毛利元就・宇喜多直家について質問です。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

確かに毛利元就は「3本の矢」とか良いエピソードがありますしね。 皆さん回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/9/16 20:30

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毛利元就は陰謀名人といわれていた一方 「三本の矢」の格言(これはウソらしいが)を さも云いそうな人格で、ようするに陰謀を するにはするが、やむを得ない場合を除いて しなかった感じがあるようです。 戦乱の時期には記録は残りにくいので 元就も宇喜多直家も記録が乏しく ハッキリは分らないので、ご両人じっさい どれくらい腹黒いかは後世では比べることは 難しいと思います。 いっぽう毛利元就は筆まめ、な人物だったそうで 元就が書いた手紙は多く現存するそうです。 興味ぶかいのは元就の手紙を文書専門家が 分析した結果で、毛利元就は手紙は、 長文に、なりがちの傾向があり同じことを何度も 繰り返す特徴があり、 彼は手紙の傾向のような性格だとすると、 いがいと、説教じみた、饒舌な人ではなかったか ということです。

★ 備前の宇喜多直家は、安芸の毛利元就・出雲の尼子経久と共に中国地方の三大謀将と言われていて、三者三様に暗殺や乗っ取りの事績には枚挙に暇が無いと思います。 中でも宇喜多直家は、手に余る者と自分の親類縁者とを縁組成立させ親類の体を表する一方で、時節を見計らって毒殺したり、闇討ちして寝首を掻く(暗殺・謀殺)行いが多いと伝えられる所から、余り人気が無いそうです。 宇喜多が知名度が低いのは、毛利が徳川300年を生き抜いたのに対して大名家としての家名を存続出来なかったからではないでしょうか? ★

宇喜多直家 ・政敵 島村盛実 暗殺 ・隣国の三村家親 暗殺 ・娘婿の松田元賢を攻め殺す ・妹婿の伊賀久隆も暗殺(?) ・浦上氏に謀反して敗退。幸運にも帰参を許されるが、二度目の 謀反はより周到に実行。 ・謀反に利用した浦上久松丸を毒殺(?) 二人の違いは、直家のほうがより陰湿とされること。

確かに同じ謀略家ですが、元就は謀略以外でも華々しい勝ち戦でも知られています。 有田合戦とか、厳島の戦い、月山攻略戦などなど。それに最初は大内・尼子の間で苦しみながらも、最終的には1代で中国地方の覇者にまで成長。並みの能力じゃないのは明らか。 対して直家は華々しい勝ち戦がありません。 まあ、本当はあるんでしょうが、出身地が岡山である私ですら知りません。なんとなく謀略オンリーでのし上がったイメージがあります。 それと、最終的には織田、毛利に挟まれ苦労するのは初期の毛利と同じですが、そこで止まっています。 要するに、直家には華々しさがない、謀略のイメージしかない、そこそこの戦国大名にはなれたが地味なまま、このあたりが評判の悪さ、知名度の低さの原因ではないでしょうか? ま、元就は家族を非常に大事にしましたが(筆まめでしたし)、直家の場合肉親に怖がられるエピソードしか残ってないんですよね。この辺にも親しみにくい感じが。 あと、元就は華々しい勝ち戦や中国地方の覇者としてそこそこ小説などの題材になっていますよね。大河ドラマもありましたし(あれは元就のイメージUPにかなり貢献しているんじゃないでしょうか。私もあれで元就に対していいイメージを持ちましたし) 直家は地味でイメージが暗くて小説の材料になりにくいし・・。