バイタリティすごすぎ!その「源」とは? | 声優界きってのゲーマー女子・古川小百合さん

さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン – The Human Side -」

今回ご登場いただくのは、声優界きってのゲーマー女子であり、現在は声優の育成、就活生むけの面接トレーニング、ビジネスマンへの滑舌トレーニング等を手がけるボイストレーニングスクールを営む古川小百合さん。毎年アメリカで開催される世界最大のコンピューターゲーム見本市「E3」に単身自費で乗り込むなど、そのバイタリティの源について伺った――

プロフィール

古川小百合さん

長崎県出身。ホリプロタレントスカウトキャラバン第22回グランプリ受賞。CS番組『ゲームレコードGP』ではアシスタントMCを務めながらゲーマーぶりを発揮する。現在は声優として活動するほか、声優の育成、企業や芸能事務所での研修も行う。2016年からはボイストレーニングスクール「美声ラボ」(→)を開設。

出演番組がきっかけで、ファミコンにハマった

―― 古川さんがゲームにハマったきっかけとは?

私の実家が経営していた飲食店に『スペースインベーダー』や『パックマン』のテーブル筐体が置いてあったのですが “インベーダーブーム”が去った後、その筐体が自宅のリビングにやってきたんです。その筐体をテーブル代わりにして、自宅でナポリタンを食べながらゲームをする小学生時代を送ったのがはじまりです(笑)

ファミコンも自宅にありましたが、当時の私はまだ小さかったので、5歳上の兄がプレーしているのをずっと眺めているというかんじでした。そんななかでもとくに印象に残っているのは『戦場の狼』ですね。

私は13歳で芸能界に入り、長崎の実家を離れ上京したのですが、当時の給料の使い道はセガサターンやプレイステーション。『サクラ大戦』や『ときめきメモリアル』といった乙女ゲーにハマっていました。地元を離れてまわりに友だちがいなかったこともあって、ゲーム登場キャラが女友達みたいな時代を過ごしていました。

 

―― ファミコンの経験は大人になってから?

ファミコンは、10年ほど前にCS放送の『ゲームレコードGP』という番組でお仕事をさせていただいたのがきっかけでプレーするようになりました。その番組はゲーマーの芸人さんたちがファミコンのゲームをピックアップして、番組独自のルールで点数やタイムを競う内容だったんです。

私は番組のアシスタントMCだったこともあり、収録でプレーするゲームを知らないわけにはいかないので、自分でネット検索をしたり、買えるものがあれば中野ブロードウェイまで探しに行って実際にプレーしてみて、どんなところに面白味があってどこが難しいのか、自分でリサーチするようにしていたんです。『魔界村』は「なんてこんなに難しいんだ!」と衝撃を受けましたね。その後はファミコンの奥深さにどっぷり!大人になってからファミコンの面白さにハマってしまいました。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

自腹で世界最大のゲームイベント「E3」へ

―― ゲーム好きを公言していると、どんな影響がありますか?

少し前までは女性タレントでゲーム好きを公言している方って少なかったと思うんです。私も、以前所属していた事務所では、ゲーム好き…というか「廃ゲーマー」であることは、言えるタイミングを貰えませんでした(笑)。

20歳頃に声優としてお仕事を始めてからは、ゲーム好きをオープンに言える環境になりました。私の場合はゲームのおかげで友だちも増えたし、オンラインでもゲームを通じてプレー仲間ができたり、こんなに仲良くなれるツールはないなって思っています。

ゲームの仕事に本格的に携われるようになったきっかけは、アメリカのゲームの祭典「E3」での出会いです。もう10数年前の話ですが、私はFPS(=ファーストパーソン・シューティングゲーム)が大好きで、『コール オブ デューティ』シリーズや『バトルフィールド』シリーズの開発者にどうしても直接会いたくて、自費でアメリカへ行ったんです。

 

―― 自費で「E3」にまで足を運ぶというのはガチですね!

「E3」は当時から大人気のイベントで、会場の3日間パス券が約5万円と高額でしたし、飛行機代も含めると30万円以上かかりました。まだ20歳そこそこの私にとっては大きな出費でしたが、食費などをギリギリに切り詰めて、お金を一生懸命貯めて、念願の「E3」に辿り着きました。

当時は、メイド・イン・ジャパンのゲームが世界に進出していくタイミングだったこともあり、E3会場では日本のゲームプロデューサーさんやディレクターさんたちとたくさん出会うことができました。私のような日本人女性の参加者が珍しかったからか、多くの人と名刺交換させていただけました。

そのなかに、日本のいろいろなゲームメーカーの海外展開を担当する会社の方がいて、そこからゲーム業界の人脈や仕事が広がっていきました。あの時、思いきってE3へ行ったことで、とても世界が広がりました。

▲古川さん所有のお気に入りファミコンソフトたち

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ゲーム声優になれて、本当に良かった!

―― 最近はスマホゲームの、声のお仕事も増えているそうですね?

スマホゲームの醍醐味は、ガチャでキャラクターが引けるところにありますよね。つまり制作サイドとしてはキャラクターの数をたくさん用意しなきゃいけないので、声の種類も数多く必要になってきていると思います。それだけに一人の声優につき3役も4役も担当することがけっこうあります。スマホゲームの声優の需要は確実に伸びていますね。

私もセガの『戦国大戦』というゲームで声優をしたことがありますが、なんと担当キャラ数が約50人!9歳11歳13歳…と年齢設定を自分の中で区分けして、そこに優しい男の子、勇敢な男の子、たくましい男の子、活気のある男の子…と性格を掛け合わせることで微妙に演じ分けました。声優として鍛えられましたね(笑)

振り返ると、ゲーム声優のお仕事ができるっていうのは、子どもの時の自分からすると涙が出るぐらいに嬉しいことです。
私は大好きなゲームのおかげで、自分が望む方向に人生が変わりました。今はゲーム業界の知り合いやゲーマー仲間もたくさんいますし、ゲームが自分の人生の軸になっていると思います。

 

取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

編集:鈴木健介

 

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