Yahoo!ニュース

松田直樹が去って12年。駆け抜けた男と夏の「残照」

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:アフロスポーツ)

 もう、書かないつもりでいた。彼が去って、11年間も命日に寄稿し続けてきたが、11という数字はサッカーに関わるものとして潮時だった。

 そもそも、新しく書くことなどない。拙著『フットボール・ラブ』(集英社)で書いた以上のルポは書くことはできないだろう。彼は、すでにこの世界を去ってしまったのだ。

 でも、もう一度だけ、彼について書き綴ってみた。

「えー、書くのやめちゃうの?」

 不意に、そんな声を感じた。人懐こく、どこか人の心を惹きつける温かさを持っている。彼の声だ。

 情報も、教訓も、何も得られない。既視感のある原稿になるだろう。しかし、墓参りの代わりに、駆け抜けた男の供養になるなら――。

松田というディフェンダー

 2011年8月4日、34歳で練習中に倒れて亡くなった松田直樹は、Jリーグ史上最高のディフェンダーの一人と言える。匹敵する選手はいるが、松田をその一人とすることに異論は挟ませない。ダイナミックで、エモーショナルで、エネルギッシュで、革命的なディフェンダーだった。

「能動的に守れる、ほとんど唯一の日本人ディフェンダーだった」

 松田を指導した外国人監督たちは、自ら仕掛けられる守備を絶賛していたが、その筆頭がフィリップ・トルシエだった。トルシエは、「松田がいなかったら、フラットスリー(高いラインを保った3バックで、オフサイドトラップを使った積極的守備)はなかった」と述懐している。指揮官が戦術決定を迫られるほどの存在感だった。

 しかし松田の凄みは、監督が与える原則など軽々と飛び越えていた点にある。世界と戦うため、彼はフラットスリーを仲間に半ば捨てさせている。トルシエの言う通りでは、守りの決壊は目に見えていた。そこで、立場を失うことを恐れず、自らが判断し、てこ入れし、勝利に結びつけたのだ。

 日本代表が初のW杯ベスト16に勝ち進めたのは、松田の殊勲があったのは間違いない。

サッカーバカ

 松田は横浜FⅯを連覇含む、3度のJリーグ制覇に導いているが、改めて記録以上に記憶に残る選手だった。

「苦しんだ方が、喜びも大きい」

 松田はよく言っていたが、極限まで自分を追い込むことで、「無敵」になれたのだろう。「サッカーが好き」というエネルギーは絶大だった。「気持ちを込めて」は彼がよく使うフレーズだったが、感情量の大きさが動力になっていた。人を巻き込む熱さが迸った。

 抜き身のような生き方は危なっかしく、衝突した指導者もいたが、その打算のなさが多くの人に愛され、彼自身をも突き動かした。

「サッカーバカであることだけは、誰にも負けたくない。他はどんなことを言われたっていいんだよ。弱いし、生意気だし、調子に乗りやすいし、格好悪い。でも、俺はサッカーが好きだし、サッカーで自分を表現したいんだよ」

 松田は熱を帯びた口調で話していた。強がりで、弱さを見せなかった。しかし自分を奮い立たせるため、成功したプレーを集めた「モチベーションビデオ」を試合前に観るのを欠かさない繊細な部分も持っていた。アイスとフルーツジュースとカレーが大好きで、チーム集合写真ではあえてそっぽを向き、夏は白いTシャツが似合った男は、その子供っぽさが憎めなさや親しみに換わった。

「俺は言葉を使うのがへたくそ。だから誤解もされるけど、それは仕方がない。サッカー選手はピッチで話すもんだよ。(川口)能活、(中村俊輔)俊、(中澤佑二)ボンバーは俺が認めた選手だけど、あいつらは話なんかしなくてもサッカーが好きだな、というのを感じる。妥協しないで、練習から戦えている。日本代表として恥ずかしくない選手たちだよ」

世界と戦い続けた男の残光

 たら、れば、だが、日本人が欧州を主戦場にするようになった時代だったら、松田は吉田麻也、板倉滉(ボルシアMG)、冨安健洋(アーセナル)に匹敵する活躍を見せていただろう。単純な速さ、強さもそうだが、能力の高いアタッカーと対峙した時、試合の中で成長できた。レベルの高い環境でプレーすることによって、そのセンスは覚醒していただろう。

 ただ、松田はJリーグでプレーすることに誇りを感じた世代だった。仮定は意味がない。横浜F・マリノスを、松本山雅を、彼は愛しすぎていた。

 Jリーグに身を捧げた松田は、「いつも世界と戦っていた」日本人選手だった。「誰にも負けない」という誓いは、Jリーグだけでなく、世界の有力選手に対しても同じだった。彼はいつだって、全力のサッカーで敵を凌駕していた。

―現役引退後を想像できるか?

 横浜FⅯを退団後、彼に問うたことがある。

「それが全く想像できないのが困るんだよね。カズさん(三浦知良)みたいに蹴っていたいな。サッカーボールを、ずっとさ」

 彼は最愛の人について話すように、柔らかく優しい表情をしていた。当時、すでに何度もメスを入れた右ひざは限界だった。思うようには動かなくなっていたはずだが…。

 松田は、最後の最後まで人生丸ごとでサッカーを愛していた。

「若手には、もっと強い気持ちを見せてほしいよ。”サッカー好きじゃないの?”って思う。その点、小野裕二はいいね!あんな奴、久々に見た。ゴール前に出て行く迫力がある。プレーに熱がある。サッカーが好きな気持ちを忘れなければ、きっと上に行けるよ!」

 その軌跡は記憶の中に息づき、残照は今も輝く。今シーズン、サガン鳥栖の小野は30歳にして7得点とキャリアハイの成績を残している。

「(小野)裕二のこと、コミヤさん、いつか書いてよ。約束ね」

 松田との約束は守っている。

 今年の夏は、当時よりもずっと暑くなりそうだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

小宮良之の最近の記事