多くの研究者育てた「親分」 仲間にも恵まれた小柴さんの研究人生

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ノーベル賞授賞式の後、メダルを手に笑顔を見せる小柴昌俊さん=ストックホルムで2002年12月10日(代表撮影)
ノーベル賞授賞式の後、メダルを手に笑顔を見せる小柴昌俊さん=ストックホルムで2002年12月10日(代表撮影)

 2002年にノーベル物理学賞を受賞した東京大特別栄誉教授、小柴昌俊(こしばまさとし)さん(94)が12日死去した。多くの優れた研究者を育てた名伯楽として知られ、研究の世界では「親分」の愛称で慕われた。また、基礎科学の発展を強く願い、その重要性を訴え続けた。

 小柴さんは、中学1年の2学期に小児まひになって右腕に後遺症が残り、夢だった音楽家への道をあきらめた。当時の数学の先生から「物理学はいかに創られたか」というアインシュタインの本を渡され、物理に興味を抱くようになった。

 だが、「大学時代の成績は本当に悪かった」という。当時、落第点をつけた旧制高校の物理学の教授が「小柴は大学で物理に行かないことだけは確かだろう」と話すのを聞き、発奮した。

 恩師や仲間に恵まれ、何事にも熱心だった。

 米ロチェスター大学への留学の推薦状を出してくれたのは、1965年にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さん。日本人留学生を募集していると聞いた小柴さんが、「この男は成績は良くないけれども、それほどばかじゃない」と自分で推薦状をしたためると、朝永さんはにやりと笑って署名してくれた。

 米国では夜中過ぎまで研究室…

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