なぜぼくたちだけが生き残ったのか?
人類進化のホットスポット、アジアの化石発掘現場から始まる壮大な謎解きの旅!
人類史を俯瞰してみる
前々回(第15回)と前回(第16回)、2回続けて、700万年にわたる人類の歴史を概観した。
そのなかでとくに印象的だったのは、「出アフリカ」というイベントだ。
文字通り、アフリカで生まれた人類が「アフリカを出て広がる」という意味で、それが人類史の中で、少なくとも原人と新人の段階でそれぞれあり、おそらく旧人についてもあった、と想定されているのである。
では、人類はそれぞれの段階で、どこまで広く分布していたのだろうか。海部陽介さんが、まさにその地図を見せてくださった(図1)。
それがやはり、興味深い。人類進化と地理的な分布は、とても密接に関係しているように見える。
猿人は、アフリカに留まった。それもアフリカの東側が中心だ。
原人は、アフリカのほぼ全域に広がるとともに、出アフリカを果たした。当時、まさに「人類未踏」の地だったユーラシア大陸を歩き、遠くアジアまでやってきたパイオニアだ。ただし、分布はユーラシア大陸の南半分に限られていた。北京原人の居住地はその中でほぼ最北端にあたる。
旧人は、ヨーロッパやアジアでの分布を、原人のときよりもいくらか北側に広げた。しかし、寒冷なシベリアの中心部には踏み込めなかったようだ。
そして、いよいよ新人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出ると、シベリアを含むユーラシア大陸の全土に広がる。さらに、南北アメリカ大陸にまで進出していくさまは、地図の上で見るだけでもダイナミックで、壮大なドラマを感じさせる。
系統樹を見てみよう!
「地理的な理解」を深めたところで、今度は、時間軸に沿った系統関係を見てみよう(図2)。すると、これまで文章で表現してきたことが、もっと具体的に把握できる。
今、研究者が合意しているのは、猿人→原人→旧人→新人というふうに、人類が一直線に変化してきたというわけではないということだ。かつてはそういう説もあったが、研究が進むにつれて、そう単純なものではないことが見えてきた。
この系統樹では、700万年ほど前にチンパンジーやボノボの系統と分岐したあたりを「人類の誕生」としている。
「最初期の人類」から、「初期の猿人」を経て、アウストラロピテクスなどの非頑丈型猿人が登場するまで、一本の幹のみが描かれているが、実際には、いくつもの分岐があった可能性がある。
たとえば最近、日本で有名な「初期の猿人」ラミダス猿人の残存かもしれないグループが、アウストラロピテクス・アファレンシスがいた350万年前頃に存在していたという報告が出ているそうだ。
その後の猿人の進化はちょっと複雑で、研究者の間でも異論・論争がある。でも、おおまかな合意としては、まず「南アフリカの非頑丈型猿人」(アウストラロピテクス・アフリカヌス、いわゆるアフリカヌス猿人)が、ホモ属に至る幹から逸れたらしい。メインの幹はその先で、最初のホモ属である原人になっていくグループと頑丈型猿人になっていくグループに分かれていく。
特筆すべきは、最初のホモ属である原人(ホモ・ハビリスやホモ・エレクトス〔エルガスター〕)が登場したあとも、頑丈型猿人が実に100万年以上にもわたって、アフリカにおいて共存していたことだ。頑丈型猿人は、頭骨などを見るかぎり異形ともいえ、特殊化が極まったように見える人類だが(第15回参照)、原人とうまく棲み分けて長期間、繁栄することができたようだ。
その一方で、原人もその後、大きく枝分かれした。出アフリカを果たしたホモ・エレクトスがジャワ原人、北京原人といった地域集団に分かれていったほか、アフリカに残った原人からアフリカの旧人が生まれ、そこからネアンデルタール人などの旧人が分岐しつつ、最後はホモ・サピエンスに進化していく、というシナリオが系統樹から読みとれる。
ただし旧人については、ややこしい面が残っている。ヨーロッパでは、そこに現われた最初の人類(原人?)とあとで出現するネアンデルタール人(旧人)との関係がよくわからない。
中国の旧人も、北京原人から進化したのか、よそからやってきたのかについて議論が今もある。だから、この系統樹では、旧人の起源のあたりに「?」がたくさんついている。これから究明されるべき課題だ。
系統樹を仔細に眺めてみて言えることは、人類は多様に分岐してきている、というのがまず一点。
また、何度も強調してきたけれど、同時代に複数の人類がいるほうが当たり前であったことも、はっきり示されている。
先に述べた通り、原人がアフリカで生まれたとき、そこには頑丈型猿人もいて、両者は長きにわたってアフリカで共存した。新人、ホモ・サピエンスが出アフリカを果たしたときには、アフリカとユーラシアの各地にすでに旧人集団がおり、一部には原人も残っていた。これはわずか数万年前の話だ。
さらに、もう一点。ホモ・サピエンスにつながらない、いわば傍流にそれてしまったグループ(たとえば、ジャワ原人)でも、脳容量の増大や咀嚼器官の縮退などが「本流」と同じような変化を遂げている。そのことの不思議に、思いを馳せたい。もしも、ジャワ原人がその調子で進化していたら、ひょっとすると「旧人」と呼ばれうる子孫を生みだしていた可能性もあるわけだ。
同じホモ属として、おそらくは似た選択圧を受けて、似た方向に進化していたと解釈することもできるし、ホモ属にはそのようなポテンシャルがあった、ということなのかもしれない。ただし、系統樹を注意深く見ると左の上のほうに描かれているフローレスの小型原人という例外はあって、これはのちのち別立てで語る大きなテーマだ。