意外と多く残っている熱田神宮の信長塀と旧国宝の海上門の礎石跡

名古屋市熱田区の熱田神宮には織田信長が奉納したといわれる信長塀が残っています。これは戦国時代が好きな方や織田信長ファンには有名な史跡です。でもこの信長塀のあまり知られていない事実を今回は紹介します。

信長塀とは

信長塀

永禄三年(1560)織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に願文を奏し大勝したので、その御礼として奉納した塀である。土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねている。三十三間堂の太閤塀、西宮の大練塀を並び日本三大土塀の一つとして名高い。

現地看板にもあるように信長塀とは、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いの時、織田信長がこの地で戦勝祈願して勝利したため、御礼として奉納した塀です。普通ならここで終わりですが、この信長塀を見に行く時、その場所でチェックしておきたいものがあります。

国宝・海上門の礎石

信長塀の側をよく見てみると何やら大きな石が埋まっています。実はこれ、旧国宝の海上門の礎石なのです。信長塀は単品で建っていたのではなく、海上門の脇を固めていた塀でした。しかし昭和二十年(1945)の空襲で海上門は炎上。礎石だけが残されているのです。

信長塀の看板の反対側を見てみると、そこにも信長塀があり、また海上門の礎石が残されています。旧国宝の門があったことを偲んでくださいな~

意外と長い信長塀

あと織田信長が奉納した信長塀は看板が建っている場所だけではなく、広範囲に及んでいるのが熱田神宮境内の地図にも記載されています。たぶんホントは本殿もぐるっと囲んでいた塀なのでしょう。

地図を参考に周辺を歩いてみると、信長塀の残り具合というか長さが解ります。

あとこれはヤメてほしいですね。信長塀は指定文化財ではありませんが、歴史的建造物でもあるので、この様なラクガキはダメです!

私の感想

私の信長塀の感想ですが、戦勝祈願して合戦に勝っただけでこれほどの塀を奉納するのは少し大げさかなとも思いました。そう考えると、熱田神宮側からもっと大きな支援が出ていた可能性もあるかもしれません。ともあれ、信長塀の大規模さと旧国宝の海上門の礎石は、次に熱田神宮行った時にチェックしてみましょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする