▲ Vocalの故マサミ氏。写真は1983年。


80年代当時の日本のハードコアパンクシーンは他のジャンルとの共存をほぼ拒み、閉鎖的ともいえる独自の世界の中にいた。

ギズム、ガーゼ、ローズローズな ど数多くのパンクバンドたちが同じようなカテゴリーの中で活動を続けていた。そんな中でも圧倒的なカリスマ性を持っていたのが、1984年にマサミが中心 となり結成されたGHOUL=グールで、特にボーカルのマサミの存在感は当時のパンクシーンでも圧倒的であった。彼は事故で右手を失っ た障害者でもあった。そして、その失った手首をいつでも持ち歩いていたということだった。

(このあたりは噂レベルで、真偽はわかりかねるが、本当だと思っていた方が私としては理解できる)

マサミは90年代に入り病気で亡くなった病気というのは、つまりはオーバードーズによるものだったといわれているが、そのあたりの真偽は私は知らない。いずれにしても亡くなったことは事実だ。それを聞いた時に、ハードコアパンクも終わりのような気がした。実際にどうなったかは別として、確かにそんな感じだった。

私は目黒の鹿鳴館でマサミが観客でいるところの隣で客だったことがある。彼は、ステージに群がる客に向かって、背後から消化器や階段(!)を投げつけては 笑っていたが、冷静に観察してみると、彼はパンクスの格好をした客、すなわち「自分と同じフィールドにいる者」に対してしか攻撃はしなかった。それは、パンクスであるファンや若い観客にとっては、実は究極的な娯楽であり、愉しみであったはずだ。

「マサミにケガさせられちゃったよ!」と弾んだ声で、友人たちと楽しそうに話す彼らの姿が目に浮かぶ。男の子は本能的に暴力が好きで、怪我が大好きだ。死にさえしなければ、怪我や危険はいつでも彼らの武勇伝。友達や恋人にいつだって「オレはよお」と自慢できる。

そう……死にさえしなければ。

マサミだけではないが、当時も今もハードコアの人間たちは凶悪なイメージがウリだ。
凶悪なイメージをウリにするのは、ハードコアパンクの世界の掟に近いものがあるが、マサミはまた人望も厚い人だったようだ。彼の死はハードコアファンではない人々にもショックを与え、病床には友人やファンたちが見舞いに来たと伝え聞く。そして、多くの人たちに見守られながら、マサミは亡くなった。


[追記]

インディーズ80sを見ていて下さる方からメールで「マサミについては鶴見済の『無気力製造工場』に詳しい」ということを教えていただいた。早速、古本屋でこの本を探し読んでみた。この本の中の「片手のパンクス」マサミはなぜ死んだのか? 証言構成「カリスマの生きざま」という記事にまとめられている。

なるほど、確かにマサミの生い立ちや死に関して様々なことが書かれてある。興味のある方は読んでみるのもいいだろう。

マサミがなくなったのは92年だが、この本によると主な死因は酒だそうで、89年に倒れて、そのまま92年まで植物人間だったそうだ。マサミの追悼ライブは新宿アンティノックで92年11月19日から5日間行われ、観客数は1956人に達したそうだ。やはり、友人は多かったらしく、いろいろな人からのコメントが載っている。あと、これを読んで初めて知ったのだが、享年が35歳だった。つまり、今生きていれば49歳。私よりも年上で、最後のライブの頃はすでに30歳を越えていたのだなあ、ということを知った。

それにしても、酒でそこまで壊滅的な死を迎えるというのはどういう状況だったのだろう。

私事で恐縮だが、私も若い時から酒を飲む。
しかも異常な量を飲む。
マサミも一日中飲んでいたとのことだが、私も二十代〜三十代はフルタイムで飲んでいた。今でもそうだが、量としてもウイスキーを1日数リットルなどということもある。3回倒れて、二度入院している。しかしまだ死んでいないし、どうやら体もまだ大丈夫だ。マサミがまだ若いのにそこまで酒でダメージを受けたというのには他に理由がありそうだ。しかし、それはもうわかりようがないのかもしれない。


YouTube]Ghoul - Live at 消毒ギグ / 1986年