ネットがなかった江戸時代、「かわら版」は庶民のニュースであり娯楽だった
── いってみれば南京玉すだれのような大道芸だったと? 森田:そうです。読売を大道芸の一つとする研究者もいます。明治時代に入ると、幕府から摘発される恐れもなく、顔を隠す必要はなかったはずですが、それでも顔を隠していたのは、コスチュームとして分かりやすかったからです。「かわら版屋のおじさんが来た」ということが分かるエンターテインメントでした。
── 下世話な話が多いようですが、作り話も書かれていた? 森田:伝えられていることが「本当」であることは、現在では至高の価値を持っていますが、おそらく当時は、「本当」の価値がいまとは違っていました。本当とウソの境界線が曖昧で、面白ければかわら版を買っていたと思います。妖怪の話題を扱ったかわら版もそうで、本当にいたかどうかではなくて、内容が面白かったら受け取るけれど、内容が面白くなかったら、実際に妖怪が出たとしても受け取らないといった感覚です。 ネットとかわら版は似ています。ネットにも怪しげな情報がありますが、面白かったらアクセス稼げるような感覚でしょうか。ネットは人間の本当の欲望が出ますが、かわら版もまさにそれで、下世話な話題でうもれていました。人間の一番生々しいところに触れているわけです。人間とは何かくらいの重要な話につながってくることかもしれません。 私はもともと面白いからといったくらいの理由でかわら版の研究を始めたのですが、かわら版は高級なことを学んだ知識層ではなくて、普通のだれもが持つ関心とか生活者の感覚を一番反映しているメディアだったと思います。学校の歴史の授業では、歴史上の偉人を勉強しますが、それだけでは分からない部分が、かわら版にはあります。
── 「日本語英語対照表」のような役立ちそうな「かわら版」が出ていますね? 森田:知らないものを吸収したいという好奇心が強く、黒船が来航したときには、英語と日本語の対比をしたかわら版が出ています。これはたくさん売れたみたいです。もっとも中身はデタラメだったのですが……。 江戸の人たちは好奇心が非常に強かったようです。黒船が来航したときも、怖いと思ってごく一部の人たちは疎開をしていますが、多くの人たちは実際に見に行っています。屋台まで出てお祭りになっている。なかには小舟を漕ぎだして行って、「なんかくれ」といってボタンをもらうなど、そんなことまでしていました。 いま、欧米人が道を歩いていたら、話しかけられるのではないかとびくびくすることもありますが、江戸の人たちは、欧米人を見かけたら、いっせいにしゃべりかけて、「何か食べたい?」とか「何かくれない?」とか言ったことが記録に残っています。欧米人からすると日本髪がめずらしかったらしく、彼らが日本人女性の髪を触った瞬間にみんなが笑うとか、驚くほど人懐っこい人たちでした。