子供は30人!京急沿線を暗躍した「ケタ外れの怪人物」木村荘平伝説

知られざる「性経一致」のビジネスマン
鈴木 勇一郎 プロフィール

「いろは王」と京急のご縁

今日、木村荘平についてとり上げるときには、「性経一致」の牛鍋屋チェーン「いろは」の主人としてか、近代食肉産業のパイオニアとしての位置づけがほとんどだ。木村の事業についての言及は断片的で、数多い彼の事業の全体像が語られることはない。

しかし、木村の生涯全体を見渡すと、彼は単に子だくさんの牛鍋チェーン経営者であったのではなく、明治の都市東京で必要とされたさまざまな分野にその足跡が及んでいる。穴守稲荷への関わりもそうした事業のひとつだった。

 

さて、木村が穴守稲荷に関わるようになったのは、自宅の近くに住む火消しの元親分らが穴守稲荷のご利益を吹聴するのを聞いて、自らも一族郎党総勢40余名を引き連れて参拝したことがきっかけだったという。

木村がその参拝でどのような功徳を得たのかはよくわからないが、神仏に対する信心が篤かったことはたしかなようだ。その後、講の組織化に取り組むとともに、大鳥居を寄進するなど、穴守稲荷の発展に力を尽くすようになった。

現在、京急空港線には大鳥居という駅があるが、その名の由来をつくったのも木村ということになる。「いろは王」木村荘平には「穴守神主」との異名も授けられている。

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穴守稲荷の急速な成長は地元の人々の努力があってのものであったことはたしかだ。しかし、それだけでは市街地から離れた新興の無名神社に東京中から人を集めるなどということはできなかっただろう。

知名度がほぼゼロの状況から、川崎大師を競争相手と見るほどのはやり神へと急激に成長していくには、木村のような事業拡大のプロ、並外れた「やり手」の関与が欠かせなかったのである。

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