さぁ、どうでしょう。
実際、この赤字の信頼が揺らぐ場面は結構存在します。
例えばEP3において秀吉が証人として召喚された際、
まさかの赤字「わしはずっと部屋におったで(。)事件の前後の時間帯は全てや」を使用します。
このように、ベアトリーチェ以外が赤字を使った場合においては
必ずしも「赤は真実のみを語る」と宣言されてはいません。
(注:エヴァ・ベアトリーチェは赤は真実と断っています。)
彼らが“赤字=証拠を必要としない絶対の真実”の方程式を守る必要性はありません。
また、赤字のなかには「発言者の主観」が大幅に含まれるものもあります。
それらもまた、赤字の信頼を揺るがす一つの要素です。
では、ベアトリーチェの赤字はどうでしょう。
彼女は「妾が赤で語ることは全て真実」と宣言しています。
この宣言自体が真っ赤な嘘ならば、彼女はいくらでも赤字で嘘を語れます。
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ですが、『うみねこ』は人間と魔女との「ゲーム」です。
そしてベアトはこのゲームをフェアなものとするために赤字を持ち出しました。
赤字は「戦人の陳腐な推理を打ち砕く」のには最適の手段です。
ですが、赤字は同時に魔女の首を絞めるものでもあるのです。
なんせベアトリーチェは「犯人は魔女」などとは赤で語れないのですから、
突き詰めていくと“人間の犯人”が浮かび上がってくるのです。
また、赤字は戦人だけでなくプレイヤーにも必要なものです。
『うみねこ』では虚偽の描写が多く登場します。
それらの見極めはかなり難しく、逆にいえば『うみねこ』の醍醐味です。
虚偽の描写が一番多く含まれているのが、殺人シーンです。
EP1では嘉音殺害以外では魔法殺人の描写は本編に登場しません。
(注:アニメ第5話Bパートは「お茶会」であり、本編ではありません)
EP2においては殺害シーンが明確に、魔法によるものとして描写されます。
ほぼ全ての犯行をベアトリーチェが行ったことになっています。
しかし、「人間犯人説」をお考えでしたら それらの描写はすべて幻想。
あの描写を信じる事が出来ないのです。
「地の文」を全く信じられないと言う奇妙な状況ができてしまいました。
仮に普通の文字を「白字」と呼びましょう。
その文字に虚実が含まれているなら、戦人の現場検証すらも疑わしくなります。
つまり、この「人間と魔女とのフェアなゲーム」が破綻します。
それを防ぐために投入されたのが「赤き真実」です。
疑う余地の必要ない情報であり、そして「魔女からのヒント」です。
これがなければ私たちプレイヤーの考察は陳腐なものになってしまうでしょう。
もちろん、白字にも真実は含まれます。
赤字に比べると見極めは非常に難しく、これだけでは『うみねこ』を読み解けませんが。
結局のところ、「赤き真実」が本当に真実か否かを判断するのはプレイヤー次第です。
私は前述の事情からベアトリーチェの赤字を信じています。
魔女ではなく、“彼女”を信じられるか。
おお、うみねこの根幹部分っぽいですねぇ。