Twitterという「孤独の解毒剤」が奪われた2023年。イーロン・マスク買収後は“なりすまし”や差別用語も激増…“ゴッサム・シティ”となり果てたTwitterは何を失ったのか

2023年はTwitterが「X」として生まれ変わった年として、記憶に残ることになるだろう。イーロン・マスクによる買収劇は、単なるWebサービス以上にTwitterを愛していた人々から、何を奪い去っていったのか。

スマートフォンから消えた「青い鳥」のアイコン

ついに、このときが来てしまった--。スマートフォンに並ぶアイコンの中から、かれこれ10年以上も一緒に過ごした青い鳥が、無機質な「X」に変わった瞬間、「おいおい、イーロンどうしてくれるんだよ…」と騒動の根源である富豪の名前をつぶやいた。

たかがWebサービスだ。これまでだって「前略プロフィール」「ヤプログ!」「NAVERまとめ」など、いろいろな“サ終”を経験しては、なんだかんだ再び平凡な毎日を送り始めてきた。

でも、Twitterは違う。「X」へと名前を変えながらも、今でも場としては残っているにもかかわらず、青い鳥が私の手の中から消えたとき、体の一部が無理やり書き換えられてしまったかのような強い拒否感を覚えた。

救世主ではなく、暴君だったのかもしれない

反社会的行動を投稿する「バカッター」が社会問題になったのは10年も前で、当時から十分治安は悪かったものの、近年Twitterの雰囲気は息苦しくなる一方だった。

フェイクニュースや誹謗中傷が多発し、政治的対立も顕著になった。Twitter自体は新たな体験を提供するべく、「フリート」「コミュニティ」「スペース」など新機能を追加するものの、どれも求心力が弱かった。

そんなとき「僕がなんとかしますよ」と手を挙げたのが、ペイパルとテスラを立ち上げた実業家イーロン・マスク氏だ。

彼は革新的なサービスを提供し、圧倒的な支持を獲得する天才起業家でありながら、オンラインRPG「原神」を嗜み、新海誠監督の「君の名は。」がお気に入りと公言するなど、”こっち側っぽさ”も持っている。

そして、何よりTwitterが好きなように見えた。そんな背景もあり、私自身「彼ならば、この閉塞感を打破してくれるのではないか?」と期待した部分もあった。

しかし、その買収劇は不穏な展開を見せた。2022年4月にマスク氏が買収提案を突然したかと思えば「Twitterのアカウントの5%が偽アカウントやスパムだ」と言いがかりをつけて買収を保留。7月には撤回までした。その後、Twitter社がマスク氏を提訴し、泥沼裁判になりかけたところで買収取引が完了した。

マスク氏は、買収を「金儲けになるからではない。自分が愛する人類を助けるため」として、こう呟いた。

僕がTwitterを取得したのは、文明の未来のため、共通のデジタルな町の広場が必要だからだ。健全な形で、暴力をふるうことなく、幅広い考えを話し合うことのできる場所が。

(引用:イーロン・マスクのX公式アカウントより)

いざ買収が完了すると、すぐに従業員の大量解雇を実施。一方で暴力を先導するおそれがあるとして永久凍結された元米大統領ドナルド・トランプのアカウントを復活させた。

SNSの投稿分析を行う民間団体NCRIによると、買収完了後は黒人に向けた差別用語や反ユダヤにまつまわる投稿が激増したそうだ。著作権侵害警告システムが機能しなくなり、違法アップロードされた動画が複数見つかるという事件もあった。

その後、著名人などが本人であることを示す「認証済みバッジ」も消え、同じデザインのバッジが課金ユーザーに付与され始めた。金さえ払えば誰もがバッジを手に入れられるようになってしまったため「なりすましと本物の見分け」が難しくなり、困惑の声が相次いだ。

ほかにも規約変更やAPIの有料化など大幅な改革を断行。その影響でTwitterアプリの「Echofon」は終了し、「TweetDeck」は有料サービスへと切り替えられた。

Twitterは、橋が撃ち落とされた“ゴッサム・シティ”に成り果ててしまった。バットマンのような救世主が現れることもない街からは、青い鳥が姿を消した。Twitterという名前と共に。

青い鳥は「夢と希望と無限の可能性」を表していた

「自由と希望と無限の可能性」の象徴として生まれた青い鳥は、2012年の登場以来、ずっと愛され続けてきた。当時のTwitterには、この3つが確かにあった。

2010年には、当時の首相・鳩山由紀夫氏がアカウントを開設し、ソフトバンクの孫正義社長がTwitterで意見を募集して実行する「やりましょう」が社会現象化していた。名声や社会的立場などにまたがる高い壁を、青い鳥は悠々と越えていたのだ。

2011年の東日本大震災では、刻一刻と変わる状況を知る情報インフラとしてTwitterが機能するだけではなく、多くの人の不安を癒す面も担っていた。遠く離れた場所にいても、そこにアクセスすれば、時間と空間を縮めて一緒にいるような気持ちになれた。

Twitterは個々人のコミュニケーションも大きく変えた。「自分を物語ることで、社会へと接続する」手段として、これまでのWebサービスと一線を画していた。

それ以前は、自分を物語る行為自体が「自己愛が激しい」として揶揄の対象になることも多かったが、Twitterはいつも「いまどうしてる?」と聞いてくる。自分を語っていいと背中を押してくれたのだ。

当時、大学生だった筆者も「スタバなう」と自分の位置情報を投稿し、今聴いている音楽のタイトルに「#nowplaying」をつけて呟いては一日を溶かしていた。同級生から「私も今近くにいるよ!」と返事が来て合流したり、年齢すら知らないアカウントから「僕もそのアーティストが好き」と同意を得られたり、内と外の両方が接続する感覚は刺激的だった。

かつてのTwitterには、実社会で出会うよりもはるかに気楽でゆるい繋がりがあったのだと思う。ツイートや投稿日時、「いいね」、フォロワー……10年で蓄積されたデータは、自分だけではなく人間関係の軌跡であり、ファイルサイズで計れない重さがある。

Twitterの誕生背景にある「孤独」

このような使い方をしていたユーザーはきっと私だけではないだろう。Twitterは「孤独の解毒剤になる」ことを期待されて生まれたからだ。

書籍『ツイッター創業物語』(日本経済新聞出版社)によると、このサービスは創業者の1人であるジャック・ドーシー氏による「自分が何をしているのかという現況(ステータス)を誰かに共有すると楽しいのではないか?」というアイデアがベースにある。彼の草案を聞いた同僚ノア・グラス氏が「雨降る閑散とした通りで、敗北や失敗の憂鬱な話ができたら、どんなにいいだろう」という具体的なイメージに結びつけ、Twitterは作られた。

Twitter創業者の1人であるジャック・ドーシー氏(写真/shutterstock.com)

どんな音楽を聴いているのか、いまどこにいるのかということを、共有するだけではない。人々を結びつけ、孤独感を癒すことが重要なのだ。パソコンの画面を見つめているときに、どんな世代でも味わうこの感情を、消し去ることができる。

(引用:『ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り』(日本経済新聞出版社)

日本語では「つぶやき」と翻訳されるようになったTwitterという言葉は、「特定の種類の鳥の小さなさえずり」「震えるような小さな声やくすくすと笑う声などの、似たような音も指す」「同様や興奮によるおののき」という意味で、サービスの特徴と可能性をよく表している。

一羽の鳥のさえずりが誰かの孤独を癒やし、いつの間にか輪唱になり、社会を変えていく。Twitterは単なるWebサービスの域を飛び越えていた。

ゴッサム・シティと化したTwitter

それから10年以上が経ち、社会は大きく変わった。Twitter上に投げられた声が大きなムーブメントになったことで、変化した価値観は多いだろう。LGBTQ+、ワークライフバランス、夫婦別姓……いろいろな概念が飛び交い、想像力をもたらした。

それでも、前述のとおり、Twitterの雰囲気はここ数年悪くなる一方だった。2019年にはTwitterのメイン機能である「リツイート」の生みの親が、「弾をこめた銃を4歳児に持たせてしまったのかもしれない」と開発を後悔しているというインタビューもあった。もしかすると、Twitterは分断はどこにでも生じるという人間が持つ負の部分をも増幅していたのかもしれない。今の混沌状況は必ずしも買収だけが原因ではないのだろう。

最近では、アルゴリズム変更の影響からか、私のタイムラインは「バズった投稿」ばかりが並ぶようになり、まだ1 likeもついていない友だちの本音はほとんど見られなくなった。同時に「寂しいな」とつぶやいても、かつて存在したグリップ感はほとんど得られない。

ゴッサム・シティへと成り果てたTwitterからよそへ移住する人も多い。Bluesky、Mastodon、Threadsか、はたまたDiscordか。新天地は数多あれど、私はまだ「X」と名を変えてしまったこの場所から離れられない。10年かけて築いた人間関係やデータの蓄積まで、すべてをほかで再現することなどできないからだ。

私は虚空に文字をポストしたいわけじゃない。たまに喧嘩はあれど、孤独を癒やしてくれる懐かしい森でさえずりたいのだ。

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