日本史ウオーキング

 6. ラミダス猿人(人類のあけぼの)

 中学歴史教科書の冒頭には、下のような人類進化の図が載っている。この図では、猿人→原人→旧人→新人と、1本の線でつながっているように見えるが、人類の進化は、こんな単純なものではない。ある種は次の種へ進化したり、別の種は絶滅するなど、複雑に絡み合っている。


 上の図式を見て、「ペキン原人、ネアンデルタール人、クロマニヨン人は聞いたことがあるけれど、アウストラロピテクスは、初耳だなあ」という方が、大半かもしれない。アウストラロピテクスの全貌がわかったのは30年前だから、若い人以外は、学校では習っていない筈だ。「南の猿」の意味で、アフリカで発見された化石人類を言う。脳の容量は、今のゴリラと同じぐらいだが、頭蓋骨の形や歯から、サルと区別されている。

 そして、ここ10年ほどの研究はめざましいものがあり、人類の系譜は一気に600万年前まで遡った。この教科書の400万年前は、すでに古いデータである。

 アフリカ以外の地から、化石人類が見つかった例はなく、人類の起源はアフリカ単一説が有力である。だからといって、私たちオバチャンが、アフリカをウオーキングしたとしても、何の収穫も得られないに決まっている。

 そんなこともあり、日本史ウオーキングで、「人類のあけぼの」を取り上げるのは避けていたが、東京大学総合研究博物館で開催中(2006年6月9日まで)の「アフリカの骨、縄文の骨ー遙かラミダスを望む」の展示を見たことで、「ラミダス猿人」について、書いてみる気になった。

 撮影禁止なので、左は、HPから拝借した写真である。題の「○○の骨」が示すように、極端に言えば、人骨ばかりが並んでいる。照明を抑えてあるので、なおさら気味が悪いが、学者には、愛おしくてたまらないのだろう。

 東京大学は、今回の展示以外に、膨大な人骨を所蔵しているそうだ。さすが、最高学府だと、妙なことに感心してしまった。

 ラミダス猿人は、440万年前の猿人である。1994年にラミダス猿人が発見された記事は、主要新聞の一面を飾ったという。私はまったく覚えていない。新聞を見ても、何も感じなかったのだろう。

 次に改訂される教科書には、ラミダス猿人の記述が加わるらしい。画期的は発見だけに、暗記必須事項になるのは間違いない。ラミダスは、人骨が発見されたアフリカ・エチオピアの地名だ。ペキン原人、ジャワ原人、クロマニヨン人など、いずれも、発見された地名からの命名である。

 下は、1週間前の、2006年4月13日の朝日新聞一面に載った記事。この中に、東京大学総合研究博物館の諏訪教授の談話が載っている。「アウストラロピテクス属は、440万年前〜420万年前、ラミダス猿人から急激に進化した可能性が高い」。アウストラロピテクスは、人類の直接の祖先と考えられているので、ラミダス猿人が私達の祖先ということになる。

 3月に博物館を訪ねたときに、諏訪先生から、ラミダス猿人の話を聞く幸運に恵まれた。知人を案内していらしたのだが、「一緒に回ってもいいですか」に対し、「どうぞどうぞ」と言ってくださったのだ。展示を見ても、わけがわからなかったが、直接お話をうかがったことで、いくぶん光明が射してきた。そしてタイミング良く、この新聞記事だ。


 諏訪教授は、形態人類学がご専門である。何百万年前という気が遠くなりそうな時代の化石を発掘している。しかも、アフリカのエチオピアの炎天下での作業だ。会場には、エチオピアでのフィールドワークの映像も流れていた。

 日本史をHPに取り上げるにあたり、おざなりなことは書けないので、素人なりに確認作業をしているが、学生時代に学んだことは、ほとんどあてにならない事がわかった。昔のことはよく覚えていて、今聞いたことは忘れてしまう年齢にさしかかっているので、尚更始末が悪い。新説をインプットするのに、脳をフル回転せねばならない。

 中でも、人類の発祥については、驚くことばかりだ。われわれの直接の祖先は、新人(ホモ・サピエンス)であり、それ以前の人類とは断絶していると思いこんでいたが、新聞記事の図にあるように、440万年間の進化の道が出来ているのだ。

 進化の図にあるように、脳の容量は、猿人は500cc、原人は1000ccと多くなっている。しかし、旧人は1300cc、新人は1500ccで、現代人と変わらない。現代人類の男性の容量は、1300cc〜1600cc。女性は、1200cc〜1450ccである。

 「男性の数値が多いということは、男性が女性より優れていることですか?」と質問してみた。「脳の容量と頭の良さは比例するわけではないんです。むしろ身体の大きさに比例します。女性が劣っていることはないですよ」と、慰められてしまった。諏訪先生は、オバチャンにも優しい。

 ホモ・サピエンスの起源については、以前は、アフリカにいた原人がヨーロッパやアジアに渡り、各地で現代人に進化したとする「多地域進化説」もあった。しかし今は、遺伝子分析や骨の分析で、アフリカ単一起源説が大勢を占めている。

 アフリカだけが起源ならば、どうして、白人や黒人や黄色人が出来上がったのだろう。環境の違いで、肌の色や鼻の高さに違いが出てきたのだろうが、神様は酷ないたづらをするものだ。肌の色で差別されている日本人にしてみれば、「アフリカ単一説」と言われても、なかなかピンと来ない。

 「あのう、化石人類がエチオピア周辺だけから見つかると言っても、他の地域は、宅地になったりで化石が発見されにくいのでは?」と聞いてみた。「いやあ、アジアにも、ヨーロッパにも、開発されずに、いかにも化石が出土しそうな地域はたくさんあります。でも、まったく人骨は見つかっていないのです」。

 この他にも、たくさんの疑問点をぶつけてみたが、先生は、逐一ていねいに答えてくださった。実は、3月の時点では助教授だったが、新聞では教授となっている。4月に、教授に昇格なさったらしい。このHPをご覧になることはあり得ないが、おめでとうございます!!  (2006年4月20日 記)

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