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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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連載開始50周年「はだしのゲン」 戦争の理不尽と人間愛 広島市教委の教材削除機に売り上げ急増

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「はだしのゲン」第2巻の表紙=中沢啓治/Ⓒ中公文庫コミック版
「はだしのゲン」第2巻の表紙=中沢啓治/Ⓒ中公文庫コミック版

 原爆が投下された広島を子どもの目線で描いた漫画「はだしのゲン」の連載開始から、6月で50周年を迎えた。広島市教育委員会が今年度から平和教材への掲載の取りやめを決めたが、文庫本の売り上げは急増した。読み継がれている理由はどこにあるのだろう。作者の中沢啓治さん(1939~2012年)の妻で、アシスタントも務めたミサヨさん(80)らと考えた。

 「はだしのゲン」は73年6月、週刊少年ジャンプで連載が始まった。主人公の少年・中岡元(ゲン)が、原爆で家族を失いながらも、焼け野原となった広島でたくましく生き抜く物語だ。中沢さん自身が6歳の時に広島で被爆した体験が基になっている。

 連載は掲載誌を変えながら85年に完結。実写やアニメで映画にもなった。ボランティアらの手によって24言語に翻訳され、海外でも広く読まれている。

 「ゲンのたくましさは、多くの子どもをひきつけるものがあるのでしょうね。一人一人の被爆者の苦しみを描きながら、それでも弱いものを助け、支え合って生きていくという人間愛。(夫は)それを伝えたかったのだと思います」。ミサヨさんは静かに語った。

 東京で漫画家として活動していた中沢さんが、原爆を題材にした作品を描こうと決心したのは27歳のとき。原爆の後遺症に苦しんだ母の死がきっかけだった。著書「はだしのゲン わたしの遺書」によると、焼き場でほとんど骨が残らなかったことに衝撃を受け、<戦争と原爆の責任を徹底的に追及してやる><マンガの中で徹底的に闘ってやる‼>と覚悟を決めたという。…

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