バルト3国編(6)
リトアニアの首都ビリニュスの旧市街。プロテスタントが多い北隣のラトビアに対し、リトアニアはローマ・カトリックの国であり、それが文化面のセンスに影響しているのだろう、耽美(たんび)的でグラマラス(華やかで魅惑的)だ。そんなビリニュスの街外れに、芸術家たちが勝手に独立宣言をした「ウジュピス共和国」があるというのだが。
中世は領土を大拡張
2016年8月末。夕暮れのビリニュス旧市街を歩き回る筆者は、北端にあるゲディミナス城跡に上った。芝生が張られた小高い丘の上に、レンガ造りの塔などが残る。ここが中世の東欧に覇を唱えたリトアニア大公の居城だった。
紀元前2000年ごろからこの地域に定住していた、バルト語族のリトアニア人は、13世紀に部族の統一を遂げ、モンゴルの征西軍やドイツ騎士団の圧迫をはねのけて、東スラブ系民族が住む東方(現在のベラルーシやウクライナ)に領土を拡張していく。同時期の日本になぞらえれば、「奥州藤原氏が鎌倉幕府を撃退して、元とも抗争し、北海道や、今はロシアの沿海州方面にまで領土を拡張していった」というようなものだ。
そのリトアニア人は、西スラブ系のポーランドとは、ドイツ騎士団を共通の敵とする点で連携関係にあった。そのため14世紀末、リトアニア大公はポーランドの王女と結婚してポーランド王を兼ね、ポーランドとの連合を形成。カトリックを受容する。
しかし湿地と森の混交地帯に住んでいたリトアニア人は数が少なく、軍隊の主力はベラルーシ系、貴族の主流はポーランド系に変わっていった。やがてビリニュスの住民は、ほとんどがポーランド人になってしまったという。
ロ…
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