石原慎太郎元東京都知事、死去 89歳 芥川賞作家

スポーツ報知
石原慎太郎氏

 元東京都知事で芥川賞作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが死去した。89歳だった。関係者が1日、明らかにした。1968年に参院選に当選後、国会議員、都知事として歩んだ政治家人生は46年。2014年に政界を引退し、翌15年に脳梗塞を発症した後も、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で時には周囲から批判を浴びながらも自らの信念を貫き、存在感を示し続けたが、ついに力尽きた。

 作家として数々の問題作を世に送り出し、政治の世界では舌鋒(ぜっぽう)鋭い攻撃で、堂々と持論を訴えた石原さんが、この世を去った。

 15年6月、島根県益田市での講演後、「頭が重たい感じがする」と訴え、市内の病院へ救急搬送。退院後に軽い脳梗塞を発症したことを明かし、最近は足がやや不自由な様子も見せていたが、以前と変わらぬ語り口で、90歳を間近に迎えても意気軒昂(けんこう)たる姿を見せていただけに、驚きに包まれた。

 半世紀近い政治家人生を送った石原さんだが、名前が世間に知れたのは、作家としての方が先だった。一橋大在学中の55年、「太陽の季節」で芥川賞を当時史上最年少で受賞。大胆な性描写が注目を浴びた。同作は翌年に映画化され、後に大スターとなる弟・裕次郎さんのデビュー作となった。

 同作には石原さんも出演しており、その際の髪形が「慎太郎刈り」として流行。また、「太陽族」の流行語を生み出し、一躍時代の寵児(ちょうじ)となった。57年には長男で元国土交通相の伸晃氏が誕生。その後、62年にタレントの良純、64年に衆院議員の宏高氏、66年に画家の延啓氏と、四男に恵まれた。

 政治家としてのデビューは68年の参院選。自民党から全国区に出馬し、トップで初当選を果たした。72年には衆院選にくら替えし、以降当選8回。この間に環境庁長官、運輸相を務めた。その後、4年間の“浪人期間”を経て、99年東京都知事選に出馬。初当選し、75年に当時の美濃部亮吉知事に敗北したリベンジを果たした。東京マラソンを実現させたほか、06年からは東京五輪の開催を公約に。16年の招致はかなわなかったが、20年の開催に向け、道筋を作った。

 4選から1年半後の12年10月に突然知事を辞任し、太陽の党を結成。代表に就任し、橋下徹大阪市長が率いる日本維新の会に合流した。その後、17年ぶりに国政復帰するも、14年には橋下氏とたもとを分かち、次世代の党を設立。同年の衆院選落選を最後に政界から引退した。

 引退後も“隠居”することはなく、度々その言動が注目を集めた。16年には、かつての「天敵」であった田中角栄元首相を「俺」という一人称で記した自伝的小説「天才」がベストセラーに。同年7月の東京都知事選では、小池百合子氏を「大年増の厚化粧」と揶揄(やゆ)し、大きな批判を呼んだ。また、17年には、都知事時代に関与した築地市場の豊洲移転問題に関して、都議会の百条委員会にかけられ証人喚問。「部下に一任していて分からない」とうそぶいた。

 東京五輪・パラリンピックまで1年となった19年7月には、スポーツ報知のインタビューで「新国立競技場のメインポールに日章旗を揚げたい。何回でもいいから、君が代を聴きたい」と開催を楽しみにしていた。

 ◆石原 慎太郎(いしはら・しんたろう)1932年9月30日、兵庫・神戸市生まれ。弟は歌手・俳優の石原裕次郎さん(87年死去)。神奈川・湘南高卒業後の52年、一橋大法学部に進学。在学中の55年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。「太陽族」の流行語を生み出す。68年、参院選に初当選。72年、衆院に転じ、環境庁長官、運輸相を歴任。95年に辞職。99年、東京都知事選に出馬し、当選。4期目の途中の12年に辞任し、新党「太陽の党」を結成。その後、日本維新の会に合流し同年12月の衆院選に比例代表で当選。17年ぶりに国政復帰。14年、「次世代の党」を結成。同年12月の衆院選に比例単独で出馬し落選。政界引退を表明。

社会