名作かもしれないにも関わらず誰からも目をそらされてしまった「うみねこのなく頃に」について

うみねこのなく頃には名作である。
といったらある程度の方が反感を持ち殴りかかってくるのではないか。
たぶん俺もそいつを殴る。

しかし、うみねこのなく頃にには素晴らしい点が二つある。

1、メタミステリとしての特異性
ミステリをミステリするという点で、うみねこは極めて独創的であるらしい。
うみねこにおいては(上位世界の)主人公たちが、うみねこのなく頃にという物語(として提示されている物語)の筋書きについて論戦を行う。
俺自身は数十作程度しかミステリを読んだことがないのだが、うみねこのなく頃にの話題をさらうとき、純粋推理空間という概念がよく比較に挙がる。
うみねこよりも先に上位世界をミステリにおいて出した作品の。作品中の概念であるようである。
そして、純粋推理空間以外に話題をあまり見たことがない。
つまり、ミステリをミステリするミステリが、有名作レベルではあんまりない。
竜騎士07の優れている点として、メタという時代を切り取ったことだと思っている。
次項を合わせれば、うみねこはまさにミステリにおいて、メタを高いレベルの融合で融合させたといえる。

2、1の成立を可能とする、ウミガメのスープというアイデア
ウミガメのスープを知っているか。
出題者と解答者がいて、提示された理不尽な前提を、解答者側が質問を繰り返し、解き明かす知能パズルである。
プレイヤーは魔女。質問は主人公からの「復唱要求」。解答は魔法:「赤き真実」。ウミガメのスープはチェス。高度な出題は「美しき盤面」。
うみねこのなく頃には古典的知能パズルのウミガメのスープを、他に例がないほどに見事に世界観(誤用の方)や作品やストーリーに落とし込んだ作品といえる。

以上、うみねこのなく頃には、アイデアは完全に優れている。
事実、うみねこの脱落者
(どこかで「EP1で切ったわ! 赤字とか青字とかわけわかんねーんだよ! ミステリやれよ!」と叫んでいる者もいたが、あれは例外とする)
(同じようなことを控えめながらも考え(これもミステリなのかな? 俺は合わんなぁ、くらいに)た人もある程度いるのかもしれんが、そういう読み手で寄生虫と東京をやらかした*1竜騎士07を追っかけるようなのがいるとは到底思えないのだがどうか)
にはエピソード3や4での脱落者が多いように感じられるが、そのどちらにも「アイデアは優れている」という空気があった。

彼らは主に幻想描写(うみねこは書き手が竜騎士ではないミステリであるという設定であり、EP3やEP4の「書き手」は六軒島(舞台の島)に魔女がいた、そういうことであってほしいと願っている。そのため「書き手」は、ただの銃弾一、二発で決着がついたような呆気無い殺人事件を、魔力を持つ人間や魔女たちが魔法によって激しいバトルを繰り広げた結果であると虚飾しており、その虚飾は作中*2で「幻想描写」と呼ばれている)について批判している。
EP4にもなると謎計算による謎現象が起きたりして、さすがについていけなかった人が増えたようで、その説明はいったんEP3でなされ解答編でもさんざん意義付けがなされたとはいえ、その気持ちはわからなくはない。
ただこれは斬新なアイデアに付随する単なるリスクであるため、うみねこの問題点ではない。

また、少々突っ込みどころもあるものの、あまり先駆者のいないことに挑戦したシナリオが、きっちりエンターテイメントとして成立していることも評価されていいと思う。
特にEP3においてエヴァベアトリーチェが繰り出した魔法:「赤き蜘蛛の巣」は最高だった。つまり言い換えると、エヴァベアトリーチェによるEP3ラストの出題は高度かつ絶望的だった。少なくともプレイ中はそう思えた。
女も可愛い*3

なら、この作品を名作と言い切ることを許さない問題点とは何か。
うみねこの問題点は二つある。

1、解答編の失速
EP5、6は実際面白い。古戸エリカという強烈なキャラクターとの立場が変わってのウミガメバトルが、面白い。
面白いのだが、EP4までの幻想描写と絡められたアイデアの極めて魅力的な展開を考えると、失速している。
真相の段階的な明かされ方もひぐらしと比べてあまりうまくないと感じる*4
EP7も牧歌的である。冷静に見れば皆殺し編も真っ青な最悪の展開にはなるのだが、それまでがわりとのんびりしているため、お茶の間のスプラッタ以上ではない。
うみねこはEP3までだな。という声の元である。
ひぐらしは、解答編で失速した印象は全くないのだがどうか。
罪滅しと皆殺しは魅力的という他にない。

2、謎を明かさなかったこと。作者に愛がなかったこと。
作者はすべての謎を明かさなかった。
EP8では、物語の中で、登場人物たちが、謎が明かされて自分たちの惨劇が玩具として丸裸になってしまうことをおそれ、謎を明かさせまいと奮闘し、その奮闘が実を結ぶ。
その奮闘によりできた筋書きは、もちろんプレイヤーにもうみねこのなく頃にの真相を教えない。
ありえない。申し訳ないが擁護のしようがない。
うみねこはEP7までだな。という声の元である。
シナリオ上で真相を求める読者をメタ的に攻撃してる点でもかなり高度な挑発だと思う。

ちなみに、似た話で、EP3の筋書きもかなり(たぶん幻想描写の種明かしを行うことも含め)難易度を下げる方向性で改稿されたようである。反響を見てのことであるらしい。
この作品のテーマの一つに愛を以って相手を信じろというものがあり、作者も何度もインタビューやなんやらで「童貞にはこのミステリは解けないんじゃないですかね(笑)(意訳)」といった発言を繰り返していたが、二つのエピソードを重ねれば、彼こそが読者を愛しきれなかったのだといえる。
竜騎士07うみねこのなく頃に執筆中に恋人ができたともっぱらの噂であるが、童貞を卒業しても愛を恐れる童貞のままであることがありうるという貴重な例ではないだろうか。
ただ、たしかに竜騎士07のインタビュー類にはムカつく表現や失笑を誘う言葉もあったが、ほんもののうみねこのなく頃にを見てみたかったというのが正直な感情だ。
せめて真相が全て明かされたならば、誇りを以って名作だと言えたのだろうか。


3、明かされなかった最高の大仕掛け 赤字が嘘である可能性
作中で確定情報として、戦人とベアトリーチェの戦いの軸となる「赤字」。
ウミガメのスープにおける、出題者側からの質問への解答。
あれは嘘であるという考察がある。
嘘というより、ウミガメのスープの問題を成立させることによって、自由に謎の魔法技術「赤い言葉」を使いこなす魔女がいると示したい(幻想描写と同じように)、魔女側の願望としてのただの文であるという考察だ。
この説には極めて納得のいく論拠(「この状況(作中ウミガメのスープゲームにおける赤字の乱用において生じた苦境)の打破……できるにはできるが、ベアトリーチェの心臓をさらけ出すことになる、難しい」というセリフ)があり、しかもその論拠は見逃されがちな記述(全く別の、ここでは使えないとよく読めばわかるが、物語におけるトリックの半数を説明する、かつこの状況を打破できそうな大仕掛けがあって、それこそが「心臓」であると誤解されがち)であるために、この説は支持を受けていない。
*5
赤字が嘘である可能性を考えると、EP8はある程度の意味を持つ(明確に核心を明かさなかった時点で(罵倒)ではあるが、結末で主人公は、赤字の拒否によって未来へと歩みだし、そのことがハッピーエンドにつながる*6)し、EP1-4が全く違った色合いを帯びてくる。この真相によれば彼らは、お膳立てとしての問題編であり、解答の提示によって、鮮やかにひっくり返る問題編である。


やはりうみねこのなく頃には名作だと思っている。

*1:俺はあれら二つを全く問題と感じていない。ミステリ経験が不足しているため、定石外しであるとも考えられない。ただ、寄生虫に関しては、鬼隠し編で伏線を入れる余地があったと考えており、それをしなかったのは竜騎士07の失策であると考えている。もっと完成度が上がったのではないかとも。メタ展開については、排除されても物語は成立するため、問題を起こしすらしないと考えている

*2:か考察サイトのみかは忘れたが

*3:夏妃、楼座、エヴァベアトリーチェ、エリカ、ベアトリーチェなど。性的に興奮する

*4:明言を避けたのは、解答編のほうは充分な再プレイを行えていないからである。この一行に関しては、あまり信憑性がないと考えてほしい。再プレイによって納得する事態がおこる可能性がある

*5:なお、俺の赤字嘘説はすべてさいごのかぎ(ttp://blog.goo.ne.jp/grandmasterkey)の受け売りであることを明記しておく

*6:といえば聞こえはいいが、初見プレイ時の俺や赤字真実説の保持者にとっては、「わたしはわたしを信じてる! 赤字なんて信じない! ○○○○○は生きてるんだもん!」HAPPYEND にしか見えない点に注意