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527年 磐井の乱が起こる [年号のゴロ合わせ]

これまで中国の歴史書をいくつか取り上げてきました。
いよいよ、日本の歴史書から日本史を見ていく時代に入ります。



今日、ご紹介するのは磐井(いわい)の乱。
筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井の乱、とか筑紫君(つくしのきみ)磐井の乱、とか
さまざまな呼び方があります。
国造とか君とか、ややこしいものが出てきました。
そう、ちんぷんかんぷんな氏姓制度ですね。
最初にこれを簡潔に説明していきましょう。

氏姓制度とは、ヤマト政権が5~6世紀ごろにつくりあげたといわれる政治的身分秩序です。

まず、大王家、そして豪族たちを、血縁などの関係をもとに「氏(うじ)」と呼ばれる組織に編成します。
親戚をひとまとめにした、と考えてください。
その氏という組織は、それぞれ土地と家来を所有します。
さぁ、空欄に入る言葉は分かりますか?

大王家の場合は
大王家.jpg
1…屯倉(みやけ)
2…田部(たべ)
3…子代・名代の部(こしろ・なしろのべ)

豪族の場合は
豪族.jpg
4…田荘(たどころ)
5…部曲(かきべ)

となります。空欄に入る語は、読み方もしっかり覚えましょうね。

つぎに、氏のトップ、すなわち氏上には大王から姓(かばね)という称号が与えられます。
姓.jpg
6…臣(おみ)
7…連(むらじ)
8…君(きみ)
9…直(あたえ)

そして、なかでも有力な氏上には様々なリーダー職が与えられます。
役職.jpg
10…大臣(おおおみ)
11…大連(おおむらじ)
12…伴造(とものみやつこ)
13…国造(くにのみやつこ)

理解できましたか?
一覧にまとめておくと
氏姓制度.jpg
こうなります。
なかなか理解しづらいところなので、ゆっくりゆっくり覚えていってください。

筑紫磐井が、姓では筑紫君磐井、役職では筑紫国造磐井と表記することは分かりましたね?
その磐井が、新羅と結んで北九州で反乱を起こしたのは527年のことです。

このころ、朝鮮半島では高句麗と新羅が百済・加耶諸国を圧迫していました。
百済と仲良しで、かつ加耶諸国に進出していた日本としては、これを許すわけにはいきません。
よって、ヤマト政権は、近江毛野(おうみのけぬ)をリーダーとして朝鮮半島へ軍隊を派遣しようとしました。
これを知った新羅は、筑紫磐井にワイロを送り朝廷の軍隊を妨害するよう求めたのです。

ヤマト政権に対する大規模な磐井の乱は、1年半がかりでようやく制圧されました。
誰に制圧されたか、書けますか?
物部麁鹿火(もののべのあらかひ)、たいへん書きにくくて読みにくい人です、注意すること!

では、ここで今日のゴロ合わせ。

527年.jpg

敗れた磐井が、死後に埋葬された古墳は分かりますか?
福岡県にある岩戸山古墳ですよ~。
ここからは、カワイイ石人や石馬など多くの石製品が出土しています。



それでは、今日はここまで☆
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