工藤和美さんと「学校建築」:学習のデザイン10
デザイナーから学ぶ「学習のデザイン」の3人目は、建築家の工藤和美さんと学校建築についてです。
このような人です
工藤和美さんは、建築関係者にはよく知られている、設計事務所シーラカンスK&Hの共同代表です。80年代から現在まで第一線で活躍しながら、大学の建築学科の教授も勤められています。
2017年に六本木ヒルズで行われた、City Innovation Forumというイベントに工藤さんは登壇されており、僕はグラレコのスタッフとして参加していたことがキッカケで、活動を知りました。
シーラカンスK&Hの特徴の1つが、学校・保育園や幼稚園・図書館といった学習に関わる公共建築を多く手がけられていることです。
そのうち、2001年に竣工された博多小学校のエピソードがまとまった本が出版されています。
今回はこちらをもとに勉強してみます。
オープンスクール
現地を訪れたことはないので、本の内容と写真をもとに博多小学校の特徴をいくつかあげてみます。
オープンスクール(教室と廊下の壁がない構成)
従来の廊下はワークスペースであり教室の延長として使える
教室から広い木製デッキがつながっている
職員室がなく、教室の近くにオープンの教師コーナーがある
ランチスペース、クワイエットルームなどがある など
教室が仕切られていないオープンスクールのスタイルは90年代からあるようですが、全国ではまだまだ少なく、僕自身も実際の教室を見たことはありません。
オープンスクールが生まれた背景を、本の中ではこう説明されています。
単に仕切りがなければよいという話ではなく、学習プログラムから空間の使われ方を考えた結果として、博多小学校はこのようなレイアウトになっています。(本の中にあったスケッチを自分なりにメモしたものです)
ワークスペースと合わせて使えたり、家具が稼動できたり、水場のあるデッキとつながっていたりするのは、このオープンスクールの考えが体現されています。いろんな使い方が想起されます。楽しそう。
居たくなる学校
本の中でもう1つ印象的な言葉がありました。
学校のような公共建築であっても、居心地を軽視してはいけません。もちろん集団生活をするうえでの規律など、家との違いはあるけど、学校ならではの居心地のよさがないと、進んで勉強する気持ちにもならないでしょう。
この本でも「学校はまち、まちは学校」と述べていますし、2017年のForumでも工藤さんは「学校は学ぶ場所だけでなく、第二の家でもある」と言っていました。教科書を読むだけが学校の機能ではありません。
そのためには、壁を取り払い、交わる機会が生まれたり、落ち着いて集中できるような場が学習には欠かせないと考えられます。
2019年6月の新建築は学校や幼稚園などが特集されています。
ジメッとした暗い場所は、いじめの誘発にもつながりかねません。2019年にシーラカンスK&Hが設計した北区立田端中学校は、コンパクトなスペースを活用した8階の建物ですが、階段や廊下が真ん中に配置されて、ただ移動するだけではない開放的な場として使われている印象を受けます。
ホームページに掲載されているこちらの画像が、よりよく伝わります。
学んだこと
今回の学びは、建築の力を舐めてはいけない、ということです。
よく「大事なのは中身だ」という人がいますが、それは戦時中の竹やりで戦うような根性論とまったく同じだと思います。
オープンスクールの例ひとつあげてもこれは明らかで、壁に囲まれた閉塞的な環境で、グループ学習や学級の枠を越えた取り組みをするのは、言葉通り大きな障壁になります。空間に対する投資を惜しむべきではないです。
でも、設計プロセスではこんな声がよく出るのだそう。
この人たちは、建築や空間とかデザインの効果は、キレイとか楽しいとかの贅沢品か、学習の質とは別物と思っているのでしょう。
おそらくITの導入でも構造は似ていて、本来は設備や環境を整えることで先生の力が存分に発揮できるものを、根性論を先生にすべて押し付けてしまっているのではないか、そう思います。
気に入ったお茶碗でたべるご飯は美味しいです。同じように、よい建築はよい学びを生み出します。先生や行政にもっと、建築やデザインの観点から学習の意味を知ってもらいたいです。
デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。