芭蕉の碑


俳人芭蕉は「おくのほそ道」の旅において、月を詠む事が目的の一つであり、杖置きの地敦賀での仲秋の名月を心待ちにしていた。元禄2年(1689)9月27日(旧暦8月14日)夕刻敦賀入りする、快晴。芭蕉は旅籠出雲屋(現敦賀市相生町)に宿をもつ。「あすの夜もかくあるべきにや(明日も晴れるでしょうか)」芭蕉の問いに出雲屋主人は「北陸の天気は変わりやすい。明日はわかりません。今夜のうちに(氣比神宮へ)参りませんか。」と答える。それならばと夜参りに出かけ月見を堪能する。翌朝(8月15日)は主人の言葉通り雨天、「名月や…」と句に残す。また、時宗2代目遊行上人が正安3年(1301)この地を訪れた際、境内西側が沼地で参詣者が往来に苦労する姿を見、上人自ら海岸より砂を運び水溜りを埋め立て参道整備した故事を聞く。(現在でも時宗本山の清浄光寺の法主交代の折には当宮でお砂持ちの儀式が執り行われる)この話に感銘した芭蕉は「月清し…」と句を残す。中鳥居正面に芭蕉像と句碑が立つ。