かつて、「PDA」と呼ばれたモバイル端末があったことをご存知だろうか。
PDAとは、スケジュール、ToDo、住所録、メモなどを管理、携帯するモバイル端末のこと。日本では、1990年から2005年ごろまで多くのユーザーが利用していたが、スマートフォン全盛の今、その名を聞く機会は、ほとんどないだろう。
かつて一世を風靡した「PDA」。ビジネスマンの情報管理ツールとしても人気を博した
本連載では、そんなPDAを愛用していたユーザーの方々に話をうかがうとともに、「一時期に比べて、進化のスピードがゆるまったのでは?」という声もあがってきたスマートフォンの未来を考える、“温故知新”の内容としていきたい。
第1回に登場するのは、去る5月20日に開催された「PDA博物館」イベントでゲストスピーカーとしても登壇した、伊藤浩一氏。All About Japanの「スマートフォン」ガイドであり、「Windows Phone応援団」のブロガーでもある伊藤氏に、PDAに対する熱い思いを語ってもらった(※聞き手=PDA博物館初代館長 マイカ・井上真花)。
伊藤浩一氏。All About Japanの「スマートフォン」ガイド。ブログ「伊藤浩一のWindows Phone応援団(旧W-ZERO3応援団)」主宰。モバイルユーザーとしてレビューを毎日掲載しながら、日本のスマートフォンシーンの盛り上げを行い、アクセス数は月間30万を超える
――伊藤さんが最初に使ったPDAはなんだったんですか?
伊藤 「HP200LX」(ヒューレット・パッカード)です。もともとは高機能電卓だったんですが、PIM(個人情報管理)ソフトが入っていたので、PDAとして使えました。当時、パソコンには、DOS/VというOSが入っていたのですが、HP200LXにもDOSが入っていたので、ユーザーがフォントを作ったり、日本語入力システムを作ったりしながら、どんどん進化させていきました。思えば、この経験が印象的で、その後もPDAを使い続けるきっかけになったように思います。
現在、伊藤氏が使っているスマートフォンは左から、「Xperia Z Ultra」(ソニーモバイルコミュニケーションズ)、「iPhone 6s」(アップル)、「MADOSMA Q601」(マウスコンピューター)。All About Japanスマートフォンガイドでもある伊藤氏の“源流”になったPDAとは?
――その後、PDA市場にはさまざまな端末が登場しましたね。
伊藤 はい。当時、「Palm」を使っている人は多かったんですが、僕はLXライクなキーボードとディスプレイを備えた「カシオペア」(カシオ)や「モバイルギア」(NEC)に興味を惹かれました。この2つの端末の中に入っていたOSが「Windows CE」だったんです。
Windows CEのおもしろかったところは、自由にカスタマイズできる点。そのままだと使いにくいので、ネットを通じて知り合ったプログラマーに相談しながら、カスタマイズできるところはどんどん変えていった。本来、メーカーが工夫すべきところを、当時はユーザーの手だけで、なんとかしようとしていたんです。
――たしか、Palmのような形のWindows CEもありました。
伊藤 そうですね。「Pocket PC」という、一見するとPalmのようにも見えるんですが、実は中身がWindows CEというPDAが出てきました。本来、Windows CEはマルチタスクで使いやすかったんですが、Palmがシングルタスクだったので、それをまねて、見た目だけシングルタスクにしたのがPocket PCで、この流れは次の「Windows Mobile」にも引き継がれました。
Windows CEの“最後の砦”となったのが、NTTドコモの「sigmarion III」。僕にとっては、これがPDAの歴史の終焉でした。とてもいい端末だったんですが、PHS通信カードの販促の一環として発売され、これを機にPDAの価格が一気に値崩れしてしまった。その後、iモードが普及して、「PHSがなくても、携帯電話だけでやっていけるじゃないか」という世の中の流れが加速し、PDAは“死んでいった”と思います。
――具体的には、それはいつごろですか?
伊藤 2003年ごろですね。その後、しばらくはPDAの新製品が発売されず、PDAユーザーとしては、ずいぶん寂しい思いをしました……。そんなPDA難民を救ったのが“彗星のごとく現れた”ウィルコムの「W-ZERO3」です。
――あれには驚きました! まさしく、夢にまで見た、“PDA単体で電話やネットができる端末”でしたね。
伊藤氏が“彗星のごとく現れた”と表現した「W-ZERO3」。ウィルコムから2005年に発売された
伊藤 当時、PHSにしてはサイズが大きなW-ZERO3の登場に、モバイル市場関係者から懐疑的な意見があったようですが、発売日には、量販店に何百人もの行列ができるほどの人気でした。2005年なので、日本で「iPhone 3G」が発売される3年前ですね。スマートフォンの定義はいろいろありますが、今にして思えば、“W-ZERO3が初代スマホ”と言えるかもしれません。
その後、僕は「W-ZERO3応援団」というブログの中で精一杯、応援してきましたが、残念なことに、2010年に発売された「HYBRID W-ZERO3」が最後の「W-ZERO3」シリーズになってしまいました。
――iPhoneやAndroidスマートフォンの人気に負けてしまったんですね……。
伊藤 2008年にiPhone 3Gが国内で発売され、その後、2009年には日本初のAndroidスマートフォン「HT-03A」がNTTドコモから発売されました。iOSとAndroid、いずれもアプリストアが用意されていたのが大きかったですね。アプリ開発者がそれらに流れてしまい、Windows Mobile用のアプリが開発されなくなったので次第にユーザー数も減り、最終的には、2010月2月にリリースされたWindows Mobile 6.5.3以降、アップデートされませんでした。
その後、auから「Windows Phone(CDMA TSI12)」が登場し、今度はちゃんとアプリストアが入っていたのですが……アプリストアが積極的に展開されなかった結果、ユーザーが使いたいと思う主要アプリがフォローされず、アプリ市場が縮小。2015年に「Windows 10 Mobile」がリリースされると同時に、Windows Phoneの歴史にも終止符が打たれました。最後のWindows Phoneである8.1のサポートは、2017年7月11日までとされています。
「Windows Phone(CDMA TSI12)」(下段、右)も登場したが、本格的なブレイクスルーにはつながらなかった
――お話をうかがっていると、なかなか継続しないというか、衰退ばかりが目立ってしまって……悲しい歴史ですね。
伊藤 はい。ですが、僕はやっぱり、Windows発のモバイルOSにこだわりたい。もともと、HP200LXにあったコンセプトは、DOS、つまりパソコンと同じOSが動く小さい端末ですよね。僕にとっては、それが一番よいものなんです。
パソコンがモバイル端末になってほしい。ノートパソコンがいらない世界にしたい。それが、僕にとっては“理想なPDA”なんです。Windowsは、きっとその夢をかなえてくれると信じています。まだまだ、諦めませんよ!
W-ZERO3を手に、最後は笑顔で語ってくれた伊藤氏。「ノートパソコンがいらない世界にしたい」という言葉に、同氏の強いこだわりを感じる
伊藤浩一さんのPDAライフがHP200LXから始まったというのは意外だった。実は私も、「HP100LX」(HP200LXの前機種)がきっかけだったから、スタート地点は伊藤さんと同じだったことになる。
その後、伊藤さんはWindows製PDAの人気ブロガーとなり、長年にわたって応援旗を振り続けた。その原動力は「HP200LXよ、もう一度」だったと聞き、なるほどと思った。確かにHP200LXは、小さいコンピューターだった。だからこそ、工夫次第でいろんなことを試すことができたし、「こんなことができた!」という情報を共有する場としてのユーザーコミュニティが広がっていった。その「楽しさ」を継承したのは、伊藤さんが言う通り、Windows製PDAだったのかもしれない。
最後に伊藤さんは「まだまだ諦めませんよ」と言い、意味深な笑顔を浮かべた。これは完全に私の想像だが、もしかすると伊藤さん、なにかすごい情報をお持ちなのかもしれない。これはひとつ、Windows製PDA(スマートフォン)の未来に期待してみようか。