まずここでいう権力とは、広い意味でいう権力で、個人の外部にある何らかの要因で個人の行動を変化させちゃうような事柄を指しています。
で、トイレに行ったら手を洗うじゃない。子供の頃、必ずしもおちんちんを触ったりうんこが手についたりしなくても手を洗わなくちゃいけないのか?俺のおちんちんはそんなに汚いのか?と疑問だったけど、今となっては一種の規律としてすり込まれちゃってるっていうか、なんとなく手を洗わないとすっきりしないわけです。
こうした規律訓練によって人間の行動が規制され変わってくるようなのを「規律訓練型権力」っていいます。
次にウォシュレットについて考えてみよう。うんこのあとおけつが綺麗になりますな。ところが困ったところもあって、うんこのあとにおけつを温水でジャバジャバしないと気持ち悪くなっちゃう。もう、紙で拭いたんじゃダメなわけ、不潔なわけ、すっきりしないわけ。そうなるとちょっとした公衆トイレなんかに行けなくなる。コンビニのトイレにはウォシュレットが常備されて無くてはいけなくなる。海外になんて行くと困るよ、日本ほどウォシュレットが普及したところはありませんよ。
こうした、世の中のアーキテクチャによって人間の行動が規制され変わってしまうようなのを「環境管理型権力」といいます。
よくよく考えると、トイレの後に手を洗うってのは、神社にお参りするときの禊ぎみたいなもんかもしれない。トイレってご不浄っていうじゃない。あんまり目的的な根拠がない。
ウォシュレットもおなじかもしれない。おけつのあなの衛生なんて、それまで誰も考えたことがなかったんじゃないか?そもそもおけつのあなが衛生的である必要なんてあるのか?ドイツ人とか中国人はごわごわの紙でぬぐったってだけで平気だぞ。