20年前ノーベル賞の野依良治さん「『おもろい仕事』しないとダメ」

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ノーベル化学賞受賞者の野依良治さん。手前は左右の物質を作り分ける際のキラル「BINAP触媒」の拡大模型(約2億倍)=東京都千代田区で2021年11月18日、竹内紀臣撮影
ノーベル化学賞受賞者の野依良治さん。手前は左右の物質を作り分ける際のキラル「BINAP触媒」の拡大模型(約2億倍)=東京都千代田区で2021年11月18日、竹内紀臣撮影

 今年のノーベル賞の授賞式が10日、オンラインで開かれた。20年前の2001年に化学賞を受賞し、その後、政府の教育再生会議座長も務めた野依良治さん(83)に、科学、教育、コロナ、メディア、戦争などについて聞いた。【聞き手・塩崎崇】

焼け野原の神戸、残せるのは教育だけだった

 ――ご自身の幼少期について教えてください。

 ◆神戸で育ったが、焼け野原で物資が決定的に欠乏していた。教育熱心だった両親は、子供に残せるのは教育だけと考えていたようだ。社会に関する信頼できる情報源として毎日小学生新聞を買い与えてくれて(購読当初は少国民新聞)、小学2年から6年ごろまで読んだ。当時の新聞、ラジオは今より信頼感が高かったのではないか。1945年春に国民学校(今の小学校)に入学したが、その前の年から空襲を避けて兵庫の山間部に疎開し…

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