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大塚愛は、女の子そのものみたいな歌手だったんだ。

突然、大塚愛の「プラネタリウム」が流れてきた。

何もない駅の、何もない商店街のまっただ中。

土曜日、誰も彼もが疲れた顔で自宅へと向かう道中で突然流れた「プラネタリウム」の歌声をきいた。僕は、何年も大塚愛という歌手がいたことを忘れていたことに・・・・・・気づかされた

大塚愛は、1982年生。2003年のデビューから比較的一貫してある典型的な恋愛を描く歌を歌ってきた、といって一応間違いないと思う。1stシングルの「桃ノ花ビラ」は正直あまり印象がないのだけれど、2ndシングルとなった「さくらんぼ」で大ヒットを飛ばす。

十年以上たっていまみると何とも奇妙な時代錯誤感があるかもしれないけれど、2000年代はこれこそがJ-popの典型的な(あるいはJ-Rockの典型的な)歌だった。愛し合う二人はいつもさくらんぼであり続ける世界、モーニング娘。の「ラブマシーン」以降の世界線では、女の子は基本的には元気いっぱいに場を盛り上げて、その場に集まる男子たちを慰撫することが求められていた。

僕もその「慰撫」にめろもえきゅんきゅんになっていたバカな男の一人だったのだ。軽く染めた肩までのカールした髪で、マイクの前で元気いっぱいにあおってみせる。そんな歌手は山ほどいたけれど、大塚愛はそのレベルがちがった。異界にいたんだ。

大塚愛は僕らにとっては異界の人物だった。

なぜか。

彼女は関西弁だったからだ。

歌は「標準語」だ。

関東に住んでいる人物にとって、標準語を一生懸命うたう関西の女の子は魔法がかかっているかのようにかわいらしくて、魅力的なのだ(このことは世の、大阪~兵庫間の関西人の女性は覚えておいてほしいと思う)。

話は続く。

ただし、大塚愛の評価を確定したのは「さくらんぼ」より、ギガヒットのイメージがない「プラネタリウム」のほうだったように思う。しっとりしたバラードで、印象的だけど口ずさみやすいメロディはFF10の主題歌だった「素敵だね」のパクリ説を打破するのに十分な工夫があった。

重要なのは時間帯だ。

「さくらんぼ」までの大塚愛が昼の女であったとしたら、「プラネタリウム」の大塚愛は夜の女である。そういう昼と夜を歌い上げることで、大塚愛は梵百の「恋愛ソンガー」から頭を四つぐらい抜き出すことができたのだった。たぶん。

僕が10年ぐらい前に学術出版社で営業バイトをしていたころ、外出するときにはいつもMDで「愛 am BEST」を聞いていた。大塚愛の歌声は処女的な透明感はなくて、成熟した女性の自立も感じなくて、ただ男友達とだらだら遊んでいる「姫」のようなオーラがただよっていた。それはいつも明るく男子を鼓舞する歌で満ちあふれていて、そうした鼓舞を受けて男の子はいつも元気を取り戻す。

大塚愛主演のドラマであった「東京フレンズ」の設定がそれを示唆する。

田舎からでてきた女の子が女子たちと共同生活をしながら恋愛をするという話の主人公で、昼は飲食店バイト夜は歌手見習いとして、下北沢の安アパートがんばる(逆だったかな)女子。

ここにでてくる「田舎」と「女の子」と「恋愛」というキーワードは全部くっつけると大塚愛のブランドイメージになった。そういう女の子がゼロ年代には求められていた。映画版では事後シーンがあったりしたけれど、作品としては微妙だ。終盤のライブシーンだけ若干の見応えがあった気もする。

話を戻そう。

僕はだれもかれもが疲れて帰る路次の途中で、彼女の「女の子」性の正体が十年経って要約分かった気がした。

それは「関西弁の女の子が無理して標準語を使ってる」感じだ。

なーんだ、である。でもそれは、自立も、依存も、欲情も許されないような「フレンズ」であり続ける西の女に対するまなざしに根ざした、都合のよい偶像だったのだろうあ。

大塚愛の曲の中に「焼き肉」を歌ったどうでもいいジョークソングのような歌がある。曲名は忘れてしまったが、これのwikipediaの記事が一時期大荒れに荒れていて「○○○○○」の歌だという品のない編集がまかり通っていた時期がある。「サクランボ」で純情さを、「プラネタリウム」で夜の切なさを歌ったとしても、西の、女にたいする目線の過酷さを示してあまりあると思う。

延々書いてきたのだけれど、大塚愛は今でも好きだ。結婚して絵本作家になりイラストレーターになり、「女の子」をやめてセクシー路線に切り替えてしまった。

女の子の幻想は永遠には続かなかったのだ。でも僕は続かなくてよかったと心底思っている。永遠なんてないほうがいいんだ。


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