神様も女房には頭が上がらなかった
事業の難しさ、厳しさを骨身に沁みる思いで噛みしめながらも、しかし生きていかなければならない。夫人のむめのは、着物の裾をからげ、ソケットの素材となる「アスファルトと石綿、石粉」などを真っ黒になりながら昼夜を問わず練り上げる一方、たびたび実家の淡路島に帰ってはカネの工面に奔走した。
はじめは親に泣いて頼み、やがて親戚中に頭を下げて回っては、資金の調達を続けたのである。
むめのの実家のある兵庫県東浦町(現淡路市)で町長を5期20年つとめ、むめのとは遠縁の関係にあたる新阜京一は、祖父の新阜文吉から伝え聞いた話としてこう語った。
「文吉さんの話では、むめのさんは、実家にようお金を借りに来た、いうことや。事業をはじめた端の頃で、お母さんのこまつさんも一生懸命こしらえてな。ほんでも足らん分は親戚の井戸藤吉さんや井戸熊吉さんなんかが、それじゃウチが用意しようかいうて貸したいうことですわ」
銀行が洟も引っかけなかった時代、むめののおかげで幸之助は事業を続けることができたのである。家族経営のささやかな作業場は、70年後には資本金1849億円、売上高6兆円、本社だけで約4万人の従業員を抱える世界的企業へと発展することになった(幸之助が逝去した平成元年度の決算書等)。
だからこそ、幸之助は、むめのの意思を無下に退けることができなかったのである。
むめのにしてみれば、正治はひとり娘幸子の夫であり、かわいい孫の正幸の父親である。将来、孫の正幸に社長を継がせるためにも、正治が社長の座に居続けることを強く望んだ。
しかし丁稚奉公からたたき上げ、事業を成してきた幸之助には、人情にとらわれることなく、事実に忠実であろうとする習性が備わっていた。幸之助は、早くから正治の経営能力を見限っていたのである――。
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