【句集紹介】鶏頭 正岡子規句集を読んで
・紹介
『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』で有名な正岡子規の俳句の紹介である。
ここでは本書の題でもある鶏頭に触れておこう。子規の句で鶏頭と言うと
鶏頭の十四五本もありぬべし
が思い出される。後に「鶏頭論争」を巻き起こした句である。ちなみに鶏頭とはこんな花である。
鶏頭(ケイトウ)…夏から秋の季語。ニワトリの鶏冠に似ていることが由来。燃えるような朱色をしていて、庭などに好まれて植えられている。
句の意味としては、「鶏頭が14~15本咲いているに違いない」といった感じだろう。
この句に対して「これぞ俳句」と言う人もいれば、「駄句」と切り捨てる人もいる。小生はいい句だなあと思う派であるが、反対派の言い分も分からないでない。
鶏頭論争についてはウィキペディアに詳しいので興味のある人は覗いてほしい。
ここで鶏頭論争をするつもるつもりはない。小生が問いたいのは、この句を皆さんはどう感じたであろうかと言うことだ。
一般に俳句は敷居が高いように思われている。それは、「俳句の良し悪しがわからないから」といった理由が大半だ。しかし、語弊を恐れずに言うと、句の良し悪しなんて、
ぶっちゃけ、小生にだってわからない
のである。
俳句には正解がない。もちろん「これをやったらダメ」といった決まりごとはあるが、それ以外は個人の思想良心や審美眼に好悪が委ねられているのである。身も蓋もない言い方をすると、どんな句が良いと思うのか、それは人それぞれなのだ。故にそんなに難しく考えなくていい。
俳句は「座の文学」と言われるように、様々なバックボーンを持った人が集まって、協力し合って成立させる文芸である。俳句は性善説で成り立っているのである。誰もあなたの審美眼を悪く言ったりはしない。だから胸を張って堂々と俳句を詠んで、選句を楽しめばいい。(しかし思いやりを忘れずに)
西洋芸術の理論を、日本の文芸に導入して俳句を文芸の一ジャンルに押し上げるグランドデザインをした男、正岡子規。彼なくして、俳句の近代化はなしえなかった。俳句のルーツを成した人の思考の源泉を、10句より感じていただけたら幸いである。
・厳選10句
毎年よ彼岸の入に寒いのは
春の夜のそこ行くは誰そ行くは誰そ
春や昔十五万石の城下かな
一むれや水の色なる上り鮎
汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き
洟垂れの子が売れ残る寒さ哉
いくたびも雪の深さを尋ねけり
障子明けよ上野の雪を一目見ん
寒かろう痒かろう人に逢ひたかろう
夏草やベースボールの人遠し
・作者略歴
1867年~1902年。明治時代の俳人、歌人。
慶応3年9月17日生まれ。明治25年日本新聞社入社。紙上で俳句の革新運動を展開。28年以降は病床にあり、30年創刊の「ホトトギス」、31年におこした根岸短歌会に力をそそぎ、短歌の革新と写生俳句・写生文を提唱した。野球の普及にも貢献。平成14年新世紀特別表彰で野球殿堂入り。明治35年9月19日死去。36歳。伊予出身。帝国大学中退。本名は常規(つねのり)。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus引用)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!楽しんでいただけたら幸いです。また、小生の記事は全て投げ銭形式になっています。お気に入り記事がありましたら、是非よろしくお願いします。サポートやスキも、とても励みになります。応援よろしくお願いいたします!