「アクセシビリティ」とは、その名の通り「アクセスのしやすさ」ということ。建築用語では、交通の便の便利さやバリアフリーという意味ですが、ことIT分野では「情報へのアクセスのしやすさ」という意味で使われることが多いようです。
「テクノロジーとはなにか?」「社会でのエンジニアの役割とは?」について対談する連載。二回目のテーマは情報への「アクセシビリティ」。「誰でも情報にアクセスできる」というインターネットの価値について改めて考えます。
ナビゲーターは、哲学に詳しくないエンジニア代表・瀬尾浩二郎と、哲学に詳しいライター・田代伶奈が務めます。
そもそもアクセシビリティってなに?
Googleの経営理念には次の一文があります。
「Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです」
いまやGoogleだけでなくインターネットサービスの多くはこのような動きを進めています。
GoogleやIncrementsでの活動を通して「情報を整理する」ことに携わってきた及川卓也さん、そして同じくGoogleからCAMPFIREのCXO(Chief Experience Officer)へ就任した小久保浩大郎さんを迎えてインターネットにおける「アクセシビリティ」について掘り下げます。
今回はインターネットにおけるアクセシビリティについて、お二人と一緒に改めて考えてみようと思います。
まず、アクセシビリティってなんでしょうか?
インターネット上での「情報アクセシビリティ」とは、簡単にいえば「誰でも情報にアクセスできる」ということです。
個人的には、Webで一番重要なことだと思っているんです。実は僕がGoogleのオンサイト面接を受けた時の面接官が及川さんだったんです。
その時の最初の質問が「あなたにとってWebデザインで一番大切なことは何ですか?」でしたよね。僕はちょっと考え、「アクセシビリティ」と答えました。
株式会社CAMPFIRE CXO 小久保 浩大郎さん
>1976年三重県生まれ。子供の頃の夢は画家か科学者。十代初めから電子工作やコンピューターで遊び始め、1996年アメリカ留学時にインターネットに出会ってしまう。複数のデザインエージェンシーやフリーランスを経て2011年3月Google入社。IAとしてAPACリージョン向けのCSRやブランディングプロジェクトに携わる。2017年8月株式会社CAMPFIRE入社。執行役員CXOに就任。
そうでしたね(笑)。覚えていますよ。
おお、嬉しい。
「誰でも利用できる」という、建築用語での「バリアフリー」みたいなイメージですか?
そうですね。でも、建築やまちづくりの文脈で使うリアル世界でのアクセシビリティと、インターネット上の情報アクセシビリティには方向性の違いがあります。
リアル世界は、バリアが存在することが標準の状態で、それをなくしていこうという方向性。それに対し、インターネットの上では、本来アクセシブルな情報がデザインのせいでそうではなくなっているのでそれを避ける方向性。
なるほど。デザインがバリアを作るとはどういうことでしょうか?「検索しづらい」とか?
デザインはある意味可能性を狭める行為なんです。設定された目的を実現するよう進んでいくので、自然と目的外のことはケアしにくくなりますよね。
これに対して「ユニバーサルデザイン」という言葉があります。「万人に対して有効なデザイン」という意味ですが、ユニバーサルデザインも「結局誰のためなの?」となり、目的が先鋭化したデザインと比べて有用性が低くなることも往々にしてあるんです。
興味深いですね。ユニバーサルデザインって、障害の有無や年齢、性別、人種など違いはあってもたくさんの人々が利用しやすいよう設計しようとするデザインですよね。バリアフリーに近いかと。
そうですね。これまでのユニバーサルデザインは、リアル世界ではなかなか実現しない夢みたいな感じで。でも僕は、ユニーバーサルデザインの実現可能性を唯一秘めたメディアがWebだと思っているんです!
おお、熱いですね。
今回は最初から濃いですね!
どんどんこの調子でいきますよ(笑)。で、Web以外のメディアは、情報とプレゼンテーションが密に結合している状態で受け手に届くのに対し、Webはプレゼンテーションが固まっていない状態でユーザーに届くんですよ。
具体的にはどういうことでしょうか?
分かりやすい例でいうと、スマートフォンとデスクトップのブラウザで同じWebサイトを見ると、表示の仕方が違う。情報の内容とプレゼンテーションが固まってないので、デザインはユーザーの環境に応じて自由に変化するんです。
なるほど。
情報がユーザー側の環境に委ねられているという性質があるので、Webはユニバーサルデザインが実現しうる環境だと思っています。だから、アクセシビリティがWebという情報メディアの本質的な価値だと思います。
ちなみに、アクセシブルなWebデザインを意識している方って結構いますか? それともGoogleで顕著だったのでしょうか?
Googleの社是が「世界中の情報を集めて整理してアクセシブルにする」ということなので、当然デザイナーもアクセシビリティを意識していると思います。
「アクセシブルじゃなきゃ駄目でしょ」という話がしやすいんです。でも、世間的にはそんなにマジョリティではないのかな?
「情報は自由になりたがっている」。情報とは何か?
Googleの元CEOエリック・シュミット(現アルファベット社の会長)がよく引用していたスチュワート・ブランドの言葉に「情報は自由になりたがっている」というものがあります。この言葉がアクセシビリティの本質です。
情報は自由になりたがっている!主語が情報って。
かっこいい…。
「アクセシブルであるとは何か?」という問いを改めて考えてみると、情報はアクセシブルな状態が担保されて初めてその存在が確立するんです。
そうそう、アクセシブルでない情報はそもそも情報として存在しているのか? という話なんですよ。いま、僕いいことを言いましたね(笑)。
認知されないものは存在しない。おお、哲学感出た。
ああ、ちょっとしゃべりすぎた(笑)。
いえいえ、みんな思う存分しゃべり倒す連載なので全然大丈夫です(笑)。読者は置いてけぼりでもいい。
それはダメです。
及川さんの考えるアクセシビリティはどういうものでしょうか?
僕の関心は「情報をいかに相手に届けるか」ということです。僕はマネージャーの経験が長いんですが、人間って話すときについつい「話した」という事実で満足してしまう。
けれども実はそれよりも「相手に届いたかどうか」ということが重要。こっちが一生懸命に話していても相手に届いていないければ価値はゼロなわけです。
プロダクト・エンジニアリングアドバイザー 及川 卓也さん
早稲田大学理工学部卒。日本DECへ入社し、研究開発業務に従事。米国マイクロソフトに派遣され、Windowsの開発を行う。1997年にマイクロソフト株式会社(当時)に転職。日本語版と韓国語版のWindowsの開発の統括を務める。2006年にグーグルに転職し、プロダクトマネージャとエンジニアリングマネージャとして従事。2015年11月より、Incrementsにてエンジニアのための知識共有サービス「Qiita」のプロダクトマネージャとして勤務。2017年6月に独立し、エンジニア組織作りなどのエンジニアリングマネジメントとプロダクトマネジメント、技術アドバイスの領域で、IT系企業の顧問やアドバイザーとして活動中。
そうですよね。コミュニケーションは相手に届くことに意味があります。そのための工夫が大事ですよね。
informationという言葉の中にはそのことが含まれていますよね。
相手の中にform(※形を成す)されて初めてinformarionです。
(言葉の分析をするなんて、ますます哲学感でてきたぞ!)
「情報」という翻訳ですが、「報」というと、アウトプット側に話がいっちゃうので適切ではないかもしれないですね。
「全ての情報が開示されている」だけではinfotmarionじゃないわけですね。受け手がいて初めて成立する。
そうなんです、情報は「相手に届いてなんぼ」です。その条件としてのアクセシビリティが非常に大事。
Webというものは、90年代後半に一般に普及したんですけど、当時書店に平積みされていた本の謳い文句はほとんど「あなたがWebサイトを開いたら、世界中の人に読まれます!」というものでした。
黒歴史が消せないなんてこともよくある話ですよね。
瀬尾さん、やばい過去があるんですね。
そういうこともありますよね(笑)。今は当時に比べWebが進化していますが、本質は変わっていないと思います。いったん情報をWebに上げたら、ありとあらゆる人に届く。
でもこの「届く」というのは可能性であって、意識しない限りは届かないわけですね。そこでデザインの力やコンテンツの組み立てなど、インフォメーションアーキテクト的な考え方が必要になってきます。
なるほど。
SNSの出現で変わるアクセシビリティ
Webの状況はSNSの出現で変わってきました。例えばFacebookは、それ自身がプラットフォーマーとしてデザインを持っています。
一方でデザインをどう彩るかは、利用者であるFacebookのユーザーに託されます。ユーザーが自分で投稿すれば「制作者」、人の投稿や自分の投稿を見るときは「利用者」になる。
つまり、さっき言った制作者と利用者のハイブリッド的な存在が出てきているんです。
僕は、TwitterみたいなオープンなSNSは好きだけど、情報の公開範囲が限定されているSNSは個人的には微妙だと思ってしまいます。
わかります、僕も嫌い(笑)。だからFacebookの投稿はほぼ全て一般公開にしています。
理由はなんですか?
「人類の知の共有」かなあ。
おお!
例えばQiitaは、プログラマが自分で勉強したことやトラブルシューティングの方法を書くプラットフォームなんです。
それによって他のプログラマーが同様の問題に遭遇したときに参考にできる。自分のメモ代わりに使う人もいました。
自分のためにだけ書いたメモでさえ、普段見つけられなくなるじゃないですか。それをQiitaに上げると一般公開されるので、Googleの検索エンジンのロボットが見つけて、検索結果に載せてくれるんですよ。
自分も助かるし、多くの人が助かる可能性がある。大げさな言い方をするけど、人類の知の共有だと思います。
僕もその通りだと思います。
Twitterの鍵アカも同じように微妙ですか?
はい、嫌です(笑)。
でも、例えば50人フォロワーがいるとして、その50人だけに届けたい言葉もあるじゃないですか。一人一人手紙を書くのは大変だからSNSを使うという使い方もあると思うんです。
確かに。僕はユーザーのそういう行為に対する不快感は全然ないです。重要なのは、どっちがデフォルトのデザインなのかということ。情報プラットフォームである以上オープンでアクセシブルである状態がデフォルトであるべきだと思うんです。
デフォルトがクローズドというのは、プラットフォームのデザインの姿勢としては、微妙かなと。その上で、公開範囲をコントロールする権利は絶対にユーザーにあるべきだとも思っています。
めっちゃ理解。mixiってそういう意味ではクローズドなプラットフォームでしたね。
(※現在のmixiは、以前に比べオープンな仕様になっています)
そうですね、情報がデフォルトでオープンかクローズドかという問題は、SNSユーザーのほとんどが意識していません。でも、どれだけ有益な情報をアウトプットする人がいたとしてもそれが認知されないという状況がよく生まれていたんです。
利用者はクローズドなものとして書こうという能動的な意志がないのに、デザインがそうなっちゃってるのはとまずいなと。
確かに「知の共有」という観点から考えると微妙ですね。
でも、もしかして情報はアクセシブルであるべきだという考えは、インターネット初期の牧歌的な時代の発想なのかもしれません。
これだけ多くの人が使うようになり、悪意を持った情報や情報を悪意をもって使う人が出てくる時代に、「全てを公開しましょう」ということはなかなか言いづらくなってきています。
それがアクセス権を制御できるプラットフォームが台頭してきた理由だと思うんですね。
そうですね。いまの若い子に「おじさんたち、なーに言っちゃってんの」って思われそうです。
だからまず、アクセシビリティの対象は自分でもいいのかもしれない。
おお、新しい観点。「自分に対してアクセシブル」というのはどういうことですか?
例えばFacebookって、自分の過去の投稿を検索することが簡単にはできないんです。一般公開までしなくてもいいかもしれないけど、自分の投稿や友人が自分に共有した投稿に簡単に到達できないのはおかしい。
自分が出した情報くらい自分でアクセスできる環境を整えることが、アクセシビリティの大事な要素だと思えてきました。
※本記事は「CodeIQ MAGAZINE」掲載の記事を転載しております。
「エンジニア哲学講座」ナビゲータープロフィール
田代 伶奈
ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。今年から自由大学で哲学の講義を開講。哲学メディアnebulaを運営。
Twitter: @reina_tashiro
瀬尾 浩二郎(株式会社セオ商事)
大手SIerを経て、2005年に面白法人カヤック入社。Webやモバイルアプリの制作を主に、エンジニア、クリエイティブディレクターとして勤務。自社サービスから、クライアントワークとしてGoogleをはじめ様々な企業のキャンペーンや、サービスの企画制作を担当。2014年4月よりセオ商事として独立。「企画とエンジニアリングの総合商社」をモットーに、ひねりの効いた企画制作からUI設計、開発までを担当しています。
Twitter: @theodoorjp / セオ商事 ホームページ