中村梅雀、末期がん患者役迷わず受けた 墓作り「すてきな作業」…公開中「山中静夫氏の尊厳死」

スポーツ報知
取材の受け答えからも人柄の良さが伝わってくる中村梅雀(カメラ・橘田 あかり)

 俳優の中村梅雀(64)が、津田寛治(54)とダブル主演した映画「山中静夫氏の尊厳死」(公開中、村橋明郎監督)が静かな話題を呼んでいる。余命宣告された主人公の終活物語。演じる過程で劇団前進座を率いた中村梅之助さん(享年85)とピアニストだった母、光子(てるこ)さん(享年93)の存在の大きさを感じたという。一方で4歳の娘を持つ良きパパ。成人を迎える80歳まで「絶対に元気でいないと」と活力をみなぎらせる。(内野 小百美)

 梅雀が演じたのは、末期の肺がんで余命3か月を宣告された主人公。定年を迎え、さあ自分の人生をおう歌しようと思った矢先。自分が入る墓を作る決意をする。重たい役だ。オファーに迷うのが普通かもしれない。

 「いえ、迷いは全く。自分の最期を自分の思い通りに。お墓を作ることも、すてきな作業に思えて」。梅雀の父は時代劇「遠山の金さん」でも知られた梅之助、祖父は歌舞伎俳優で前進座を創立した中村翫右衛門。肝っ玉の据わった2人は「役者なら人が死ぬところをよく見とけ」という考え。実際に2人のその瞬間を見届けた。

 「まさか、それが生きる時が来ようとは。それと撮影中、母が危篤で。この巡り合わせは何だろうと思いましたよ」。梅雀は一人っ子だ。でも実は生まれた翌日に亡くなった弟と死産した妹がいた。母は妊娠中毒症に苦しんでいた。

 「僕を産む時、母の体はもうボロボロだったそうです。ずっとピアニストでいたかったでしょうが劇団のために切符売りもしたり」。どんな犠牲もいとわず、命を削ってきた母に、自分で墓を建てる映画に出る話をした時に聞いた。

 「おふくろ、どう?墓に入ってまで父やおじいちゃんに気を使いたくないんじゃない?」と。「返ってきたのは『いいわよ、そんなの。死んだら分からないわよ』でした。同じ墓に入ると。こういうこと聞くのはタブーですが、映画に出たおかげです。自分も家族には先に伝えておきたい」

 生まれ育った前進座を退座して12年になる。はたから見れば大きな劇団を受け継ぐのが使命と映るかもしれない。しかし弟妹を失い、死を理解できない幼い頃から、梅雀は「生かされること」を自問自答して育った。「無意識に客観性が養われたように思います」

 劇団を離れるにあたり「確かに勇気はいりました。でも外部の仕事でやりたいことがどんどん増えてきて」。再婚の時期とも重なり、心機一転した。父も「止めることはできない。後押ししてやる」と送り出してくれた。その後の活躍を見れば、決断が間違っていなかったのは明らかだ。

 刑事、検事、監察官など主演ドラマでは「ずっと正義の味方でした」。新境地を開きたい気持ちにも駆られている。「元々、人をびっくりさせるのが好きで。いい人と思ったら実はあっと驚く極悪人とか。見る人を良い意味で裏切り続けたい」

 帰宅すれば、59歳の時に生まれた4歳の娘のパパ。表情がより柔和になる。豊かな感性を持った女の子で父に飛び込む“身投げの遊び”が好きだという。「重くて。でも『絶対受け止めてよ!』。バーン!ときますから。向こうも僕を信じて飛び込んでくる。裏切っちゃいけない。いま体重16キロ。20キロはあっという間。成人する時80歳。それまで絶対に元気でいないと」。何と優しいお父さん。さらに極悪人役を見てみたくなった。

 ◆暗い映画にならずに済んだ

 村橋明郎監督「どこか世界が違う人なのかと最初は思いましたが、ものすごくチャーミングな人でした。梅雀さんのおかげで暗い映画にならずに済んだと感じています」

 ◆山中静夫氏の尊厳死 芥川賞作家・南木佳士(なぎ・けいし)氏の同名小説が原作。定年直後に余命宣告を受けた男性(梅雀)とその彼に寄り添う医師(津田)を通じ「生き抜く」こととは何かを問う。共演は田中美里、浅田美代子、高畑淳子ら。主題歌「老いの願い」を小椋佳氏が担当。107分。

 ◆中村 梅雀(なかむら・ばいじゃく)1955年12月12日、東京都生まれ。64歳。四世中村梅之助の長男で祖父は三世中村翫右衛門。9歳の時、初代中村まなぶとして初舞台を踏み、80年、劇団前進座に入団し、同年2代目梅雀を襲名。2007年退団。「赤かぶ検事奮闘記」「釣り刑事」(ともにTBS系)など2時間ドラマのシリーズものに多数主演。06年、前進座の女優だった25歳下の瀬川寿子さんと結婚。ミュージシャンでもあり、ベーシストとしてライブも行う。血液型AB。

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