキリ」を読み直したんです。だから杉江(勇作)にキャプテンマークを渡す村越の気持ちも「分かるわ~」って思いました(31巻)。

ツジトモ 憲剛選手も長らくキャプテンを務めてきたように、責任あるポジションを担ってきましたもんね。そうした状況が、村越と重なったんでしょうか。

中村 自分がキャプテンマークを巻くことになった当時は、それはそれで仕方がなかったところもありました。当時は、悠も年齢で言えば中堅で、(大島)僚太や(谷口)彰悟はまだ若手。一人でチームを背負うつもりはなかったですけど、自分が背負わなければ、自分がやらなければと思っていたところもありました。

ツジトモ そうした状況が村越と重なったんですね。




ETUを出て行った達海と残り続けた村越が対峙する(単行本第1巻より)。



中村 それだけ「ジャイキリ」に登場する人たちはリアルというか、僕ら本当のサッカー選手に近いんです。村越しかり、達海しかり……。彼らのような言葉を掛けられる人間になりたいとすら思います。

ツジトモ でも、憲剛選手も言葉を持っている人ですよね。

中村 そう言ってもらえるのはうれしいですけど、自分が実際に同じ立場だったら、そうした言葉を掛けられるだろうかと、思わされるセリフが「ジャイキリ」には多いんです。あの名言の数々は、どうしたら思いつくんですか?

ツジトモ 自分自身がグッとくる表現を探すようにはしています。どうしたら選手がハッとするだろうか、どうしたら選手の心が動かされるだろうかというのは常に考えています。それこそ、以前、憲剛選手にお会いしたとき、読書家だということを聞いて驚いたんですよね。だから、インテリジェンスであり、ボキャブラリーの多さを憲剛選手に感じたのかと……。

中村 僕はいわゆるテンプレートが好きではないんです。決まったセリフを言うのではなく、自分の言葉で伝えたいという思いがある。だから、事前に言葉を考えているわけではなく、そのとき思ったこと、感じたことを言葉にしています。今回の対談もそうですけど、いろいろな方と話をさせてもらったり、取材を受けてきた中で言語化できるようになったところもあります。だから、きっと訓練の賜物なんです。



「大島僚太が椿に見えてくるんですよ」(中村憲剛)

ツジトモ 川崎フロンターレに在籍して16年目。長く一緒にプレーしている選手も多いと思いますが、他の選手にもそうした変化は感じますか?

中村 責任ある仕事に就いた選手たちは、少しずつ変わってきているように思います。(小林)悠や(谷口)彰悟もそうですし、最近では(大島)僚太もそう。彼らも若いときは自分のことで精一杯でしたけど、徐々に、どうチームを勝たせるかという発言をするようになってきた。その姿を見て、しみじみと成長を感じることもあります。

あと、ツジトモさんにお会いしたら絶対に言おうと思っていたんですけど、「ジャイキリ」を読んでいると、僚太が椿大介に見えてくるんですよね。人見知りなのにプレーは雄弁なところも……もはや僚太にしか見えなくて。

ツジトモ (笑)。でも、実は大島選手がプロになるよりも、連載のほうが先にはじまっているんですよ。

中村 そう言われて見れば、そうですね(笑)。




“チキン”呼ばわりされていた若手の椿が物語を通して成長していく。



ツジトモ 年齢の若い選手に話を聞くと、椿を自分の成長に重ね合わせてくれる人も多いのでうれしいですよね。アスリートの人たちは堂々としていて、迷うことなく突き進んでいると思っていたんですけど、みなさんに、こんなにも「椿の気持ちが分かる」って言ってもらえるんだなと(笑)。

中村 結構、みんな、漫画に影響されるんです(笑)。それに僕は、ホントにETUの選手たちが大好きなんです。夏木(陽太郎)やジーノみたいな選手がいて、赤﨑(遼)という若手がいて、黒田(一樹)という賑やかな選手もいる。その横には杉江という冷静な選手もいる。本当にETUはバランスの取れたチームだなと。

ツジトモ そんなに選手の名前をスラスラと言ってもらえると、ますますうれしいですね。

中村 全選手言えてしまいますよ(笑)。それこそフロンターレに当てはめて、悠には、「お前は絶対に夏木だろ」っていつも言ってますからね(笑)。あと印象的なのは石浜(修)。移籍するかしないかで迷う話は切なかった。

ツジトモ あのストーリーは、選手だけでなく、就職や転職に悩んでいる人からも共感してもらえました。

中村 確かに……。でも、悩むよりも、行ってみることも大事なんでしょうね。あの話を読んで、そう感じました。




甲府にレンタル移籍した石浜はETUとの試合で躍動(単行本41巻より)。



ツジトモ 憲剛選手はフロンターレ一筋ですけど、若い頃に移籍を考えたことはなかったんですか?

中村 30歳のときに一度だけ悩みました。2010年の南アフリカ・ワールドカップが終わって、自分にも海外移籍の話がきたんです。でも、そのとき、(チョン・)テセも、(川島)永嗣も移籍することが決まっていて、クラブから「お前だけは残ってくれ」と言われました。それが大きくて、移籍するのをやめました。あとは、フロンターレでタイトルを獲らずに出ていくことはできないという思いも強かった。タイトルを獲った今、そうした自分の選択が間違っていなかったと思うことができる。だからこそ、達海と自分を比べてしまうところもあるんですけどね。

ツジトモ なるほど……。達海はETUを出て、海外に行きましたからね。

中村 当時の自分が置かれていた状況が、キャプテンである村越と、現役時代の達海に似ていたので、余計に「ジャイキリ」にのめり込んでしまったところもあります。

ツジトモ そこまで言ってもらえると、村越に憲剛選手と同じスパイクを履かせて良かった(笑)。

中村 違うスパイクを履いていたら、感情移入も3割減だったかもしれません(笑)。



川崎が強くなった瞬間

——作品の話題が尽きませんが、話題を変えてもいいですか(笑)。「ジャイキリ」は連載500回、中村選手もリーグ戦だけで500試合以上に出場しています。ここまで続けられた秘訣とは?

中村 ツジトモさん、漫画を描くの好きですよね?

ツジトモ まあ、まあ……それは好きですけど(笑)。

中村 もちろん、苦しいときもあるとは思いますが、基本的にはそこだと思うんです。好きだということ。

ツジトモ 確かに。僕はサッカーを題材にした漫画を描かせてもらっていますけど、サッカー選手は基本的に週末の試合に向けてコンディションを整えていきますよね。連戦もありますけど、その試合のために1週間がある。僕も週刊で連載をしているので、週に1回、締め切りがある。連載をしているうちに、その感覚がどこか選手と似ている気がしてきたんですよね(笑)。しっかりコンディションを調整しておかないと、頭が働かないというか……。そう考えると、まるでアスリートみたいだなって思うときもあります。

中村 そう言われると、通じるところがあるかもしれませんね。でも、必ず締め切りがやってくるんですよね……。ある意味、僕らよりタイトな気がします。プレッシャーの種類が全然、違いますよね。

ツジトモ きっと違いますね。僕も10km以上は走れないですから(笑)。でも、サッカー選手は試合に勝ったり負けたりがある中でも、次の試合に向けて切り替えていかなければならない。その気持ちの切り替えというか、メンタリティーは似ているところもあります。そこがしっかりしていないと、次のネームに向かうときに、ズルズルと引きずってしまう。苦しい1週間を送ってしまえば、その連鎖は続きますし、勝てない状況にあるチームの選手たちとは、こうした心理状態なのかなと思うこともあります。

中村 分かります、分かります。いやぁ……作品を見ていたら、ツジトモさんが苦しんでいるなんて分からないですけどね。試合に限ったことで言えば、引きずってはダメなんです。切り替えることもまた、プロの仕事ですから。



ツジトモ 変なことを聞きますけど、一番、うまくいかなかった時期はいつですか?

中村 そうですね。2011年にリーグ戦で8連敗を喫したときですかね。

ツジトモ 自分で聞いておいてあれですけど、もしかしたら、その時期かなと思いました。

中村 あのときは、落ち込むというよりも、どうすればいいか分からなくなりました。

ツジトモ 言葉にすれば混乱ですか?

中村 そうかもしれませんね。負けるので練習はより厳しくなるのですが、結局また勝てずにどんどん悪い方向に向かっていってしまう。まるで雪だるまのようにどんどんと問題が大きくなっていきました。切り替えて、次の試合に臨むけど、それでもまた負けてしまう。連敗が止まったのはアウェイのモンテディオ山形戦でしたが、チームとしての狙いはあったものの、そんな理想も掲げていられなかった。虎の子の1点を守り切って、ようやく勝ちを手にした記憶があります。そうした経験をしたのは、後にも先にもあの年だけ。あの時期は本当に怖かったですね。

ツジトモ 一方で、そうした苦しい時期を乗り越えて、中村選手のキャリアも、川崎フロンターレというチームも強くなっていったように思います。その過程をすべて見てきたからこそ感じた、強豪への一歩を踏み出した瞬間はありましたか?

中村 それを感じはじめたのは、2016年くらいからですかね。

ツジトモ 比較的、最近ですね。

中村 優勝争いに加われるようになり、昨季は初めてJ1で優勝することができました。このレベルの戦いが日常になってきたのは、その時期からです。やりたいサッカーを目指す中で、選手たちも揃ってきて、チームとしてのベースが上がり、目も揃ってきた。

ツジトモ おもしろい表現ですよね。

中村 イメージの共有です。特に僕らが目指すサッカーは、そこがないと難しい。パターンがあるわけでも、決まった形があるわけでもないですから。

ツジトモ 「川崎のサッカーは何か?」と問われれば、少し前まではいわゆる「止めて蹴る」、もしくは「パスサッカー」だったと思うのですが、今は「川崎=攻撃」、それこそ「連動性」というものが作り上げられているように感じます。

中村 改めてそう言われると、自分でもフロンターレのサッカーを端的に説明するのは難しいですね。

ツジトモ 先ほど言った「目が揃う」という言葉が答えなのかなと思いました。

中村 それも一理あります。僕らは単なるポゼッションサッカーをしているわけではないですし、初優勝した昨季も、今季も守備にはかなり力を入れてきました。今は攻守ともに次元の高いサッカーができているという感覚はありますね。



——作中で達海が選手たちに掛ける言葉についても話題に上がりましたが、中村選手は日本代表含めて、多くの指導者のもとでプレーしてきました。やはり、監督とは人の心に訴える言葉を持っているのでしょうか?

中村 どの監督も、言葉力を持っていました。代表監督で言えば、岡田武史さんも、(アルベルト・)ザッケローニさんもそれぞれに言葉に力のある人でした。でも、強いて一人を挙げるのであれば、自分にとって大きかったのは、(イビチャ・)オシムさんです。言葉から生き様を感じるというか……若かりし頃に戦争も経験されているからか、命の尊さにまで話が及ぶ。その重みや説得力たるや本当にすごかったんです。

ツジトモ 人としても尊敬できる指導者だったんですね。

中村 はい。最初は身長も大きいし、圧倒されっぱなしでしたけど(笑)。オシムさんに出会って、自分が今までやってきたことを肯定してもらえたというか、自分のサッカー観であり、自分が歩んできたプロセスが間違っていなかったと思うことができたんです。

ツジトモ 自分が期待されているという感覚があったんですか?

中村 ありましたね。日本代表でそう感じたのはオシムさんのときだけでした。岡田さんにも、ザックさん(ザッケローニ)にも選んでもらいましたけど、自分がチームの中心にいると感じられたのはオシムさんのときだけ。あのときの代表は充実していましたし、チームとしてもどこまで成長していけるか楽しみにしていただけに……。

ツジトモ オシムさんが倒れられて、その完成形を見ることができなかっただけに、あのチームがどこまで成長できたのか、僕らも見たかった気持ちがあります。

中村 あのときのメンバーは、ヤットさん(遠藤保仁)、(鈴木)啓太、アベちゃん(阿部勇樹)……本当にサッカーインテリジェンスも高かったというか、ひと言話せばすべてが通じてしまうところがありました。その安心感が、チーム全体に芽生えていって、ひとつの大きなうねりができる。自分がそうした感覚を代表チームで得られたのは、あのときだけでしたね。

ツジトモ そうしたうねりは、観ているこちら側にも伝わってきていましたよ。

写真=アフロスポーツ



「憲剛選手にはフットボールが詰まっている」(ツジトモ)

——「ジャイキリ」ではETUが優勝を目指して戦っています。フロンターレは昨シーズン初めてタイトルを獲得しましたが、優勝する前とした後では何か違いはありましたか?

中村 僕らも変わりましたけど、それ以上に周りの見る目が厳しくなりましたよね。それこそが大事なんです。厳しい目で見られるからこそ、僕らはさらにワンランク上がらなければいけないと思わされる。優勝するまでは、「いいチーム」で終わってしまっていましたけど、優勝すれば、「次は何を見せてくれるんだろう」と期待される。そのうえで、自分たちのサッカーをどう見せるか……。自分たちのサッカーという言葉はあまりいい響きではないかもしれませんが、それを持ち続ける、ぶれないということも、実はすごく大切なことなんです。

ツジトモ 自分たちのサッカーを貫くことも大事なことですよね。

中村 対戦相手がいた上で、その自分たちのサッカーをいかに変化させていけるか。でも、戻るところがなければ、チームは崩れてしまいます。ETUはまさに今、自分たちのサッカーを構築している段階にあると思って読んでいます。タイトルを獲ると、そのバックボーンも大きくなり、きっとチームとしても深みが出てきますし、選手たちの自信にもなるはずです。それを構築するために、ETUは毎試合の経験を無駄にしていないですよね。達海自身も、負けた試合の前半の入り方を反省しながら、次の試合へと進んでいたりする。



——話が尽きそうにありませんが、そろそろ……。ツジトモさんは「ジャイキリ」の連載を、中村選手は選手生活を長く続けてこられました。お互いにエール交換ではないですが、メッセージをお願いします。

中村 週刊連載は本当に大変だと思うので、健康に気をつけてほしいですね。描き続けてほしいというのは酷かもしれませんが、僕のように待っている人がたくさんいることを知っていてほしいです。

ツジトモ その言葉が描く上での一番の原動力になります。時々、こうしてクラブハウスにお邪魔させてもらって、普段、TVで見ている選手から「楽しみにしてます」と言ってもらえることが、何よりうれしいんですよね。

中村 それはこっちのセリフですよ。今日はツジトモさんにお会いできて、こっちもうれしかったです。まるで、お互いがお互いの存在意義を分かっていないみたいですね(笑)。

ツジトモ 38歳になった今も、チームの中心で活躍していて、想像をはるかに超えるプレーを見せてくれている憲剛選手は、Jリーグをずっと背負ってきた存在だとも思うんです。言葉もプレーも、憲剛選手にはフットボールそのものが詰まっている。だから、これからも少しでも長くプレーを見せてもらえたらと思います。僕は自分で言うのもおこがましいですけど、サッカーの漫画を描かせてもらっているだけに、これからも作品を通して、Jリーグを応援したい、Jリーグをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。

中村 間違いなくJリーグの中に「ジャイキリ」は息づいていると思います。選手はもちろん、関係者もサポーターも、多くの人に影響を与えていると思いますよ。 ⚽



取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹
ツジトモ氏がイラストをサプライズでプレゼントしたところ、
憲剛選手がサイン入りスパイクをプレゼント返し(!)してくれました。


右/中村憲剛(なかむら・けんご)

1980年東京都生まれ。中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレ入団。06年にA代表初選出。16年にJリーグMVPを獲得。右利き。背番号は14。家族は妻と一男二女。

左/ツジトモ(つじとも)

1977年北海道生まれ東京育ち。『GHOST』で「モーニング」誌デビュー。プロ野球を題材にした読み切り漫画『スリーストライクス』で好評を博す。2007年から『GIANT KILLING』連載開始。