Interview

あなたからあなたに - 栗原恵

あなたからあなたに

Vol.09栗原恵

ikawには、フィリピン語で“あなた”という意味があります。肌はあなた自身であり、あなただけのもの。あなたがあなたの味方でいること。あなたがあなたに寄り添ってあげること。

「あなたからあなたに」は、そんなブランド名に込められた“あなた”の物語を聞いてゆくインタビューコンテンツです。

第九回は、「プリンセス・メグ」という愛称で親しまれ、長年日本の女子バレーボール界を牽引してこられた栗原恵さんが登場。引退後も試合解説やスポーツキャスターとしても活躍を続ける彼女に、心地よい自分であり続けるために意識している考え方や周りの人とのコミュニケーションにおいて大切にしていることについて教えてもらいました。

———プロバレーボール選手を目指すようになったきっかけを教えてください。

両親がバレーボールをしていたので、小さいときからバレーは身近な存在でした。小学校4年生からクラブチームに入って実際にバレーボールを始めました。本格的に強豪校でバレーボールを始めたのは中学校2年生のときで、家族と離れて単身で兵庫県姫路市立大津中学校というバレーの強い学校に留学し、高校は山口県の三田尻女子高校(現・誠英高校)へ。高校生のときに全日本チームに声をかけていただき、卒業後は実業団でプレーをすることになりました。

———中学生で単身で県外に移るというのは大きな決断ですね。

家には兄や祖父、祖母もいたので、他県に行くなら単身で行かなくてはいけないということにとても悩みました。そんなときに母から、「行っても行かなくても後悔すると思うよ。行ったらきっとしんどいし、行かなければこのままで幸せだけど、あのとき行っていたらどうなってたかなという後悔の両方があると思う。どっちの後悔がいいかはあなたにしかわからないんだから、自分で決めなさい」と言われて。その言葉に背中を押してもらう形で、行く後悔を選ぼうと決心しました。

———プロとしては17年間。怪我やプレッシャーなどで揺らぐこともあったと思いますが、モチベーションをキープし続けるために意識されていたことはありますか?

バレーボールがどれだけ好きでも、好きなことを突き詰めていくと、ときにはしんどいこともあって、投げ出したくなることもありました。でも、根本の芯の部分は好きだから続けたいって気持ちが一番にあって、身体や心のバランスが揺らぐときでも、自分のベストをどう出していくのか、調子が悪いときの自分の最低ラインを引き上げていくという意識で練習に取り組みました。

———結果だけにとらわれるのではなく、どんな状況でも自分のベストを探っていくということですね。

実は子供のときはオリンピックに絶対出たいといった強い目標はあまりなくて、とにかくバレーボールが好きだからずっと一緒に進んでいきたい、だからバレー選手になりたいと思っていて。わたしの場合は、目標のためにどうするのかではなく、今日のベストを積み重ねていった結果として道ができたような気がします。

———長年プレーされてきたなかで、身体の不調などもあったと思いますがどのように向き合ってこられましたか?

わたしは身体感覚の変化を敏感に感じてしまって、監督に怒られたりすると、すぐにニキビが出ちゃうようなタイプでした。でも、不調を含めて自分だと認めてあげられるようになってからは、少し気持ちが楽になりました。生理痛でお腹が痛くなってしまったり、頭が痛くて思うように動けなくても、もしこれがオリンピックだったらどうだろうとイメージして、そういった大切な日にいかにパフォーマンスを上げられるかを考える準備だと思いながら今日を過ごすというのは、自分のなかのテーマでした。

———アスリート時代からずっと栗原さんにとっての軸になっていることはありますか?

バレーボールは一回の失敗によって、すぐに相手に点数が入る競技。一つの失敗に落ち込むことはありますが、引きずっていたら次に進めないという競技特性に助けられていた部分は大きかったと思います。切り替えの大切さもそうですし、たくさんの失敗を重ねて、その度に次はどうやって改善していくのかということをとことん考えることも大切。現在、子供たちに身体を動かす楽しさを伝える活動をしていくなかで、「たくさん失敗してください」とよく話しています。もちろん叶う夢・叶わない夢の両方があって、わたしも三度目のオリンピックに行けなかったときに強い挫折を味わいましたが、そこに向かった過程は裏切らないし、自分の自信になったことは確かなので、失敗したこと全てが自分の身になってくれるのかなと今は思います。

———引退後はスポーツキャスターなどの活動のかたわら、健康美容食育士、ファスティングマイスターなど資格も取得されていますが、新しいことに挑戦する目標や原動力はなんですか?

外国人監督の元でバレーボールをしていたときに、わたしのポジションでは絶対にやらない攻撃をやってみてって言われたことがあって。わたしには無理だと言ったのですが、「できるできないじゃなくて、やるかやらないかでしょ。やってみてできなかったら監督が判断する、でも自分でやる前から可能性を塞ぐというのは間違ってる」と監督から言われて、はっとしました。それまで自分で可能性を閉じてることがたくさんあったなっていう反省がすごくあったんですよね。最初の母の言葉にも繋がりますが、やってみて失敗してもいいから、やって後悔しようというのをテーマに、まずはチャレンジしてみようと思って。わたしのなかで一番だったバレーボールをとことんやりきったタイミングで、それまで知りたかったことや興味のあったことにどんどん挑戦して、今は新しいことを知る面白さを体感しています。

———アスリート時代から多くのメディアに出るなかで、外側から見える自分と内側の自分にギャップを感じることはありますか?

選手のときはすごくありました。当時は、「笑わないエース」として番組で取り上げられるくらい笑顔を見せなかったんです。日本のエースはそういう選手像を求められてるのかなと勝手に判断して、そのキャラクターに寄せようとしていて。ストイックに見せたいという気持ちもありましたし、そうあることで自分を守っていたような気もします。でも、素の自分とのギャップに苦しむ時期はありました。引退して、背負っていたものを一旦置かせてもらってからはすごく楽になりましたね。本当に自分がやりたいように振る舞えるというのは、心地よくて、生きやすい。若いときの自分に声をかけてあげることができるのであれば、「もっと楽に生きていいんだよ」って教えてあげたいです。

———チームメイトとのコミュニケーションで苦労されることもありましたか?

笑わなかったころは、後輩たちから怖がられていたと思います。特に、日本代表として試合に出ていると所属チームと過ごす時間が少ないので、余計にピリついた印象を与えてしまったようで、全然話しかけてもらえなくって。わたしは移籍も多かったので、いつも初めましてのときは、いい選手に見せたいとか、かっこよく見せたいといった虚勢を張ってしまって、周りからも壁を感じられていたように思います。でも、三度目のオリンピックを逃したときに、悔しくて落ち込んではいたのですが、同時に日本代表という重荷が下りてすごく楽になった自分がいて。そのあとに移籍したチームでは、自分の苦手なことや嫌なことを最初に打ち明けるようにしてみたんです。そしたら、「メグさんでもそんなことあるんですか?ウケるんですけど」みたいな感じで、思っていたリアクションと全然違くて。お互いに苦手なところを補い合うことができたりと、その後のコミュニケーションがとても楽になりました。やっぱり自分を出さないと相手も構えてしまうし、そういう部分も失敗してきたことで今に生きているなと感じています。

———心身ともに健やかに過ごすために、日常のなかで大切にしていることはありますか?

身体が整うと日差しが出てくる朝日のタイミングで目が覚めたり、交互浴したくなったり、お散歩したくなるといったプラスの連鎖が起きるということを体感しているので、とりわけ口から摂るもの、肌につけるもの、身体に入れるものはすごく大切に考えてます。やっぱり身体が元気ないときは、心もちょっとネガティブになりますし、逆に身体が元気になると気持ちがどんどん前向きになる。そこは一番大切にしたいですよね。

———一日のなかで一番好きな時間はどんなときですか?

朝日が部屋に入る時間が好きです。天気がいいだけで幸せな気持ちになれるんです。現役時代にロシアのチームでプレーをしたことがあるのですが、曇りが多く、ほとんど雪景色というような地域だったので、日本に帰ってきてカラッと晴れた空をみたときに、「これだ!」と嬉しくなった気持ちをとても覚えています。天気がいいだけで心も明るくなるし、こういう小さな幸せを日々感じています。

———スキンケアで大事にしていることはありますか?

オイルなどの保湿アイテムがすごく大好きなんです。鏡を見たときに顔がくすんでいたりすると、「疲れて見えるのかな」って落ち込んでしまうけれど、ちょっとツヤがあったりとかするだけで、「今日もいける!」って元気になれる。ikawのスキンケアオイルも使っていて、さらっとしたテクスチャーが心地よく、香りにも癒されています。そういう瞬間に改めてスキンケアって楽しいなって実感しています。

———スペシャルケアのお気に入りはありますか?

最近お気に入りのスペシャルケアは炭酸パック。お風呂に浸かって血流を上げながら炭酸パックをして、またそれが終わったら保湿をするのが、自分の中ですごく贅沢なスペシャルケアです。

———理想の女性像はありますか?

現役時代、怪我が多くてそのたびに落ち込むわたしを見ていた母に、「凛としてコートに立っていてほしい。コートに立っていなくても、後ろで試合を応援していても、凛とした姿でいたら絶対誰かが見ていてくれるから」って言われたことがあって。そのときから “凛” という言葉がすごく大好きで、大切にしてる言葉なんです。アスリートに限らず、揺らぎやすい日々のなかでひとつでも自分の軸を持っている方って凛とされている印象があって、わたし自身も常にそうありたいと思っています。

———年齢とともに感じる変化をどのように受け止めていますか?

年齢を重ねることに対してネガティブに捉えられることは選手のころから多くあって、「30歳過ぎたらどんどん体力も落ちるんでしょう」とか、年齢で引退の時期を推測されたりすることは嫌でした。実際に、30代に入ってからもトレーニングによってジャンプ力や筋力が上がって、身体の成長の余地をまだまだ感じることができたので、引退してからも年齢を理由にしないというのは常にテーマにあります。年齢を重ねて、年相応の楽しみが絶対にあると思うので、そういった楽しみを見つけながら凛としている女性でありたいなと思います。

———これからの夢はなんですか?

バレーボールはもちろん、スポーツ全体に恩返しをしていきたい。引退してからいろいろなお仕事に挑戦させていただくなかで、選手の話を聞くのが好きなんだなというのを感じたので、キャスターとしてスポーツに携わって、スポーツや選手の魅力を伝えるお仕事を続けていきたいです。あとは、身体を動かすことも大好きで、今はピラティスを学んでいるので、知識を深めてよりその魅力を伝えられるような仕事もしていきたい。本当に夢がたくさんあって、死ぬまでに追いつかないかもしれないくらい。一つずつでもやりたいことに優先順位を決めて、自分に限界を決めないようにしたいです。チャレンジして駄目なら諦めもつくと思うので、チャレンジをし続けていきたいというのが夢ですね。

栗原恵 / スポーツキャスター

1984年7月31日生まれ、広島県出身。小学4年からバレーボールを始め、中学2年で強豪・兵庫県姫路市立大津中学校に単身バレー留学。高校は名門・三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学し、1年時のインターハイ・国体・春高バレー、2年時のインターハイ優勝の高校4冠のメンバーとして活躍。2001年に全日本女子に初選出され、翌年2002年、日米対抗で代表デビュー。全日本女子のヤングエースとして活躍し、「プリンセス・メグ」として親しまれ、バレーボール人気の火付け役に。その後、国内外のプロリーグで長年活躍を続け、2016年1月23日には通算出場試合数が230試合となったことを受けてVリーグ栄誉賞を受賞。2019年6月4日、現役引退を発表。17年間のプロバレーボール選手生活を終え、現在はコメンテーターやスポーツキャスターとして、バレーボール界、スポーツ界への恩返しに心を込めて活動をしている。

Instagram:@megumi_kurihara_official

Photographer /Masakazu Koga
Hair&Make up /Tomoka Fukuma
Writer /Mikiko Ichitani

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