まず、宇喜多直家の所業をあげましょう。
1、島村観阿弥(豊後守盛実)を謀殺(これは、島村が祖父の仇であったため、あまり悪い印象はもたれません)
2、舅・中山信正を斬殺
3、男色家の敵将・穝所元常を美男を刺客として送り込んで暗殺
4、強大な勢力を持つ敵将・三村家親を暗殺
5、「鹿と間違えた」として、狩猟中に同盟者(やがて敵対する予定の松田氏)の家臣を殺す
6、娘婿・松田元賢を娘もろ共滅ぼし、松田家を滅ぼす
7、浦上宗景の息子で娘婿でもある宗辰を居城に招き、暗殺
8、浦上宗景に謀反を起こし、追放して備前国主に
9、娘婿・後藤勝基を娘もろ共滅ぼす
10、毛利家との同盟を断ち切り、羽柴秀吉と結ぶ
3,4,8、10は、戦国時代の武将としては、「外道」と謗られるよりは、「智将」「名将」といわれる次元です。
問題は、2、5、6、7、9ですね。
中山信正を謀殺したことで、直家の妻である信正の娘は自害。
実の娘でも敵もろ共滅ぼすことをためらわない。
主君の息子、しかも娘婿ーを堂々と殺す。
このように身内ですら地獄に落とすことをためらわない。
上記のことが直家の悪辣さを特に大きくし、その他の計略も悪辣さの裏づけの役割を果たすことになり、下剋上の英雄や謀略の名手の多い戦国時代の中でも特に直家の悪い印象を引き出すものとなったと、私は思います。
そのため、直家は後世に「暗殺&悪行ばかり」だと思われ、明善寺合戦のような合戦における華々しい勝利の存在も薄れる。
また、「直家=酷薄」だとも思われるのも当然の流れ。
毛利元就の場合は、謀略が多い中でも、特に「外道」と後世の人に思わせるような悪辣さは感じられない。
また、「百万一心」「三子訓戒状」などの現存する言葉・書状から、元就の人間性が大きく表れているのも大きいと思います。
ここからは完全な余談です。
「直家=外道」という印象が強い中でも、
・逆境から生まれた不屈の気概
・家臣と一体となってのお家再興
などに目をつけ、直家に大きく肩入れする人もいますよ。(私のように笑)
悪辣な印象ばかり目立つ直家でも、その波乱の生涯と僅かな逸話から「人間・直家」としての片鱗を垣間見ることもできます。
黒部亨氏、高橋直樹氏が描いた直家の小説を読めば、「こんな見方もあったんだ~」と思えちゃったりします。(フィクションも多いですが)