あき竹城さん、75歳大腸がんで死去…2年前から闘病も「元気なあき竹城でご挨拶したい」と本人希望で公表せず

スポーツ報知
あき竹城さん

 山形弁の語り口で親しまれた女優のあき竹城(あき・たけじょう、本名・竹田明子=たけだ・あきこ)さんが15日、死去した。75歳だった。所属事務所が20日、発表した。約2年前に大腸がんを患い闘病中だったが、本人の希望を尊重し、公表せずに治療を続けていた。通夜、葬儀は、すでに近親者のみで執り行った。お別れ会の開催予定はない。

 山形弁の明るいキャラクターで知られるあきさんが、ひっそりと逝った。

 所属事務所によると、あきさんは約2年前から大腸がんを患い闘病中だったが、「元気なあき竹城でご挨拶(あいさつ)したい」という本人の希望を尊重し、公表せずに治療を続けていた。今年の秋頃になって病状が悪化したという。

 同事務所は「応援してくださった皆様、お世話になった関係者の皆様に、このようなご報告を差し上げることは大変残念でなりませんが、本人は全ての皆様へ感謝の気持ちでいっぱいです。誠にありがとうございました」とコメントした。

 あきさんは高校中退後、姉に誘われ、大阪のクラブで初舞台を踏んだ。フロアダンサーとして各地で踊った後、74年に日劇ミュージックホールに初出演した。

 親しみやすい山形弁を舞台で使ったことがウケて人気者になりコメディエンヌとして活躍の場を広げた。76年に東京12チャンネル(現テレビ東京)「独占!男の時間」(山城新伍司会)でテレビ初出演。同年「河内のオッサンの唄 よう来たのワレ」(川谷拓三主演)で映画にも初出演。77年には映画「トラック野郎・度胸一番星」で婦人警官役を演じ、トップレス姿も披露した。

 1983年、今村昌平監督の映画「楢山節考」で主人公の妻役を演じたことが転機に。高い演技力が認められ、女優としての地位を確立した。その後は映画「男はつらいよ」シリーズや「夜叉」「マルタイの女」、テレビドラマ「裸の大将」シリーズなどに出演。ユーモラスで親しみやすい役柄からシリアスな人物まで演じ、名脇役として作品に花を添えた。

 近年は女優業にとどまらず、バラエティー番組にも多く出演。TBS系「炎の体育会TV」、日本テレビ系「秘密のケンミンSHOW」などで活躍したが、2020年秋以降はコロナ禍の影響もあってレギュラー番組を降板していた。

 ◆あき 竹城(あき・たけじょう、本名・竹田明子=たけだ・あきこ)1947年4月4日、山形県生まれ。米沢の女子高を中退後、フロアダンサーとして働く。主な出演作にNHK連続テレビ小説「春よ、来い」「私の青空」「どんど晴れ」、NHK大河「八代将軍吉宗」「天地人」、舞台「雪まろげ」「ねぶたの女」など。日本テレビ系「家なき子2」では、主人公をいじめる家政婦を憎らしげに演じた。

芸能

×