もう中学生、「大人」になるまで紆余曲折あったね~な歴史 有吉弘行らのおかげで復活 今は「感謝」胸に

スポーツ報知
「ネタが枯渇して、喫茶店に4時間いて何も浮かばないことがあります」と明るく話す、もう中学生(カメラ・頓所 美代子)

 お笑い芸人・もう中学生(40)が、お笑いライブ「THE EMPTY STAGE GRAND 2023 SUMMER」(5~18日、東京・グレースバリ銀座店)の5日午後5時の回に出演する。今回は台本も小道具も必要としないトークショーに挑戦。「今もネタをさせていただけるのは幸せなこと」と振り返るように、本気でやめることも考えた山あり谷ありの芸人人生を聞いた。(増田 寛)

 人の良さそうなおどけた表情、甲高い声から口をついて出てきたのは「感謝」だ。「自分が仕事をいただけているのは、いろいろな方の助けが大きい。自分の力では一切ない。なので、今もネタをさせていただけるのは幸せなこと」。言葉の節々に、ほのぼのとした持ちネタの雰囲気を感じた。

 即興をテーマにした「THE EMPTY―」では、30分間しゃべりのみのステージに立つ。「話芸で笑いをもっと取れないといけない。だから、このステージに立ちたかった。お笑いの仕事にしがみつくためなら、夏の思い出もいらない」と言葉に熱がこもる。

 同ライブにはミキの昴生、レイザーラモンRG、千原ジュニアら約25人のお笑い芸人が日替わりで出演する。「出演者全員が本当にキラキラしている。うらやましい。日常生活では全く思わないけど、お笑いに関してだけはうらやましいと思う。先輩後輩に限らず、憧れます」。そう言うと、ウソではないと言わんばかりに出演者全員の長所を挙げた。

 お笑いへの憧れはダウンタウンだった。長野県で生まれ育ったが、小学生の時から毎週日曜放送のフジテレビ系「ダウンタウンのごっつええ感じ」(1991~97年)が唯一の生きがいだったという。

 「当時は学校、遊び、勉強、なにも面白くなかった。そんな中、生きる楽しみはダウンタウンさんのお笑い。本当に日曜日の8時を目標に1週間を過ごしてました。中学、高校ですごく絶望的なことがあったりとかしても、結局はダウンタウンさんの番組を見て、笑って、助けてもらった。自分もお笑いで元気を与えられる存在になりたかった」

 高校卒業後に上京を果たし、NSC東京校に入った。だが、お笑い芸人を目指すためでなく、あきらめるための入学だったと振り返る。「高校3年生の時、母親に相談したんです。今まで人を笑わせることはできなかったから、僕がお笑い芸人になることは無理だと分かっているけど、その『無理』を明確に知りたいと。親も『そこまで言うなら』と了解してくれた」

 いざ入学してみると、あきらめようという思いはありながらも、周りの環境に感化されていき、NSCに食らいついた。2001年、近所の薬局で山積みにされた段ボールを見たことをきっかけに、現在の段ボールネタができた。

 「NSCの講師の方にはやめろと言われたけど、自分で一番しっくりきたのが、この段ボールネタだったので、やり続けました。駆け出しの時は廃棄される段ボールをいただいていたけど、今は地元の会社が特注の段ボールを作ってくれてます」。段ボールの小道具の制作日数は1ネタで約1か月。現在までに1500点以上を制作した。

 2000年代後半に出演したフジテレビ系「爆笑レッドカーペット」、日本テレビ系「エンタの神様」などのネタ番組で頭角を現し、お茶の間の人気者になった。「当時は下積みがほとんどなく、知識も浅はかで、お笑いの実力が追いつかないまま、仕事がもらえてしまっていた」と今も表情を曇らせる。

 本人の不安が的中する形でその後、人気が落ち着くと共に仕事は減っていき、長い“下積み”時代が訪れた。ほぼ唯一のテレビの仕事は、地元・長野のローカル番組「3時は!ららら♪」(08~16年)で、一般家庭で夕食を食べさせてもらうコーナーだった。

 「毎週、帰りの新幹線で『この村に次はいつ行けるのか』って涙を流していた。夕飯を食べさせてもらった方々に感謝を一番伝える方法は、僕がお笑いを頑張っているところを見せることかなと。だから、もっと売れたいって強く思った。その思いが今でも原動力です」

 人気の復活を目指したものの、鳴かず飛ばずの日々は続いた。20年にはコロナ禍も相まって、芸人をやめて地元に帰ることも頭をよぎった。が、再びチャンスは巡ってきた。

 出演した日本テレビ系「有吉の壁」でのパフォーマンスが話題を呼び始め、TBS系「水曜日のダウンタウン」で麒麟・川島明(44)が自身の「無観客ライブ配信」を紹介したことも注目を集めた。

 「ネタを処分するために、最後の供養としてインスタライブとYouTubeライブでネタを見せたんです。どっちとも視聴者は100~160人くらい。でも偶然、有吉(弘行)さん、川島さんの目に留まった」

 メディア調査や分析を行うニホンモニターによると、21年のテレビ出演数は、20年の14本から10倍近い135本に増加。再ブレイクを果たし、今も人気を維持するが、まだ喜びはないという。

 「周りの方々が助けてくれたから、今の自分がある。(再ブレイクは)自分の頑張りや努力ではない。もっと実力をつけて、長野の人たちに『もう中学生、お笑いやってるんだな』と思われるように、面白くなりたい」。目指す笑いは、まだ先にある。

 ◆もう中学生(もうちゅうがくせい)本名・丸田典幸(まるた・のりゆき)。1983年2月14日、長野市川中島町生まれ。40歳。芸名の由来は小学校の卒業文集の作文のタイトルから。2001年、NSC東京校に7期生として入学。同期にこがけんら。趣味は絵を描くこと、ラジオを聴くこと、写真。特技は自転車こぎ、野球、アーク溶接。180センチ、70キロ。血液型O。

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