顔を出さないヒーロー古谷敏…初代ウルトラマン誕生秘話「光の国を創った人たち」〈13〉

スポーツ報知
「ウルトラマン」のスーツアクターを演じた古谷敏さん(2011年5月9日撮影)

 今年、初回放送から55周年を迎えた人気特撮ドラマ「ウルトラセブン」が、盛り上がりを見せています。10月には「第35回東京国際映画祭」で特別上映され、雑誌などでも特集が組まれるなど、今後1年にわたって様々な関連イベントが企画されています。

 1966年7月、「ウルトラマン」からスタートした「ウルトラマンシリーズ」は、「―セブン」(67年10月~68年9月)と続き、21世紀に入っても、新たなヒーローが、宇宙の平和を守ってくれています。

 スポーツ報知では円谷プロの協力のもと、45周年となった2011年に初代ウルトラマンの誕生秘話を追った連載「光の国を創った人たち」を全20回、掲載しました。続いて12年には「ウルトラセブンを創った人たち」を20回にわたり連載。様々な関係者の証言を元に、永遠のヒーローの実像に迫りましたが、今回、この2つの連載をWEBのみ加筆・修正して再掲載します。

 まずは「光の国を創った人たち」からスタートです。お楽しみください。(毎日正午更新)

 第1話「ウルトラ作戦第一号」で視聴率34・0%をマークしたウルトラマンは、その後も30%台をキープする。20%台に落ちたのは全39話中、第4話の「大爆発五秒前」(29・4%)と、第5話の「ミロガンダの秘密」(29・0%)の2話だけ、という大ヒット番組になった。

 関連商品も売れに売れた。喫茶店でコーヒー1杯が約77円の時代。放送前、TBSはウルトラマン関連の商品化収入を100万円程度と見積もっていたが、最終的には1億5000万円に。人気爆発は出演者の生活をも一変させた。

 「撮影を終えてアパートに帰ると、隣のおばさんが言うんだよ。家の前に子供たちが集まって『アラシ、アラシ』って大合唱していた、って。それが放送終了まで続いたんだから」。毒蝮三太夫は過熱したブームをこう振り返った。

 子供たちのヒーローとなった科学特捜隊のメンバー。撮影スタジオで常にまばゆいライトを浴びている彼らを、最大のヒーローであるウルトラマンのマスクの中から、羨望のまなざしで見つめる男がいた。スーツアクターとして全39話を演じきった俳優・古谷敏だ。

 古谷は東宝に15期ニューフェースとして入社。端役で何本かの映画に出演した後、東宝の指示で円谷特技プロ(当時)に出向した。そして、「ウルトラQ」で海底原人ラゴン、ケムール人のスーツアクターを務めた。

 「当時はスーツアクターなんて言葉はありませんでした。『ぬいぐるみ役者』『着ぐるみ役者』なんて呼ばれたものです。忸怩(じくじ)たる思いがありましたよ。だって、俳優なのに顔が出ないんですから」

 だが、長身痩躯(そうく)の古谷が中に入ったラゴン、ケムール人が、デザインを手掛けた成田亨が描いた「八頭身の怪人」のイメージ通りとなり、これが後のウルトラマンへの起用につながった。=文中敬称略

 ◆古谷敏(ふるや・びん)1943年7月5日、東京都出身。79歳。東宝演劇学校卒業後、東宝に第15期ニューフェースとして入社。62年、「吼えろ脱獄囚」(福田純監督)でデビュー。67年の「ウルトラセブン」ではアマギ隊員役で顔を出して出演した。09年12月、初の自叙伝「ウルトラマンになった男」(小学館)を出版。撮影の裏話などを明かした。

 〇…円谷プロ公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」では、有料プランに登録すると「ウルトラマン」がいつでも見放題となっている。また、Prime Video独占配信がスタートした映画「シン・ウルトラマン」を87倍楽しむため「ウルトラマン」特集も同サービス内で展開中だ。

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