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美味しんぼ

人は“変われる”もの?冷酷無比だったけど…海原雄山、変わりました!

作品データ/『美味しんぼ』 原作:雁屋哲、作画:花咲アキラ 『ビッグコミックスピリッツ』連載中(2016年8月現在は休載中)、既刊111巻(2016年8月現在)

実子(主人公)へも容赦ない数々の名“暴言”

 人は“変われる”ものでしょうか?

 30歳を過ぎた頃には自分自身のプライドやポリシーがしっかりと定まり、よくも悪くも価値観が凝り固まって、歳を重ねれば重ねるほど人生途中からの路線変更は難しいかもしれません。

 孔子の言葉で「五十にして天命を知る」というものもありますが、知命(50歳)を過ぎていればなおのこと…。

 でも、生き方を180°ガラリと変えることは難しくても、固定観念にとらわれすぎず、まわりの家族との関係性や恋人・友人・知人からの助言によって少しずつでも変わっていくことで、自分の人生をより豊かにできることもあるのではないでしょうか?

 ――さて、『美味しんぼ』には主人公・山岡士郎の父である海原雄山という御仁が登場します。

「女将を呼べッ!!」

(※料亭で出されたお吸い物と煮魚に不満を抱き、それらの料理をガシャンと手でなぎ払った末の一言)

「馬鹿どもに車を与えるなっ!!」

(※渋滞に巻き込まれた車中にて、必要もなく車に乗る人々がいるから混むのだと説いた後の一言)

 こんなものじゃありません。彼の名“暴言”は実の息子である山岡士郎にも向けられます。

「ま、しかし、ハンバーガーみたいな下衆な食べ物は、士郎とよい取り合わせだわ」

「食べ物の味もわからん豚や猿(山岡たちのこと)を、私と一緒の席に着かせるのか!!」

「野良犬(山岡たちのこと)の一匹や二匹ひき殺したからといって、いちいち私の車を止めるな!」

 物語初期に、これらの名“暴言”の数々を発し、『美味しんぼ』において、ある意味、主人公以上に欠かせないキーパーソンとなっているキャラクター、それが海原雄山なのです。

 改めて紹介しますと、『美味しんぼ』とは1983年に連載スタートしたグルメマンガの金字塔。

 新聞記者である山岡士郎と同僚でパートナーの栗田ゆう子が取り組む「究極のメニュー」と、山岡の父で高名な陶芸家の海原雄山が総指揮を執る「至高のメニュー」の対決を描いた本作は、111巻まで刊行されているものの現在は長期休載中。けれど、今年3月に原作者である雁屋哲氏が近い将来描く予定の最終回に向けての構想を明かしており、今なおマンガファン、美食ファンから熱い注目を集めています。

 かつてアニメ化、実写ドラマ化、実写映画化も果たした人気作ですので、詳しい内容は知らなくとも料理をテーマに犬猿の親子対決が描かれていることや、先に記したような高慢・不遜ともとらえられるようなキレッキレの言動の数々で海原雄山が“ラスボス”然として君臨していることなどはご存知の方も多いはず。

 もちろん、海原雄山のセリフの数々は一見すると高慢・不遜に思えてしまうことも多いものの、しっかり物語を読み解くとその言動は筋が通っていたり、深いお考えがあってのことだったりすることがわかるのですが、テレビアニメやテレビドラマをちょこっと観たことがあるというぐらいのライトなファンの中には、“プライドが高くてすぐ激昂する恐いオジサン”という認識の方もいることでしょう。

 だが、しかし…です。

 人は“変われる”ものでしょうか?

 はい。海原雄山、変わりました。
      

孫に顔をペチペチはたかれる姿を誰が予見できたか?

 物語初期から中期にかけて、あれだけ気性激しくののしり、あれだけチクチクと嫌味をいっていた息子・山岡士郎と、何と物語後期に電撃和解を果たし、さらには孫(士郎の子ども)たちに囲まれて和気あいあいとした微笑ましいシーンを披露するまでに至っているのです!

 そう、初期では山岡たちを「食べ物の味もわからん豚や猿」とまでののしっていた彼が、双子の男女の幼い孫たちに「じいじい」とペシペシ顔をはたかれり、頭によじのぼられて「ちゅきちゅき」と甘えられて“悪い気はしない”表情を見せたりと…あえて誤解を恐れずにいうならば、初期設定からの“キャラ崩壊”ともいえるようなシーンが描かれているのです!

 とはいえ、当然、いきなりキャラ変更したわけではありません。

 この双子の孫たちとたわむれるシーンが描かれたのは86巻。膨大な巻数を経て、ようやく辿り着いた“キャラ変”なのです。

 当初は、実際に山岡がそう評していたように「冷酷無比で残忍」なキャラとして描かれていましたが、物語が進むにつれて敵対関係でありながらも山岡の実力を認めるようになっていき、徐々に厳しいが筋を通す人格者のように描かれていきます。

 そして、47巻で山岡は栗田ゆう子と晴れて結ばれ、結婚披露宴を行うのですが、その際、海原雄山にも出席してもらいたいと考えたゆう子がいろいろと策を巡らせ、彼女の心意気を汲んだ海原は息子の披露宴に出席するのです。

 その場で海原はこの披露宴用に考案した「至高のメニュー」を披露するのですが…それはご飯、味噌汁、豆腐、漬物、鰯、大根といった質素なもの。

 しかし、もちろん意図がありました。

「さて、今日この惣菜料理を披露宴の料理として選んだ理由だが、それは、“みすぼらしさ”にある」

「高価で珍貴な食材を用いた下衆極まる料理もあれば、安価で平凡な食材を使って至高の口福と感動を与えるものもある、ということなのだ」

 海原雄山はそうスピーチし、新郎新婦を祝うのでした。

 まだこの頃は和解には到底至っていませんでしたが、敵対しつつも料理に真摯に向き合うその山岡の姿勢は認めていた証拠ともいえるでしょう。

 逆に考えれば、47巻で息子の披露宴に出席するほど“雪解け”しかけていたにも関わらず、その子ども(孫)と和やかに過ごすシーンが描かれるまで約40巻も費やし、さらにいうなら山岡との本格的な和解に至ったのは102巻でしたので、さらに約15巻も費やしていたことになります…!

 ――例えば仕事に邁進し続けていたりして、自分のそれまでの生き様に誇りを持っている人ほど、途中で行き方を変えるのは容易ではないですよね。

 ですが、あの海原雄山でさえ、長い年月をかけて、少しずつですが自分自身の殻を破っていったんです…!

 己のプライドやポリシーを守り抜くことも大切なことですが、より幸福な人生を目指すのであればそこに固執しすぎず、自分自身の新たな一面を引き出すべく“生き方”を変える勇気も必要なのかもしれませんね。
      

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