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うみねこのなく頃に【解説と考察】

はじめに

EP1の発売が2007年の夏、そして最終話(EP8)が2010年の冬にコミケで発売されたので、EP1の発表からだと16年近く、EP8から考えても12年以上経っている作品であり、今更感もあるタイトルです。
以前のメガテン4のように、自分が直近でプレイしたから!という訳ではなく、筆者は2007年の夏からリアルタイムでコレを追いかけていて、毎回毎回次の話まで半年開く事にヤキモキしていたのは今となっては良い思い出である。
そんな作品について、なぜこの令和の世に急に解説と考察を書こうと思ったのか・・・一言で言えば“好きだから”である!(笑)
この作品の世間的評価を、自分のファン心理を抜きに極めて客観的に言うと
“かなり否寄りの賛否両論”
と言わざるを得ないのが実情だろう。
そして、実際にプレイして“否”寄りの意見を持った人が語る事で未プレイ者も否寄りの所感をもっている・・・という状況ををこの10年以上よく見てきました。
でも、それでも好きだから書きます!(笑)
誰が何と言おうと筆者はこの作品が大好きなので!
ただ、かなり“賛”寄りの大ファンである筆者も、この作品をプレイした感想が“否”寄りになってしまうのも理解は出来る部分もあるので、その辺も合わせて自己満足にツラツラ書いていこうと思います。
あ、もう古いゲームなのでネタバレは全開です!!!

概要

作品概要

同人サークル【07th Expansion】が、令和の世でもアニメ化されている“ひぐらしのなく頃に”の完結後に生み出した作品であり、本ゲーム発売に伴って“なく頃にシリーズ”と呼称される事も
※なく頃にシリーズ:ひぐらし→うみねこ→キコニアと現時点だと三作品かな

2007年の夏コミでEP1、そこから毎年夏コミと冬コミで作品を重ねていき、2010年の冬コミで発売されたEP8で完結となる全8話の物語。
発売前・・・というか、うみねこ公式発表前から
「同じ舞台を何回も巻きもどして繰り返していく、それらを重ねて見ることで一本のシナリオでは見えないものが見えてくる」というひぐらしに続く“多層世界もの”とすることを明言していた。
また、合わせてひぐらし以上の高難度にする事も名言されていた。
※なく頃にシリーズは、一部の例外的シーンを除き“選択肢の無いサウンドノベル”の形式のため、高難度というのは“エンディングに辿り着くのが難しい”という意味ではなく、真相に辿り着くのが難しいという意味

また、正確なタイトルとしては出題編にあたるEP1-EP4が
うみねこのなく頃に
展開編にあたるEP5-EP8が
うみねこのなく頃に散(うみねこのなくころにちる)
となる。
※解答編では無いのがミソ

物語概要

【愛が無ければ見えない】
舞台は1986年の10月4日。
大富豪である右代宮家が保有する伊豆諸島の六軒島という島。
現当主である右代宮金蔵と、その長男一家が住まうこの島に、年に一度の親族会議で親戚一同が集まるところから始まる。
前作ひぐらし同様に、シナリオ毎にその過程が大きく異るものの、基本的には台風で閉じられたこの六軒島で、10月4日から10月5日にかけて殺人事件が起きて・・・という流れである。
物語中盤以降は12年後の1998年という、六軒島の事件が過去になっている時代から“あの時ホントは何があったのか”というのを探るのがもう一つの流れとなっている。

ココから先の文章において度々“猫箱”という表記を使わせてもらうが、これは作中でも用いられている表現であり、元ネタはかの有名な“シュレディンガーの猫”である。
ホントの意味での“シュレディンガーの猫”の使い道は違うのだが、作中においては
“六軒島大爆発で全てが吹っ飛び、唯一の生き残りも何も語らなかった”
事によって、1986年10月4日から5日の六軒島は“猫箱”に閉ざされており、あらゆる可能性が内包されている。
というような意味合いで使われている。
※本来のシュレディンガーの猫について興味がある方はググってみていただくのが早いが、本来この思考実験は
「じゃあ、箱を開けるまで猫の生死は確定しておらず、その時まで生きてる猫と死んでる猫が重なりあってる状態だって?んなわけねぇだろう!」
という、当時の量子力学の不完全性についてツッコむ意味合いのモノである。

登場人物

全員細かく解説してたらそれだけでヤバい量になるので簡易的に

・右代宮金蔵(きんぞう):現当主。
子供や孫にキラキラネームを付けた西洋かぶれ。
本編一年前から“余命三ヶ月”と告知されている
・右代宮蔵臼(くらうす):右代宮家長男であり序列第二位。
六軒島に住んでいる投資家。学生時代はボクシングやってた。
・右代宮夏妃(なつひ):蔵臼の嫁。序列第十位。
苦労人。めっちゃ苦労人。そしてヒロイン!なっぴー。
・右代宮朱志香(じぇしか):蔵臼と夏妃の娘。序列第六位。
高3の18歳。恋に恋する反抗期。実は生徒会長もやってる。
・右代宮絵羽(えば):金蔵の長女。序列第三位。
アグレッシブママさん。息子を次期当主にするのが夢。
・右代宮秀吉(ひでよし):絵羽の婿養子。序列第十一位。
良い人。マジで良い人。そして良いパパ。
・右代宮譲治(じょーじ):絵羽と秀吉の息子。序列第七位。
21歳の院生。孫連中唯一の成人。メガネ。
・右代宮留弗夫(るどるふ):金蔵の次男。序列第四位。
プレイボーイ。ちょいワル親父(ちょい・・・?)
・右代宮霧江(きりえ):留弗夫の後妻。序列第十二位。
冷静沈着な才女にして、嫉妬の化身。
・右代宮戦人(ばとら):留弗夫と前妻の子。序列第八位。
主人公。18歳。実は前妻ではなく霧江の子というのが後に判明。
・右代宮楼座(ろーざ):金蔵の次女。序列第五位。
い♡け♡な♡いシングルマザー。黄金の夢。
・右代宮真里亞(まりあ):楼座の娘。序列第九位。
9歳にしてオカルトの権威。魔女と魔法の根源。
・使用人たち
源次・紗音・嘉音・熊澤・郷田
このうち、郷田のみ直近(本編二年前)に元大手ホテルのレストランシェフの腕を買われ雇われた新参使用人である。
源次と熊澤は古くから金蔵に仕えており、紗音と嘉音は金蔵が援助を行っている孤児院の出身である。
紗音に至っては16歳でありながら10年前から仕えている古参の一人。
・南條輝正:金蔵の友人にして主治医。

↑ここまで18名が1986年の六軒島に居たとされる面子。
ココからはその場に居なかったり、ちょっと事情がある面子。

・右代宮縁寿(えんじぇ):戦人にとっての異母妹。
主に12年後の1998年の世界の主人公。18歳。
1986年時の6歳縁寿は、体調を崩し親族会議には行かず霧江の実家に預けられていた為に偶然難を逃れた。
戦人の項でも触れたが、当初は戦人=明日夢(留弗夫の前妻)の子供で、縁寿は霧江と留弗夫の子で、二人は異母兄妹というのが“留弗夫以外”の共通見解であったが、実際は戦人も霧江の子であり戦人と縁寿は実の兄妹だった。
・古戸エリカ:一部のシナリオにおいて1986年の六軒島に流れ着く来訪者。
紛うことなき変態(シモ的な意味ではなく別の意味で)。
御本人の自称も“知的強姦者”だからね。
とにかく謎を解き明かさないと気がすまない生粋の探偵。
ただし上記のようにその性質は変態的に行き過ぎているので、謎を楽しむ為なら人情は無視するし、解いた後は出題者を見下して愉悦に浸るタイプ。
1986年以降の情報だと、確かにとあるプレジャーボートから古戸エリカという女性が転落した情報はあるが、その後の消息は不明。
後に語るが、1986年の六軒島に彼女が流れ着いたシナリオはとある人物の考えたifであると想定される。
・八城十八(とおや):1998年世界でのミステリー作家。六軒島の事件に興味を持つ“ウィッチハンター”の一人であり、六軒島と右代宮家を題材にした新たな物語=“偽書”をネットに投稿している作家。
偽書作家としての名義は“伊藤幾九郎〇五七六”
その正体は、1986年の事件を生き延びたが記憶喪失になっていた戦人=八城十八と、その戦人を拾って面倒を見ていた八城幾子の二人で一人のペンネームだった。
※八城幾子は戦人を拾う前からミステリーを書いていた。戦人を拾ってから、戦人=十八が原案を、執筆を幾子がという形で活動していた。
※偽書作家名の“伊藤幾九郎〇五七六”は数字にすると11019960576
この数字は「18の8乗」であり、八城十八の名前から捻ったもの

↑ここまでが人間
そして最後に・・・。

・ベアトリーチェ:黄金と無限の魔女。一人を無限に殺す力を持つ。
また、六軒島の夜を統べる魔女とも言われる。
かつて、金蔵と契約して10tの金塊を与えた事で右代宮家が再興出来たと言われている。金蔵は彼女に心酔しており再開を切望しているが・・・。

他にも細かい登場人物や、人間以外も解説してたらマジでヤバイ量になるので、ひとまず主要人物に限らせてもらいました(笑)

物語世界について

多重世界構成

うみねこのなく頃にという作品を、名作足らしめている要因でもあり、また逆に分かり辛くしている要因でもあるのがこの世界構成である。
前作であるひぐらしは、基本的には“同じ世界”をループしていて、基本的に同じ世界でも、ほんの些細な出来事をきっかけに別の惨劇に発展していく・・・その繰り返す世界の中でヒントを得て真相に辿り着いていくという構成でした。
うみねこの場合はそこが若干ややこしく・・・
①1986年の六軒島(ゲーム盤)
②1986年の六軒島(現実)
③1998年の縁寿視点の世界
④メタ世界
細かい事を言うともう一つあるのだが、ひとまずうみねこの全体像を把握する為に必要なのはこの4つの世界である。
この内、②③は非常に分かりやすい。シンプルに②で何か大事件が起きて、世間的には右代宮絵羽が唯一の生存者となった。そして12年後の縁寿は家族親戚一同を殺したのは唯一の生き残りだった絵羽ではないのかと疑い・・・ざっくりと言えばこんな流れなので、非常に分かりやすいのである。
では、①のゲーム盤というのはなんなのか。
第一話をプレイしていくと、最後には生存者が誰も居ない終わりを迎える・・・が、その後に判明するのが、EP1の話は海で漂着した瓶の中のノート片に書かれていた、所謂ボトルメールである事が発覚する。
更に先のシナリオをプレイしていくと、少なくても1998年時点において
・このボトルメールは他にも数種類見つかっている
・謎の多い六軒島事件と、このボトルメールに惹きつけられた通称“ウィッチハンター”達が自分達の脚色を加えた物語を紡いでいる(偽書)
・プレイヤーがプレイしたシナリオのうちのいくつかもこの偽書である
という事が発覚していく。
つまり、平たく言ってしまえば、後の時代の連中が未だに真相の分からぬ大事件に対して、好き勝手妄想してる状態であり、プレイヤーがプレイしていたシナリオに関しては(作中の)現実の六軒島に起きた出来事ではなく、あくまで漂着したボトルメールか、偽書であり、プレイヤーもまた1998年の縁寿と同様に、実際の1986年の六軒島で何があったのか分からないのである。
そして、それらボトルメールや偽書という形で産まれた仮説こそが①のゲーム盤なのである。
そして最後に来るのが④のメタ世界。
EP2(厳密にはEP1クリア後のお茶会)から産まれたこの世界。
基本的に出題編においては、バトラとベアトがそれぞれ
“犯人は人間”vs“犯人は魔女”
という論戦を繰り広げ、先に挙げたゲーム盤の進行を追いながら、お互いの主張を戦わせる世界である。
前半はベアトがゲームマスターであり、ゲームマスターの提示する“一見人間には不可能で魔女が魔法で行った殺人事件”を、なんとかバトラが人間が犯人でも成立するように立ち向かう形であるが、中盤でベアトの戦意喪失とバトラが全てを理解した事で、今度はバトラがゲームマスターとなって、古戸エリカや縁寿と言った真実を追い求める者たちと・・・という感じなのであるが、まぁまぁ文章で説明されてもナンノコッチャですよね(笑)
ココに関しては、ほとんどの謎が解明された漫画版のEP8でも特にこれと言った言及がない世界だったのですが、筆者の考えは後ほど語りますので、今はこの4世界がある事を理解出来れば良いかなと(笑)

この物語とは~主人公とその目的

前作ひぐらしにおいても、基本的な主人公は前原圭一という印象がある。
しかし、シナリオの全てを総括した主人公はと言えば古手梨花であり、シナリオ個別に見た時はそのシナリオ毎に違う。というのが、ひぐらしをプレイ及び視聴した方の共通認識なのではないだろうか。
では、本作うみねこの場合はどうだろうか?
基本的に主人公の印象が強いのはやはり戦人だろう。
なんだかんだ第一話の主人公を張っていたのは強い。
では、全8話を総括した場合の主人公は誰か?
それは右代宮戦人と右代宮縁寿である。

この物語は、真相の分からぬ事件で家族親戚一同を失った縁寿が真相を求める物語であり、生き延びはしたものの記憶を失った戦人が“皆”の元に戻る為の物語であり・・・
そして、主人公の裏・・・裏の主人公“ヤス”の絶望と希望と悲恋の物語である。

この物語とは~メタ的な視点

上記とは別に、更に言うとうみねこ内の「メタ世界」ではなく、プレイヤーである我々の世界からの視点である。
まずは筆者の結論を述べよう。
うみねこのなく頃にという作品は
“地の文で嘘を付く事が許されているミステリー”
である。
“愛が無ければ見えない”
というセリフが、至るところで登場する本作。
この作品は所謂“神の視点”で文章が紡がれる事が少なく、基本的には“誰か”の視点で紡がれていく。
特にゲーム盤の世界においては、回答編で言及される“探偵権限”を持っている人間“以外”の視点における地の文は、全てゲームマスターの影響下にあるのだ。
これはもう、うみねこにおいての一つの答えになってしまうのだが
A「部屋の中で悲鳴が聞こえたが、チェーンがかかっていてドアが開かない!」
B「チェーンカッター持ってくる!」
数分後
ガチャン!!
AB「死体・・・でも、チェーンがかかっていたしこれは密室殺人・・・」
というシーンがあったとしても、それを語ってる視点がAかBであり、AとBが“探偵”でない以上、それはAとBがそう言ってるだけで、それが真実かどうかは別という話である。
つまり、AとBが犯人側・・・共犯者である。というだけのトリックというレベルですら無い真相があっても、それは分からないのである。

少し話が逸れるが、前半のシナリオは上記の様なゲーム盤の事件、それを俯瞰して見ているゲームマスターであるベアトリーチェ、その対戦相手であるバトラ、それぞれが魔女犯人説と人間犯人説を論戦するのだが、この時ゲームマスターであるベアトは
「鍵のかかった密室で頭に杭が刺さって死んでいたのだからこれは魔法!」
と言い張り、バトラはコレを人間犯人説で否定する。
しかし、上記の様に
「密室を確認した使用人が共犯者である」
という論説を説けば人間犯人説自体を簡単に進められるのに、バトラが異常に苦戦したのは、バトラが魔法を否定して人間犯人説を取りながらも、昔から知ってる親族も使用人も疑いたく無いという感情があった為であり、言ってしまえば一人で縛りプレイをしていたからである。
※このメタ世界における論戦は、証明が必要な戦いではなく可能性を提示出来ればよいので成り立つ

話を戻すと、この「誰かの視点の地の文は、あくまでその人の視点での話である」というのは、ゲーム盤やメタ世界だけでなく、うみねこのなく頃にという作品全てにおいての核となる部分である。
“愛が無ければ見えない”
このテーマは、最初から物語の核を示していたのである。

結局、整理するとどういうこと?

一旦物語を整理する。

1986年10/4-1986/10/5
この日、六軒島で何かがあった。
最終的には六軒島大爆発という形で証拠も痕跡も吹っ飛んでしまい、この六軒島で何があったのかを証明する事は誰にも出来なくなってしまった。
その事件か事故かも分からない出来事から、唯一生存したのは右代宮絵羽。
(実際は戦人も辛うじて生存していたが、表沙汰になっていない)
家族親戚一同を失った絵羽は、同じく家族親戚一同を失う形になった姪の縁寿を引き取る。
そして、野次馬やマスコミに何を言われても決して六軒島の真相を語らなかった。
コレに前後して、我々プレイヤーがプレイしたEP1の内容を記したボトルメールが六軒島近郊の海岸部に漂着し表に出る事となる。
(作中でボトルメールは数種類あると言われているが、全8話の中で明確にボトルメールの内容であるとわかるのはEP1だけ)

1998年
事件から12年後、18歳になった縁寿。
絵羽との関係は最悪だった。
絵羽は縁寿を引き取った最初こそ優しかったが、親戚一同が全員死んだ事で右代宮グループを継いだという状況であり、マスコミや世間からは
「絵羽が全員を殺したのでは」
という疑惑を延々と掛け続けられた。
(絵羽が何らかの理由で真相を表に出さなかった事も拍車を掛けた)
それだけでも疲弊するのに、そういった噂に後押しされた縁寿から
「人殺し」
と呼ばれる様になった事もあり、絵羽の心は壊れたのだ。
病床に伏せる絵羽は、縁寿に自分と同じ気持ちを味合わせる為に、右代宮の当主の座と全財産を縁寿に相続させ、復讐を果たして病死。
唯一真相を知るであろう絵羽が死んだ事をきっかけに、縁寿は12年前の真実を探る旅に出る。
またこの時期には、未だに真相がはっきりしない六軒島事件、及びその前後に六軒島近郊に流れ着いたボトルメールに興味を惹かれた者達(通称ウィッチハンター)が、各々に脚色を加えた妄想の六軒島事件を執筆するというのがごく一部で流行っており、その中でも出来の良いものは偽書と呼ばれていた。

更にそこから数十年後
縁寿は“寿ゆかり”というペンネームで絵本作家として大成した。
1998年の真相を知る旅から戻った縁寿は、右代宮グループの重鎮であった小此木に全ての権利を移譲し、雲隠れしたのだ。
雲隠れ後に、絵本作家として大成した縁寿は、出版社を通してある人物と会う事になる。
それはミステリー作家であり、偽書作家である八城十八。
前述の通り八城十八とは、八城幾子と八城十八の二人で一人のペンネーム。
しかし、過去に縁寿が八城十八を訪ねた時に相対したのは幾子だけであった。
しかし今回は、幾子の他に車いすに乗った男性が現れた。
それは、ずっと死んだと思っていた兄、戦人であった。
そして、縁寿は戦人・・・十八を招待した。
縁寿が援助している養護施設・・・再建された福音の家のハロウィンパーティーに。
あの日の右代宮の屋敷を模したそのパーティー開場で、ようやく十八の中の戦人は“みんな”の元に旅立ったのだ。

細かいところを端折って大枠としてうみねこの世界を時系列順に並べるとこういった形になる。

賛否を巻き起こしたラスト

描写しないという選択

結局のところ、うみねこ本編において
“1986年の六軒島で実際に何があったのか”
というのは、ほぼ分からない状態=真相を猫箱に閉じた状態でエンディングを迎えるのである。
コレは、フォローと批判どちらでもあるのだが、筆者も実際にリアルタイムでEP8をプレイしていた時は
「ぽかーん」
となった。
これで全て分かる!と意気込んで寝ずにプレイした結果、なんかハッピーエンドっぽく終わってるけど、全然スッキリしねぇ!!!と(笑)
プレイ後にネットで色々と作者のコメントやインタビューを見たところ、作者としては、前作ひぐらしにおいて、まさに黒幕が発覚する!というその瞬間のスクショが出回ったりと、心無いネタバレにブチギレた結果、今作は敢えて明確な描写は避けて
「推理した人だけが辿り着く」
形にした・・・と。
うん・・・まぁ言いたい事は分かる・・・分かるんだが!!(笑)

また、批判意見を集めた理由のもう一つにEP8における作中の描写があった。
細かい部分は八話の原作か漫画を読んでもらうのがベストだと思うのだが
(あのシーンを詳細に文章で語るには、その前後の描写についても必要になるので・・・)
端的に説明すると、真相が分からない事を良いことに、未来の人間達が1986年の六軒島の真相についてある事無い事適当な推理をぶつけまくっている=猫箱を開けようとしている描写が、未来の人間の推理=ヤギを模した化け物という幻想描写という形ではあるがしっかり描写されており、それに対して
「興味本位で猫箱開けんじゃねー!」
という形で主人公たちが立ち向かう描写だった事から、この描写を指して
「あのヤギたちは、俺らプレイヤーの事で、プレイヤーが真相に至ろうとしている事を作者は揶揄している!!」
と、一部のプレイヤーが発狂した事も本作の評価を著しく否寄りに傾けたのは、筆者として頭の痛い話ではあるが事実だろう。

因みに筆者はこの作品が大好きではあるが、そんな筆者をしてEP8発売の直後に何処かの掲示板で見た
「答えのページが無いなぞなぞの本」
という表現には、思わず「たしかに!!」と思いました(笑)

ではホントに投げっぱなしだったのか

前項で語ったとおり、たしかに原作において「明確な真相」の描写は一切されなかった。
当時の筆者もポカーンとしたものだが、当時の作者の各媒体等における意見は
「推理すれば必ず真相に辿り着ける」
だったので、ならやってやろうじゃないかと二周目のプレイを実施。
とまぁサラッと書いたが、実際は一周目終わってから二周目に入るまでに多少期間は空きました(笑)
直接的な「全ての真相」と言える描写が無いとはいえ、やはりエピソードが進むにつれて新たに発覚する情報は多分にあるので、それを持ってEP1からやり直す事で見えてくるモノがあるのではないかと一縷の希望を託しての二周目プレイ。
そして、二週目のEP8を終えた時の筆者の正直に気持ちを述べると
「俺は全てを理解した・・・かもしれない」
であった(笑)
つまり、筆者は筆者なりに真相に至った・・・と思ったのだ。
イマイチ自信なさげな感じなのは、筆者の中で整合性の取れる一つの結論を見つけはしたものの、その答え合わせを出来る作りでは無かったからである。

数年越しに表に出る事になった六軒島の真相

2010年の年末に完結を迎えた本編であるが、原作の完結前である2008年時点から漫画として連載を開始。
そして、掲載が月刊誌だった事もあり漫画版でEP8が完結したのは2015年の事となった。
この漫画、EP1-EP6までは原作を踏襲する形でのコミカライズであったが、EP7は多少、EP8は大きく原作から変わっているのである。
端的に言えば、本編では“敢えて”ボカされてきた部分にもスポットライトを当てており、六軒島の事件や各ゲーム盤におけるトリック等の殆どに対して“明確な答え”を描写していたのである。
最終巻における原作者のあとがきによると
「漫画の完結は原作の完結より数年後になる」
「うみねこを追い求めてくれた人が最後に辿り着くメディアになるに違いない」
「最後の最後に、猫箱の中に招待しても良いのではないか」
※一部抜粋
という判断から、漫画版EP8において我々は猫箱の中に招待・・・いや、敢えて作品に沿った言い方をするなら
“猫箱のハラワタを引きずり出す”
作品となっていたのだ。
ここで、筆者は初めて自分の推理の答え合わせが出来る事になった。

これにて、真なる意味でうみねこは完結したのだ!!

“真相”とは

ストーリー上の“真相”について

上記で記載した通り、漫画のEP8の存在により、うみねこという作品におけるメインストーリー上の謎はほぼ全て表に出た。
それを踏まえた上で語りたい事があるのだが、その為にまず“真相を踏まえた上で”物語を再度時系列順に並べていきたい。
ただし、全てを語るには長くなり過ぎるので、可能な限り簡潔に記していく。

①1945年
海軍設営隊の任についていた金蔵は、潜水艦基地設営の為に六軒島にいた。
そして、その基地にイタリア・・・正確にはサロ共和国の潜水艦が現れる。
その時、六軒島の日本軍で唯一英語を扱える金蔵が、またイタリア側で唯一英語を扱えるベアトリーチェ・カスティリオーニがそれぞれの国の通訳という立場で邂逅する
※以降、上記のベアトリーチェ・カスティリオーニを、他の“ベアトリーチェ”との混同を避けるため“ビーチェ”もしくは“初代ベアトリーチェ”と呼称する
このサロ共和国の潜水艦の積み荷は10tの黄金。
この10tの黄金を巡る暴動にて、六軒島基地は金蔵とビーチェを除き全滅。
金蔵は怪我をしたビーチェを連れ、新島の医者(南條)の元へ。
金蔵は、当時の右代宮家の別荘(小田原)へ快復したビーチェを匿い、軍への六軒島事件の言い訳だったりに奔走。
それから数年後、ビーチェは金蔵との子供を出産するが、その出産時にビーチェが死亡。
持ち出したインゴットを元手に金蔵は財を成し、残りの黄金が未だ眠る、そしてビーチェとの出会いの場になった六軒島を購入。
家族と過ごす右代宮の本邸、そして娘である“二代目ベアトリーチェ”を匿う九羽鳥庵を設営し、二重生活を送る。

②1966-1967年
金蔵はビーチェと瓜二つの娘に対して過ちを犯し、二代目ベアトリーチェから三代目ベアトリーチェが産まれる事になる。
1967年、家出をして森の中を彷徨った幼少の楼座が偶然九羽鳥庵に辿り着き、二代目ベアトリーチェと遭遇。
屋敷の外を見てみたいという二代目ベアトリーチェを楼座が連れ出すが、不運な事故により二代目ベアトリーチェは崖から転落して死亡。
その後、母親を失った三代目ベアトリーチェを、金蔵は未だに子供が出来なかった蔵臼夏妃夫婦に渡し、右代宮家の次期当主として育てるようにと命じる。
しかし、その赤ん坊は夏妃によって崖から落とされて殺されてしまう。
ところが、実はその赤ん坊(三代目ベアトリーチェ)は一命を取り留めており、このまま六軒島に居たらまた金蔵が再び過ちを犯してしまう可能性を危惧した源次により、秘密裏に福音の家に預けられる事になる。
なお、三代目ベアトリーチェ=安田紗代はその崖からの転落により下腹部に重症を負った事から、子を成せない体となる。
※安田紗代の名前は福音の家に預けられる際に付けられた。

③1976年~
三代目ベアトリーチェ=安田紗代=ヤスは右代宮家の使用人となる。
使用人としては異例の“学業優先”で、朱志香と共に学校に通ったりもしていた。
福音の家の園長の影響もあり、イマジナリーフレンドを作る想像力に長けており、先輩使用人の“紗音”や最初の魔女(後のゲーム盤でガァプと呼ばれる魔女の見た目)等のイマジナリーフレンドを設定している。
また、この次期は戦人が親族会議に参加している事もあり、同年代でミステリー好き同士で語り合うなどして、戦人に恋心を抱く。
最後に戦人と会った時、戦人がした再開の約束を胸に秘めて頑張っていたが、その翌年以降戦人は留弗夫との諍いにより親族会議に参加しておらず、ヤスは悩む事になる。

④1984年
金蔵により右代宮家本邸にベアトリーチェの肖像画と碑文が設けられる。
同年中にヤスが碑文が解き明かし、ヤスは自分の出自を知る事になる。
また、それと同時に右代宮家の真なる当主になる。
ヤスについて知っていたのは、源次と南條、九羽鳥庵でも働いていた熊澤のみとなっているが、金蔵も偶然の出来事でヤスが自身と同じ多指症である事を知り、自身とヤスの関係に気づいてた。
※正確にはヤスのは多指症そのものではなく、多指症の手術跡
※これにより、金蔵はヤスを特別扱いしてもおかしくないように、福音の家出身の使用人に右代宮の象徴である片翼の鷲の刺繍を許す事にしたが、それによって長男の嫁でもあるのに関わらず未だに片翼の鷲を許されない夏妃から、片翼の鷲を纏う使用人達への当たりがキツくなるという悪循環が生まれている。

碑文を解いたヤスに全てを告げた後、金蔵は大往生する。
※碑文が提示されたのは1984年の4月。そしてヤスが碑文を解いて金蔵が大往生したのは1984年の11月。
※金蔵の反省の色を感じていた源次が、親子として再開させる為にヤスに碑文解読のヒントを与えた為であり、言い方を変えるとヤスは“碑文を解いた”というより“碑文を解かされた”のである。

⑤1985年
蔵臼夏妃夫婦主導により、金蔵の死を親族に隠したままの親族会議を実行。
その年は隠し通せたものの、他の兄弟達には疑惑が残る。

⑥1986年(親族会議前)
6年ぶりに戦人が右代宮の籍に戻り、親族会議に参加する旨がヤスに伝わる。
これによって、ヤスの中の人格・・・
譲治と想いを寄せ合った紗音
朱志香と想いを寄せ合った嘉音
そして、ヤスが自分の心を守る為に“ベアトリーチェ”の人格に押し付けていた戦人への恋心
また、仮にどの恋心だったとしてもそもそも自分と右代宮の孫達(戦人達)は、本来のヤスの出自からすれば甥や姪にあたる近親者である事。
内へ、内へ向かおうとする右代宮の血に対する拒否反応。
自身の身体の事(子を成せない)
これらがヤスの心をオーバーフローさせた事で、ヤスは親族全員を巻き込んだ心中をする事を決意。
※当主継承の際に受け継いた黄金と爆薬があれば可能というのも拍車を掛けた
ヤスをそこまで追い込んでしまった源次はそれに協力する事に。
熊澤と南條には「殺人ごっこ」という形で協力を取り付ける。
しかし、想い人たちを含めた一族を皆殺しにすることにためらいがあった。
迷った末に
「実行する『殺人ごっこ』が狂言殺人で終わろうと、ほんとうの殺人に発展しようと、想い人が碑文をとけばその時点で計画を中止し、すべての事実を告白する」
と決め、犯行計画書(「紗音」が犯人であるという前提で書かれたもの)を自白の意味を込めて、「ボトルメール」として海に流した。

⑦1986年親族会議時
ヤスの計画が実行される前に、大人達四兄妹が碑文を解き明かす。
黄金のある地下の貴賓室で、ヤスは六軒島の爆薬と時計の仕掛けについて一同に伝え、黄金の一部を現金化した約10億の入ったキャッシュカードを渡す。
黄金の分配について揉めた大人達。
ヤスが事件を起こす用に用意していたライフルが、取っ組みあいの結果夏妃を撃ち抜いた。
コレに端を発し、最終的には“爆発で全て無かった事に出来る”事に気付いた霧江&留弗夫夫婦が島内の虐殺を開始。
しかし、貴賓室内で撃たれて死んだと思われていた絵羽とヤスが生存。
絵羽、ヤス、戦人以外を虐殺した留弗夫、霧江は共に絵羽に射殺される。
絵羽はその後、ヤスから聞いていた九羽鳥庵方面に逃げる事で爆発から生き延びる。
戦人は、貴賓室に偶然辿りつき、親族の死体を見つけて呆然としているところをヤスと出会う。
ヤスは戦人に全てを打ち明けた。
※ただし漫画版による描写だと「どうしても言い難い部分は伏せた。彼も聞かないでくれた」とあるので、厳密な意味での“全て”ではない
爆発範囲からギリギリで逃げ切り、ヤスが用意してた(と思われる)モーターボートで島を脱出。
ヤスは島に残ろうとしたが、戦人がヤスを連れ出しボートは発進。
しかし、島を出たら戦人に自分の身体の事を知られる。
そのうえ、自分の犯した罪を自分で許せなかったヤスは海に身を投げる。
戦人はヤスを助けようとして、海に飛び込むが・・・。

⑧1986/10/6以降
八城幾子が、記憶喪失の戦人を拾う。
記憶の無い戦人に十八の名前を与え、一緒に暮らす事になる。
幾子が趣味で書いていたミステリーに対して興味を示した十八。
そこから発展し、十八がプロット書き、幾子がそれを執筆する形で、ミステリー作家「八城十八」が産まれる事になる。
ある日、幾子が十八を拾った付近の海岸で、ボトルメールを発見する。
“confession of the golden witch”
confessionは、他のボトルメールと違い、六軒島事件の内容ではなく、ヤスの生涯が書かれたモノであった。
それを見た十八の中に戦人の記憶が溢れ出す。
この時既に十八としての人格も形成されており、当時の戦人=十八からすれば、いきなり知らない人の記憶が頭に入ってきた形となり、その上自分の行動が事件を引き起こしたという記憶から、情緒不安定になってしまう。
そんな十八を見た幾子からの提案で、魔女への手向けと絵羽の告発の意味合いも込めて、十八は偽書を執筆するに至る。
※戦人は、ヤスから聞かされた断片的な情報で“自分が死体を見ていない親族”というとこから、後の時代の人たち同様に絵羽が真犯人だと思っていた。

EP3を皮切りに、いくつかの偽書を発表した頃、絵羽が八城十八を訪ねてきた。
偽書の内容から、コレは右代宮の親族にしか書けない内容だと確信していた絵羽は、そこで十八=戦人と再開。
幾子を公平な第三者として、絵羽と戦人がそれぞれの情報を持ち寄った事で、戦人も留弗夫&霧江の凶行を知ることになった。
また、その時に絵羽は十八達に自身の日記帳・・・あの日の全てを絵羽目線で書き記した日記帳の鍵を預けた。
いつか、縁寿が日記を手にして、自ら伊藤幾九郎〇五七六が八城十八だと辿り着いた時、覚悟の上であの日の事実を欲したなら己の判断で知るか否かを決められるようにと・・・。

⑨1998年以降
ココから先は、真実を欲した縁寿が動いたり、一通り動いた後は雲隠れして絵本作家になったりと“結局、整理するとどういうこと?”の項目で記した通りである。

犯人とは

ココまで長々と語って来たが、物語上の大きな流れは以上である。
巷ではうみねこの犯人というと、古くはポートピア連続殺人事件の時代から続く名台詞“犯人はヤス”に則って“犯人(黒幕)はヤス”と言われるのが通例みたいになっているが、実際のところ現実の安田紗代は誰も殺していないのである。
殺意はあった。準備もした。手段も豊富に用意した。
しかし、幸か不幸か大人達が碑文を解き明かした事で、安田紗代は誰も手に掛ける事はなかったのだ。
まぁ本人に言わせれば、あの状況で銃も用意してあったら誰からともなく諍いが起こるのは分かりきっていた事だから、未必の故意的な意味で責任を感じてはいたが・・・。
つまり、現実の話としてうみねこの物語上の犯人というなら、それは留弗夫&霧江夫婦なのだ。
犯人=殺人者という定義において言うなら、蔵臼をもみ合いの結果撃ってしまったのは秀吉であり、また絵羽も生き延びる為に留弗夫と霧江を射殺しているので、その定義で行く場合は秀吉と絵羽も含まれる。
※まぁ秀吉のは、蔵臼自身が持っていた銃で、蔵臼の指が引き金に掛かっていたので、十分に事故とは言えると思うが。

ただ、ココで一つ筆者の考えを述べたい
筆者が思う“うみねこの犯人”・・・それは“爆弾”なのである。
犯“人”じゃねーじゃねーかと思われそうだが(笑)
ただ、コレは別に「最後に全部ふっとばしたのが爆弾だから」というような安直な話では無くて、EP7でウィルが語っていたセリフ
「心をないがしろにするな」
という、ホワイダニット=動機に主軸を置いた時の一つの考え方である。
EP7で言及されているが、戦人が右代宮に帰ってくるのが後一年早くても、後一年遅くても、事件は起こらないか、起こったとしてももっと小さいものだったと言われている。
1986年の親族会議は、ヤス=紗音からすると譲治が婚約指輪を持ってくる大事な日。
戦人の期間が後一年早ければ、ヤスのオーバーフロー前だった
戦人の期間が後一年遅ければ、譲治と共に島から出ていた
でも、戦人は1986年に帰ってきた。
もし、1986年に戦人が帰ってこなかったからどうなったか。
大人達が同じように碑文を解いたとて、その貴賓室にはヤスが計画の為に集めた銃火器は無く、またヤスが居なかったら恐らく爆弾の仕掛けについて大人達が知ることも無かっただろう。
分配で揉めても、精々が殴り合いの喧嘩程度。
万が一、銃火器があったとしても、もみ合いで一人二人は死んだ可能性はあるが、そこまで。
留弗夫と霧江が動き出した一番の理由は
“何が起こっても、証拠もろとも全てを吹っ飛ばせる爆弾がある”
からである。
貴賓室で楼座も言っているが、金持ちの家でまさに遺産で揉めている時に相続人候補の死体が・・・なんて状況は、よほどの何かがなければ警察だってただの事故とは処理しないだろう。
本来であればそれが抑止力になるはずだった。
もっと端的に言えば
動機とは、当たり前だが“人を殺す理由”として考えられがちだが、この物語上では逆のパターン・・・“人が人を殺さない理由”がなくなったからなのである。
そして当然、その“殺さない理由”を消し去ったのは爆弾の存在。
だからこそ筆者は、うみねこの真犯人はと聞かれたら“爆弾”と答えるのである。

考察の始まり

最初に

ここまでを踏まえると、紆余曲折を経てうみねこの物語は全てを解き明かされたように見える。
各ゲーム盤についての細かいトリックは漫画版を読んでもらうのが良いが、その殆どが
・ヤス=紗音=嘉音
・古参使用人(源次、熊澤)と南條は常にヤスの味方
・金蔵は1985年の親族会議前に死んでる
・ヤスは当主として、莫大な黄金=金を持っている。金に困ってる親族達を買収するのは簡単
・ヤス(紗音)の目的は心中であり、自分が生き残る事は計算に入れていない
これだけ分かっていれば、大体のゲーム盤の謎は解けるのである。

そして、現実の六軒島については、先程の項目で一通り説明した通りである。

では、一体筆者は何を考察しようと言うのか。
それは“ゲーム盤”でもなければ“六軒島事件”でも無い。
“うみねこのなく頃に”という作品そのものの構成についての考察である。
それがどういう意味かは、読み進めてもらえればお分かりいただけるであろう。

考察について(持論)

本題に入る前に、筆者の“考察”というものについての持論を述べたい。
以前、別の記事の際にも書いたのだが、筆者にとっての考察とは
“作者から名言されていない、作中で描写されていない部分を、作中の描写や作者のコメントと矛盾無く想像すること”
だと思っている。
一例をあげるなら
「右代宮金蔵は実は1986年の親族会議時にも存命しており~」
というのは、作中で金蔵の死亡が名言されている以上、妄想・・・つまり二次創作にしかならず、コレは考察とは言えないのである。
つまり、筆者としては原作及び漫画版等の“うみねこのなく頃に”という作品内で描写されていない部分を、描写されている部分と矛盾が無いようにアレコレ考えて筋を通すのが考察。

赤き真実に抵触しない限り、数多の真実は並び立つ。
今回に当てはめて言うなら、赤き真実=うみねこ作中における描写という形で、コレに抵触しないように“青き真実”をぶちかます思考遊び。
それ即ち、知的強姦者の嗜みである!

各EPの存在について(EP2)

EP1は、最後にそれがボトルメールである事が作中で明かされる。 EP3-6に関しては、EP6で縁寿が幾子の元を訪ねた際に、EP3-EP5までが八城十八の作品であり、未発表のEP6を縁寿に朗読させるという形で描写されている。
EP7-EP8については、この先の項目で改めて語るが、明らかにそれまでのEPとは扱いも種類も違う。
ではEP2はどうだろうか。
EP4で明かされる、ボトルメールが警察と漁師がそれぞれ発見して2本存在するという情報。及びEP3-6が八城十八の偽書であるという情報。これらの情報を頭に入れていった結果、筆者も最初はEP1-EP2の2つがボトルメールであると思っていた。 ただし、筆者が探す限りそれに言及するものをは見つからなかった。 作中で言及されていないのであれば、ココは読み手の屁理屈遊びをするしかない!(笑)
先に、筆者の結論を記す。
“EP2もまた八城十八の偽書である。ただしそれは公開されていない”
である。以下に根拠を列挙していこう。
・幻想描写の有無
作中において、幻想描写(魔法描写)がガッツリ出てくるようになったのはEP2からであり、少なくてもEP1の時点では精々が “黄金蝶の目撃” “使用人達が誰も居ない空間を、誰かが“いる”ように見ている” 程度である。 この描写に関しても、ここまで語ってきた真相を考えれば特に幻想でも何でもない訳だ。
ボトルメールに幻想描写があったから、偽書にも幻想描写が書かれるようになったと考える方向もあるが、そもそもそのボトルメールを書いたのはヤスである。 熊澤にミステリーを教わり、戦人とミステリー談義をしていたヤスが書いているのだ。 ボトルメールに関しては純然たるミステリー・・・つまりEP1のような形になっている可能性が高いのではないか。
また、EP4において1998年の縁寿のセリフで、見つかった2本のボトルメールの内容が異なる点に触れているセリフがある。 あるが、この時縁寿が触れたのは犠牲者の順番と死に方が違う・・・というだけであった。
もし、EP2において我々がプレイした様な幻想描写があった場合、最初に指摘するべき違いはそこなのでは?
ただし、漫画版のconfessionのボトルメールの内容で、ヤスが数多の犯行計画書(ボトルメール)を執筆しているシーンにおいて 「魔法幻想で修飾した、無限の10月4日5日の物語を」 とのセリフが有るため、ボトルメールにも幻想描写があったとしても矛盾は特になく、これだけでは根拠としては弱い。
・メタ世界の有無
バトラとベアトが論戦を繰り広げるメタ世界。
これの初出はEP1の最後・・・という書き方だと今回はちょっと語弊が産まれるので詳細に書くが、EP1が“真里亞”のサイン入りのボトルメールだと発覚した後の、オマケの様な始まりがメタ世界の初出である。
つまり、ボトルメールにメタ世界の表記は当然無かったと考えられる。 その上で、幾子が戦人=十八に偽書を書くことを進めた経緯は、絵羽の告発と魔女への手向けの他に、十八の記憶の整理という部分もあったのではないだろうか?
そう考えるとメタ世界とは 真実を知っている戦人(戦人本来の記憶) と 思い出したくない記憶を“魔法”として閉ざそうとするベアト(戦人の身内を信じたい気持ち、及び十八の戦人の記憶に対する忌避感) の争いだったのではないだろうか。 メタ世界=十八の心の葛藤と考えると、当然それが描写されていたEP2は十八の偽書という事になるのである。
※ただしコレを執筆している時点では戦人も犯人は絵羽だと思っているので、そういう意味では“真実”ではなかった訳だが

・赤字の存在
うみねこといえばの“赤字システム” このシステムは、この記事をココまで読む人は大抵原作か漫画でうみねこを読んだ方が大半だろうから、ご存知の方が殆どだろうが、一応解説をしておくと、赤字とは“真実”である。
主にメタ世界と幻想描写において使われるシステムであり、原作はサウンドノベルである事から、文字通り“その文章を赤く”表示させるモノ。
原作における表現をそのまま使わせてもらうと、赤文字を使う事が出来るのはそれぞれのゲーム盤のゲームマスター、及び上位レイヤーの魔女達が使う能力であり、赤字で名言されたものは疑う必要の無い真実だと保証されている。
例をあげれば、そのゲーム盤のゲームマスターが 「この部屋に抜け道は無く、完全なる密室である」 と赤字で言ったら、その密室は紛れもなく密室なのである。
また、漫画版EP8でバトラが語っていたが、赤字には “そのゲーム盤でのみ有効な赤字” と “全てのEPに共通する赤字” が、あると名言された。
推測の部分もあるが、前者はそのゲーム盤のゲームマスター=偽書の作者がその偽書の中の真実として語れるモノ。後者は、後の時代に真実と発覚しているモノや、Confessionの内容・・・例えば戦人の出自等が該当すると思われる。
そして、この赤字システムも幻想描写やメタ世界と一緒でEP2から出てきたモノであり、十八の偽書とするのが自然かなぁと筆者は思った。
余談ではあるが、真実=赤字とするのは最初はただのシステム的なモノだけかなと思っていたのだが、漫画版で幾子が拾ったという、ヤスの生い立ちが書かれたconfessionのボトルメールが“赤い紙”に記載されていた事から、真実=赤という形になっているのではないかと推測している。

以上の根拠から、筆者としてはEP2はボトルメールでは無く偽書だと考えるに至ったのだが、それが公開されていたかどうかと言われると、公開されていないのであろう。
根拠としてはシンプルで、漫画版EP8の終盤において、幾子、十八、縁寿の三者で話をした際に 「Banquet(EP3)を皮切りに何作か発表した頃~」 というセリフがあるので、やはり絵羽の告発も目的の一つとしていた以上、最初に世に発表した偽書はBanquet(EP3)であると。
その為、流れとしては 十八が記憶の整理としてEP2を執筆→そこから、本題である絵羽の告発に向けたEP3Banquetの執筆をして発表という流れだろうというのが筆者の考察である。
まぁ 「Banquet(EP3)を皮切りに何作か発表した頃~」 のセリフをそのまま受け取ると、EP2はボトルメールで八城十八の偽書はEP3からとするのが自然でもあるのだが、それだとどうしても上述の幻想描写とかメタ世界とか赤字とかが説明つかんのよね。
特に、メタ世界のバトラはEPが進むに連れて成長していき、EP5の最後には全ての真相に至り、その結果EP6のゲームマスターとなっている。
つまり、メタ世界のバトラには一種の連続性がある以上、メタ世界の描写されているEPは十八の偽書・・・が、一番収まりが良い気がするんですよ。 もっとも、メタ的(作中のメタ世界の事ではない)に言うと、EP1はプレイヤーに対して登場人物の顔見せや舞台設定の把握の為のEPで、EP2から本格的に・・・という理由があるのは言うに及ばずだが(笑)

各EPの存在について(EP5)

上述のEP2と違い、EP3-EP6は八城十八の偽書という形で出自自体はハッキリしている。
では何が謎なのか?
このEPのゲーム盤はゲームマスターが交代しているのだ。
EP2の考察において、筆者はメタ世界とは十八の中の葛藤だという推論を提示した。
confessionのボトルメール、及びをそれをキッカケに戻ってきた戦人の真実の記憶。
戦人の身内を信じたい気持ち、自身がヤスの絶望のキッカケ・・・そしてそこから派生した惨劇を止められなかった罪悪感、及び十八の戦人の記憶に対する忌避感。
その葛藤がゲームマスターであるベアトとチャレンジャーであるバトラの論戦という形で描写されているのだと。
しかし、メタ世界のベアトはEP4の最後に完全に戦意喪失し、ゲームマスターは絶対の魔女ラムダデルタに変更。
それを受けて、対戦相手であるバトラも当初は対戦を拒否。
しかし、ゲーム盤の終盤で
「俺とベアトのゲーム盤を取り返す!」
と、再度参戦するという流れ。
これは何を表しているのだろうか?
今回もまた、先に筆者の結論を記そう。
“EP5は幾子が主導で書いた偽書である”
今回、根拠としては一つである。
・ロノウェが語る「愛が無い」
EP5の序盤、ラムダデルタが紡いだゲームに対してロノウェが語った感想である。
このセリフの詳細な意味は漫画版のEP8で描写されている。
ヤスとしては、誰かに・・・特に戦人に碑文を解いてもらいたかった。
だから、ヤスの数多の犯行計画の中心には「金で親族を買収する」というギミックがあったが、戦人を買収する事だけはなかった。
※ついでに言うと、戦人、譲治、朱志香を序盤で殺す事もなかった

“出来るけど、やらない事”
である。
碑文を解いてほしい人を買収するのはヤスが望む事では無いから。
だが、EP5のゲーム盤の真相は戦人も買収されているゲームであり、ロノウェはそれを指して「愛が無い」「義理が通らぬ」という表現をした。
しかし、逆に言うとそれだけであり、ゲーム盤のルール自体は守られていたのも事実である。
ゲーム盤のルール・・・改めて記載すると
ルールX:毎回共犯者が違う。大人達は全員金に困窮しており買収は容易い
ルールY:場の全員が了承した嘘は現実として描かれる。密室空間であればなお好ましい
補足:黄金蝶が見える人間は犯人側か死者。買収されていない者は死の30分前まで蝶は見えない
※EP8より抜粋

これらのルールを知っている者は、当然それに則って記したヤス。
それ以外は?
このルールは漫画版で存在が発覚したconfessionのボトルメールにも記載されている。
つまり、十八と幾子は知る事が出来たのである。
ただし、ここまでのTurn(EP2)Banquet(EP3)Alliance(EP4)では、戦人犯人説、及び戦人買収説は描かれて来なかった。
それは、今までの偽書は十八が主導で書いていた(プロットを十八が出していた)からではないか?
十八はConfessionを読み記憶を取り戻した描写が漫画版EP8で存在する。
そして、取り戻した記憶に悩むが故に幾子は偽書の制作を提案した。
つまり、偽書制作段階においての十八は、上記に記載した通りの葛藤を抱えていてスムーズに全てを思い出した訳ではないが、それでも“知っていた”
では、幾子はどうか。
郁子はConfessionを読んだだけである。
無論、Confession外の事も大枠の部分は十八から聞いているだろう。
だからこそ、絵羽の告発の意味も込めて・・・という話にもなったのだろう。
だが、そこまで細かく全てを聞いていたのか?
そして十八が話しただろうか?
自身の記憶の問題に苛まれていた十八が、そこまで細かく全てを話していたとは考え辛い。
そう考えると、やはり幾子に当事者と同様の感情移入は無理だろう。
つまり郁子は“真相を知る第三者”という唯一の存在なのである。
※ココで言う真相とは六軒島事件では無くヤス関連の話

だからこそ、ロノウェ流に言うなら愛の無い物語・・・つまり
“戦人を買収し、かつてのヤスを拒絶した夏妃を追い込む物語”
が書けたのではないだろうか?
そこに一切の思い入れが無く、ただただ純粋に情報としてConfessionに記載されたヤスの生涯を読んだのなら、右代宮家・・・特に夏妃に対する復讐という物語は、考える中では“ありえる”話なのだから。

根拠としては、この「愛がない」のみではあるが、コレを元に一つの仮説を立ててみた。
魔女への手向け、絵羽の告発、記憶の整理・・・それらを目的として十八は偽書の制作に着手。
しかしAlliance(EP4)執筆の終了間際、もしくは終了時において十八の精神は限界を迎える。
十八からは他人の記憶にしか感じれない“戦人の記憶”
翌朝目覚めたら、自分は“十八”では無くて“戦人”になっているかもしれない恐怖。
思い出せない罪。
しかし惨劇を回避出来たかもしれない自分。
色々ありつつも仲の良かった親族達。
その親族が殺しあったという事実。
大事な妹の事。
また、十八からしたら否定したい記憶である“戦人”の記憶の中で、自分が母と信じてた明日夢が実の母親では無かったという真実。
これらが負荷となり、十八は発作的に自殺未遂をする。
EP8で十八が車椅子なのは、戦人の記憶と板挟みになり衝動的に・・・という描写があり、それがEP4のラストからEP5の中盤までメタ世界のバトラとベアトが共に戦意を喪失しているという描写に重なる。
その十八を見た幾子が暇つぶしに・・・
いや、ここはうみねこの世界。
可能な限り、最大限に“愛”を持って見よう。
その十八を見た幾子は、新たな偽書の執筆を開始。
ルールは知っている。背景も把握している。十八の話を聞く限り、実際のところ十八は犯人でも犯人一味でも無いのだろう。
詳しくは分からないが、Confessionを読む限り、ヤスという人物も十八=戦人には好意を寄せている感じも伝わる。
だからこそ
だからこそ
幾子は“ルールに逸脱しない”範囲でそれを裏切る。
ルールに抵触しない範囲で、あらゆる方向で“今まで”を裏切る。
裏切っていけないルールはConfessionに書いてある。
そしてもう一つ。
例えホントの六軒島事件がどんなモノであろうと、それは人間が起こしたものであり、人間が起こしたものある以上は“共感は出来なくても理解は出来る”はず。
それを辿る為の道標としての“ノックスの十戒”
しかし、ココでいきなりノックスを持ち出すのも違和感がある。
なら、いっそ登場人物を増やすか。
当時のニュースを確認すると、六軒島付近でプレジャーボートから古戸エリカという人物が転覆して行方不明になっているらしい。
なら、その彼女に登場してもらおう。
「十八、良いのですか?このままでは好き放題の物語が紡がれてしまいますよ」
一命を取り留めた十八が、幾子の執筆中の原稿に目を通す。
「これは違う!」
「おや?では十八、何が違うのですか?」
憤る十八を見て、幾子は少しばかりの笑みを浮かべたのかもしれない。
十八は考える。
幾子の紡いだこの偽書は明らかに“違う”
では何が違うのだろうか?
遠ざけて、意識の外にやろうとしていた“戦人”の記憶を辿る。
幾子が見つけてきたConfessionを改めて読む。
記憶の蓋が、徐々に開いていく。
それは事件より遥か前。
戦人からしたら、何の気もない軽口のような約束だった。
全てが・・・繋がる。
確かに俺は“六軒島の魔女”ベアトリーチェなんかとは面識は無かった。
だが、右代宮の籍を抜ける前にはたしかに“後にベアトリーチェとなる”彼女と親交があった。
そして、彼女との約束を・・・俺は破ってしまったのだ。
それまでは漠然としか知覚出来なかった罪悪感。
それが形を成した。
彼女を追い詰めた一端が、たしかに自分にあったのだ。
そしてようやく・・・戦人は至った。
この物語の全てに・・・。
戦人の記憶と向き合うのはまだ怖い。
だが、それでも全てに至ったのだ。
幾子の荒療治とも言えるこの偽書が、全てに至らせてくれた。
もう自分の中の偽りの魔女は必要ない。
偽りの魔女に終焉を・・・この物語のタイトルは
“End of the golden witch”
戦人が全てに至り、偽りの魔女の終焉を告げる物語である。

なんていう、仮説というより妄想二次創作である(笑)
ただ、本編中の描写に抵触はしていないはずだし
“ゲームマスターが変わり”
“紡がれたゲームに愛は無く”
“今まではあり得なかった来訪者が現れ”
“しかし、戦人が全てに至るキッカケとなった”
そんな、全ての条件を満たしているのではないだろうかと筆者は勝手に思っております(笑)

閑話休題

いや、ここまでの考察も本題だから、そういう意味では閑話休題という熟語は正しくないのだが、そこは大目に見ていただいて・・・。
上記EP2とEP5の考察を読んでいただければ、筆者が最初に言っていた
“うみねこのなく頃に”という作品そのものの構成についての考察”
という意味が伝わったのではないかと思う。
うみねこ世界において、ゲーム盤は“ミステリーで解ける”ように出来ていながら、それを魔法描写・幻想描写で脚色する事で猫箱足らしめている。
そしてそれはゲーム盤“のみ”の話ではなくて、形を変えて現実の六軒島にも適用されている。
作中のゲーム盤で、密室殺人に対して幻想描写の脚色があるように、作中のメタ世界やアウローラの存在は、現実の“何か”に対しての脚色なのだろうと仮定して、その“何か”をある程度の根拠を元に求めようとしているのである。
世界観に合う言い方をするなら
徹底的に、無慈悲に、一切の容赦と手加減をせずに
“うみねこのなく頃に”という世界のファンタジーのハラワタを引きずり出す行為である。

もうひとつの例はEP7における金蔵の過去である。
金蔵自身の回想という形での描写と、クレル=ヤスの回想(金蔵の過去を聞いた&六軒島の状況証拠に基づく想像)では、結果はどちらも
“ビーチェと金蔵を除く、イタリア兵も日本兵も全滅”
という形で変わらないが、その過程に差異が見える。
・金蔵の回想では、金蔵の上官がイタリアの黄金奪取を目論んでおり
・ヤスの回想では、金蔵が上官にイタリアの黄金奪取を持ちかけている
この真実は、金蔵が死んだ時点で誰も分からないが、例えば前者が真実なら、ヤス=クレルは金蔵に対する愛の無さ(信用の無さ)が、後者のように見させており、後者が真実なら金蔵が自身の過去の罪を語らなかっただけである。
この2つがどちらが真実なのか、これが僕らの現実世界なら当事者が死んだ時点で迷宮入り案件だが、少なくてもこれは“うみねこのなく頃に”という一つの作品であり、作品のテーマ的にずっと“愛がなければ見えない”と言い続けてる作品であるのならば、きっと真実は金蔵の回想で、ヤスには金蔵に対する愛が無かった。
(ヤスの出自を考えれば、金蔵に対する愛が無かった事を責められないが)
という事なんだろうなぁと推測することが出来る。
そういった推測に対して、作中に根拠を探して妄想する・・・

この2つをあわせて“筆者の考察”である。
総括すると、慈悲は無く、容赦はしないが愛をもって作品をしゃぶり尽くすこと。
コレが、筆者が令和の世にうみねこの話を書こうと思った理由の一つであります(笑)

各EPの存在について(EP6)

さて、再度EP考察に。

これまたココまでのEPとは違ってくる。
まず、ゲーム盤のゲームマスターが全てに至ったバトラに変更。
そして、1998年世界においてDawn(EP6)は未発表作品であり、ミステリー作家兼偽書作家の八城十八を訪ねた縁寿に対して、幾子が感想を求めて提示した物語である。
更に、真相を知った上で見るとDawn(EP6)は紗音と嘉音とベアトリーチェの恋の決闘という、ある種の“うみねこ世界の解答”を示している物語でもある。
というように、EP6に関してはそれまでのEPと比較した時に、変更点は多々あるものの出自自体はハッキリしており、またここまでの流れを鑑みれば“全てに至ったバトラ”がゲームマスターになる=全てをちゃんと思い出し、多少なりともその記憶と向き合う事が出来た十八=戦人の作と考えるのがストレートだろう。
このEPにおいて、ゲームマスターであるバトラはロジックエラーの密室に閉じ込められる事になるが、これの解決方法(嘉音が戦人を助けにきて、戦人を逃した後にクローゼットに隠れた嘉音が消える)から逆算していくと、これは“ヤスの真相についてどこまで描写するのか”の葛藤と考えられる。
つまり筆者がココまで記してきた考察に則っていくと、EP6そのものに関しては上述(EP2、EP5)のような謎は無いのである。
ただし違った方向性での疑問は存在する。
“未発表作を縁寿に読ませたのは何故か”
幾子は訪ねてきた縁寿に対して
「かつて、私は戦人を通してカケラを鑑賞していた。しかし、彼がゲームマスターを継承した今、観測者として相応しくないのだ。さながら、推理小説を逆さに読むように」
「戦人が至ったという真実、それがどのようなものか、私自らの思考の旅で追いたいのだ」
というセリフを告げている。
この内容を、幾子流・・・というか、アウローラ流の言い方を抜いて、現実的な表現に置き換えるなら
「ずっと、断片的な記憶に悩む十八と共に、あれこれ言いながら偽書を作ってきたが、その過程で十八は全ての記憶を取り戻した。今の十八は“全て”を知っているから、お互いの推理を出し合う相手には相応しくない。私は答えを教えてもらいたいのではなく、自分で答えに至りたい。だから、十八が執筆したDawnを一緒に読んで、あれこれ言う相手が欲しい」
という感じなのではないだろうか。
これでキレイにまとま・・・ってない!全然まとまってない!!
何故なら、漫画版EP8の描写において、生前の絵羽が八城十八を訪ねており、その際に幾子を公平な第三者として、十八=戦人と絵羽がそれぞれの情報を突き合わせている。
それが具体的に何時なのかは言及が無いが、当たり前だが絵羽が訪ねて来た以上、絵羽の存命中であり、1998年に縁寿が訪ねて来るより前である事は確実である。
つまり、縁寿が訪ねてきた段階において、幾子は
“Confessionを読んでおり”
“偽書の執筆過程で、ある程度の当時の六軒島の様子や、親族について理解しており”
“絵羽の来訪により、1986年の真実も知っている”
という、ほぼほぼこの世界の謎の全てを知っている立場なのである。
そんな幾子が言う“知りたい”というのは、一体なんの事なのだろうか?

こういう時は逆から考えよう。
EP6のラストは、アウローラがベルンを呼び出して
「答え合わせがしたい」
という形で締めくくられる。
そして、実際に行われる答え合わせが次のEP7である。
答え合わせがしたいとうことは、その時点で幾子=アウローラは自分の中での真相に至った訳である。
つまり、EP6で縁寿にDawnを朗読させた事が、幾子=アウローラが“真相”に至る上での最後のピースになったと考えられるのだが、上述したようにその“真相”が“六軒島事件の真相”であれば、幾子は絵羽が訪ねて来た段階で知っている。
ヤスの特殊な出自についてもConfessionを拾ってきた張本人であるから、当然知っている。
基本的にうみねこ世界で“真相”と言うと、この2つを指す事が殆どだが、この2つの“真相”を知っている幾子が更に求める“真相”とは一体・・・。

もう少しだけ先の描写から考える。
先というはEP7の描写である。
EP7についての私見はこの後別の項目として詳しく述べるが、このEP7は“答え合わせ”のゲーム。
ウィル=ヴァン・ダインの二十則を頼りに今までの事件の背景や真相を暴いていくEPである。
ただし、このEP7は序盤こそ金蔵とビーチェの邂逅や、二代目ベアトの死亡事故というような“1986年10月より過去”の、事件の背景を洗い出しているが、中盤以降のクレル=ヤスの葬儀においてウィルがその剣・・・ヴァン・ダインの二十則で斬るのは“これまでのゲーム盤のトリック”である。
EP7を原作でプレイしていたり、漫画で読んだ場合、序盤で初めて明かされる金蔵とビーチェの過去や、終盤に縁寿と理御に対して強制的に突きつけられる“真実”とやらに印象が持ってかれがちではあるのだが、EP7を“答え合わせのゲーム”として見る場合、クライマックスは間違いなくクレルの葬儀シーンである。
となると、やはりココで明かされた各ゲーム盤の真相やトリック(原作ではプレイヤーに対してはかなり曖昧に、漫画ではかなりハッキリとした)
こそが、アウローラが求めた答え合わせだったのではないかと筆者は推測した。
事実、EP6のラストにベルンに答え合わせを依頼するアウローラは、過去の棋譜(過去のゲーム盤)も用意したと言っていた。
筆者はこの項目の疑問について“未発表作を縁寿に読ませたのは何故か”としていたが、これは事実では無かった。
縁寿に読ませた“何故”は、その後の幾子のセリフ通り
「私自らの思考の旅で追いたい」
だけの事だったのだろう。
問題は、Confessionを所持し、絵羽の話も聞いていた幾子が一体何を知りたかったのか・・・。
そしてその答えは
各ゲーム盤の答え(犯人やトリックなど)”
と言うのが筆者の答えとなる・・・が、その場合更に一つの疑問が産まれる。
幾子=アウローラはDawnを縁寿に朗読させた後に“答え合わせ”をベルンに要求している。
繰り返しになってしまうが、つまり幾子にとってはDawnより前・・・End (EP5)の時点では(ある程度の推理はあっただろうが、答え合わせを要求するほど確度の高い)推理は無かったと考えられる。
それがDawnの内容で推理が産まれたor推理が補強されたからこその“答え合わせの要求”となったと考えられるが、その場合Dawnで新たに明かされた部分、幾子の推理補強になった部分は一体なんだろうか。
単純に考えればやはり“人数”だろうか。
EP1から嘉音の死体が見つからなかったりと、紗音=嘉音については初期から一部のユーザーで囁かれていた事もあったが、それをハッキリ人数差という形で言及したのがこのDawnである。
いや、苦しいか。
Confessionの中身で、ヤスは自身が男性使用人である嘉音に扮している事を記載しているので、Confessionを読んでいる幾子にとっては、紗音=嘉音で、エリカを迎えても17人というのは新事実とはなり得ない可能性が高い。
更に言うなら、縁寿と共に従兄弟部屋&隣部屋の密室について語るアウローラは、それを打開する一手に思い至っている。
それを使えば現状は打破出来るが、それは二度と使えぬ手であり、ベアトの心臓の一部である・・・と。
もう一つ思い当たるのは、戦人とベアト=ヤスの約束絡みだ。
EP6において、Dawnを朗読し始めた縁寿と幾子(アウローラ)は共に、戦人の心変わり=ベアトに対しての心情の変化について言及している。
Endの最後には、それまで親族を殺した敵として憎んでいたベアトに対して、何かに気付いた戦人を謝罪の言葉さえ口にした・・・と。
後のEPまで読了したプレイヤーや読者にとっては周知の事実ではあるが、この気付いた事とは“ヤスに対して、戦人が白馬に乗って迎えに行く”と言ったのに、その翌年から戦人は留弗夫との諍いにより右代宮を飛び出し、六軒島に来る事が無かった=ヤスを迎えに来なかった事である。
“それ”自体は、あの大事件の引き金となるにはあまりに些細な子供のセリフであったが、様々な要因が絡みに絡んだ結果、間違いなくその約束は六軒島大爆発に繋がるモノであった。
ただし、問題なのはその“約束”についてDawnでは特に言及されている様子は無い。
前述した通り、なぜ戦人はEndの最後に心変わりしたのか・・・という疑問を縁寿とアウローラが触れるワンシーンがあるだけである。
少なくてもDawnを読んで
「過去に戦人がこういう約束をしたのに破ったんだ!」
という事は分かりようが無い。
更に言うなら、縁寿はともかくアウローラ=幾子についてはConfessionにヤスの戦人への恋心、そして戦人が右代宮の籍を抜け、彼が迎えに来なかった事、それに寄って苦悩したヤスが嘉音という男性として振る舞うようになる等の描写があるので、そもそも知ってたはずなんだよなぁ幾子・・・。

※物凄いメタい事を言ってしまうと、Confessionのボトルメールの存在自体プレイヤーサイドに明かされたのは漫画版EP8であり、漫画版EP8については前述した通り原作者が熟考を重ねた結果として全てを曝け出す事を決定して、意図的に原作を改変して全ての真相を表に出す形になっている。つまり、それまでのEPとは根本的に立ち位置が変わっており、身も蓋もない言い方をしてしまえば、Confession自体が後付け(元々の設定に存在したのかどうかではなく、各EPとの整合性という意味で)という可能性が高く、それで“整合性のある筋の通った説”が生み出せない・・・という可能性も多分にあるのだが、それに負けてしまったらそもそもこのノートの趣旨に反してしまうので、その投げっぱなしだけはしたくない・・・と言った初期バトラの様なセルフ縛りプレイに悩む筆者であった。

各EPの存在について(EP7)

さて、EP7はこれまた今までとは大きく変わる物語である。
スタートからいきなり新キャラ(ウィル)が出てくるし、ゲーム盤ではいきなりベアトの葬儀をやっている始末。
リアルタイムで発売日にEP7を始めた時は、最初混乱したものです(笑)
しかしてその実態は、EP6の最後でアウローラがベルンに要求した【答え合わせ】の物語。
それまでに登場していたドラノール(ノックスの十戒の擬人化)に続き、今度はヴァン・ダインの二十則の擬人化であるウィルを使い、EP7開始当初では謎の存在である右代宮理御を助手として、ベアトリーチェ殺人事件を解き明かす物語である。
ココで初めて、金蔵と初代ベアトリーチェとの邂逅について語られたりと物語の深部に触れるEPであり、クライマックスでは過去のEPのゲーム盤におけるトリックについての解答(ゲーム版ではボカした形で、漫画版ではある程度ハッキリと)を読者に提示する。
にも関わらず、ラストには縁寿と理御は鎖に繋がれ、縁寿の一番考えたくない形での真実・・・留弗夫と霧江が主導の六軒島大量殺人を見せつける。
ベルンはその映像に対して「これは全て真実~」と赤字で言うが、最後の部分に縁寿の悲鳴が被っており、後にベルンは「これは全て真実・・・とは限らない」と言おうとしたのだが、縁寿が悲鳴で遮ってしまったと供述しておりましたが(笑)
そして理御についても・・・
理御の正体は、異なる可能性の“ヤス”
つまり、黄金の魔女ベアトリーチェに“ならなかった”三代目ベアトリーチェである。
具体的に言うと、二代目ベアトリーチェが三代目を出産と共に亡くなり、産まれたばかりの三代目を金蔵は蔵臼夏妃夫妻に次期当主として育てるように渡す。
殆どの場合、夏妃はその子を育てる事はないのだが、ベルン曰く257万8917個の世界の中で1個だけ夏妃が三代目ベアトリーチェを受け入れ、朱志香の姉(性別はトコトンボカされているが、ヤスの事を考えると姉だろう)として、次期当主として養育される。
そんな“ありえたかもしれない世界”のヤスこそが理御。
しかし、そのヤスが理御として存在できる世界ですら、留弗夫と霧江の凶行は発生し、1986年10月4日に殺される。
理御はそんな事実をベルンに突きつけられる。
そして最後はそんな理御を守るウィルとベルンの戦い・・・
から、場面を移してベルンとアウローラが
「これで答え合わせは十分でしょう?」
「うむ、実に満足しているぞ」
という形である。
※厳密に言うと、この後にベルンが「私はまだ一度もGMをやっていない」と、次なるゲームの開始を示唆するシーンがあるが、その部分はどちらかと言うとEP8のプロローグみたいなモノなのでココでは割愛する

さてさて
このEP7における、当ノートの趣旨に沿った疑問はシンプルに一つ。
“EP7とはなんなのか”
である。
もう少し具体的に言うと
EP1は作中でボトルメールであると断定されている。
EP2は作中における断言は無いが、当ノートの考察において未発表に偽書である可能性が高いと考察している。
EP3-EP6は、八城十八の偽書である事が作中で断定されている。
そして、それぞれの意味合い
EP1はヤスが書いた数多の犯行計画書の一つ
EP2以降は十八が戦人の記憶の整理の為であったり、絵羽を告発する意味合いであったり、一度は筆を折った十八の為に幾子が主導で書いた偽書である。(一部は作中の言及ではなく、当ノートの考察である)
ではEP7とは?
これまでと明らかに異質なこのエピソード。
一体“何を”幻想で修飾した物語なのであろうか?
これに関しては筆者は当初より一つの解を持っている
“EP7とは、幾子が愛猫のベルンと共にこれまでの偽書の真相に至る推理の物語である”
これはもう、考察というのもおこがましいくらいそのままの解である。
第一に、EP6の終わりにアウローラ=幾子はベルンに答え合わせを要求している。
第二に、EP6においてアウローラは縁寿に
「答えを教えてもらうのではなく、自分の思考で辿り着きたい」
と言っている。
第三に、幾子の飼い猫が“ベルン”であることはEP8で名言されている。

第一と第二をそのまま言葉通り捉えると、一見矛盾している。
人に答え合わせしろって言ってるのに、その少し前には「自分で解きたいの!」って言ってるんだから(笑)
でも、EP8でベルンという黒猫を飼っている情報が追加されるが、それを踏まえて、うみねこワールド得意の幻想修飾を剥ぎ取る・・・つまりハラワタを引きずりだすと
“ヒントの揃った状態でヴァン・ダインの二十則を使いながら愛猫に語りかけるように自らの推理を披露している幾子”
というのがこのEPの存在なのではないだろうか。
でもEP7では、これまで語れなかった金蔵と初代ベアトの馴れ初めなんかも出てきたよ!って言うのがゲームをプレイしてる時はこの考察の壁であったのだが、漫画のEP8でConfessionのボトルメールが現れた事でコレも問題が無くなった。
ヤスは金蔵と初代ベアトの馴れ初めを知っていた。
それについて源次と会話するシーンが漫画版EP8のConfession内にあったしね!
そして、ウィルが何度も作中で言う
「心をないがしろにするな」
というセリフ。
これは、戦人=十八のミステリーに対する感覚・・・ホワイダニット(動機)を重要視する姿勢に通じる。
十八と共にミステリー談義をし、共にミステリーを執筆していた幾子は当然それを知っていたはずだ。
だからこそ、十八の書いた偽書についての答えを推理するにあたって、ホワイダニット重要視・・・つまり、心をないがしろにしない事を意識しながら推理していたのではないだろうか。

全くもって六軒島事件とは関係が無く、右代宮とも一切縁が無い幾子が、ひょんな偶然から六軒島の事件の真相・・・そしてベアトリーチェの深層(誤変換ではありません)に辿り着く物語・・・ある意味でそれは、ベアトリーチェが、クレルが、ヤスが望んだ
「ベアトリーチェを理解してくれた、素晴らしき傍観者」
だったのかもしれない。

各EPの存在について(EP8)

さて、この流れだと次はEP8についてが来ると思いましたよね(笑)
でも、EP8は特に大きな謎は無いように思うのです。
あれは、縁寿の心の物語。
真実を求め、しかし辿りついた真実に絶望し、その上で絶望の中から希望を見出して前に進む事を選んだ縁寿の心の物語。
その裏では、絵羽の日記の公開イベントが実施されたり、それが急遽取りやめになったりもあったけども・・・。
とは言え、謎とまでは言わないものの時系列が分かりにくかったりもするので、ここはEP8というより、全体の時系列を纏めてみようの項目。
ここで言う時系列とは六軒島事件“以降”、そして縁寿が右代宮を巣立つ迄の「現実」の話。

まず、事件後に絵羽が縁寿を引き取る。
その際の縁寿の境遇や、学校生活の部分はEP4で描写されているが、これもよく見るとあくまで“縁寿視点”なのは二週目だと気付きますね。
縁寿にとっては“牢獄のような学校に閉じ込められた”印象かもしれないけど、むしろ縁寿の境遇で普通の公立なんて行かせたらそれこそもっと酷い扱いを受けたり、警備が段違いなので質の悪いマスコミに凸られたりとかありそうなので、あれはきっと絵羽の愛情だったはず・・・とかね。
おっと話が逸れました。
事件後に漂着した複数のボトルメールの存在から、六軒島ミステリーブームが起こり、有象無象の偽書が産まれていく。
その中でも、これは右代宮の人間にしか書けない!という偽書を見つけた絵羽は作者である八城十八=生き残った戦人と面会。
この時点では戦人も絵羽を犯人と思っていたが、幾子を中立な第三者として双方の情報を付き合わせる事で、戦人も真実を知る事になる。
そして、そこで絵羽は十八と幾子に、自身の日記の鍵を預ける。
いつか、縁寿が日記を得て、八城十八に辿り着き、覚悟の上で真実を欲した時に、己の判断で知るか否かを決められるように・・・と。
その後、絵羽の日記本体も巡り巡って幾子の元へ。
そして、幾子の元に来た縁寿に日記を見せるも、鍵の行方が分からない・・・という話をする。
その後、幾子が主催する「絵羽の日記公開パーティ」が催されるも、公開直前で幾子はそれを反故。
詐欺まがいだと叩かれるも、同時に六軒島ミステリーを楽しむ風潮こそ不謹慎ではないかという空気が産まれ、六軒島ミステリーは沈静化。
それに後を押される形で縁寿は“前向きに”旅立つ・・・。

ラストの絵本作家“寿ゆかり”となった縁寿のあたりは、ゲームで言うところのエンディング部分なので割愛するが、EP8本編における縁寿に係わる現実描写は以上である。
謎・・・とまでは言わないが、幾子は手元に日記も鍵もあったのに縁寿に対して
「その錠前を外す鍵の行方が分からないのです」
と、宣っている(笑)
まぁでもこれは、シンプルに
“物理的な鍵の事ではなくて、縁寿の覚悟を試している”
という形がしっくりくるだろう。
元々、幾子が先に手に入れていたのは絵羽から預かった日記の鍵。
そして絵羽からの言付けは
「縁寿が日記を手にして、八城十八に辿り着き、覚悟を決めて真実を求める時に見せられるように」 ※意訳
なのだ。
しかし、日記本体も運命のいたずらか縁寿の手にではなくて幾子の元に流れ着く。
当初の絵羽が想定してた形ではないが“鍵”と“日記”と“八城十八に辿り着いた縁寿”が揃いはした。
だからこそ、幾子は確認する。
縁寿の覚悟を。
“本当に真実を知る覚悟”があるのかを。
それは、これまで数多の幻想描写で、ベルンやエリカが縁寿に問い続けて来た事。
そして・・・縁寿は真実を知る。
しかし、縁寿の“覚悟”は本当の意味での“覚悟”ではなかった。
ここまでのEPでも複数回言及されているが、縁寿は口では
「六軒島事件の真実を知りたい」
と言っていたが、その実情は
「絵羽が犯人である確証が欲しい」
でしかなかったのだ。
ところが絵羽の日記・・・作中の言い方をするなら“一なる真実の書”に記載されていた内容は、それとは全く違った真実。
違った・・・だけならまだしも、縁寿が大好きだった両親・・・霧江と留弗夫の凶行であるという、縁寿が絶望に飲まれるのも致し方ない真実であったのだ。
一なる真実の書を信じるならば、それは大好きな両親が殺人犯という絶望を、一なる真実の書を否定するのであれば、もう真実なぞ何処にも存在しないという絶望を・・・どっちに思考を向けても、この瞬間の縁寿にとっては絶望しかない状態であった。
※更に言うと、漫画版EP8の描写から縁寿は“ベアトの真相である赤い欠片”が流れ込みヤスの真相も知ってしまった=絵羽の日記だけでなく、Confessionも読んだと仮定出来る描写がある

しかし、縁寿は絶望の中で思い出す。
確かに、右代宮の家はみんな叩けば大なり小なりホコリの出る癖のある人達ではあった。
それでも・・・確かにみんなで笑いあえた日があった。
ただ悪人なのでも、ただ善人なのでもなくて、それぞれがそれぞれに色んな思いを抱えた家族だった。
今この瞬間に全てを受け入れて、全てを許せた訳じゃないけど、それでも・・・
少なくても私は、皆の分も生きるべきだと。
ずっと、六軒島事件の真実を追い求めて来たから、それが叶った今は生きる目的が無くなってしまった。
でも、自ら知ろうとしたことを“知らない方が良かった”って嘆き続けて進めなくなるのだけは嫌だ・・・と。
そうして、ずっと「自らに都合の良い真実」だけを追い求めた縁寿は、紆余曲折を経て“誰かに心を伝える”為に、絵本作家「寿ゆかり」となった。

とまぁ、原作初プレイ時は色々思う事もあったけど、改めて物語を見直すとEP8とは徹頭徹尾縁寿の心の物語であり、ある意味においてはラストの十八=戦人との再開や福音の家のくだりは、もう後日談なんだなぁというのが筆者の感想。

実は・・・

と、意味深な見出しをつけてみたのだが、実はココに並べる中で
「ある程度の仮説」すら出せない謎が一個残っており、それを意図的に避けて書いてきました(笑)
このままシレッと終わりにしてしまおうかとおも思ったのだが、もしかしたらコレを読んだ奇特な方が新たな考察を生み出してくれるかもしれないし、また数年後に自分で考察したくなった時に違う角度で考察できるかもしれないので、一応書き記しておこうかと。
対象のEPはEP1。
内容は“漂着したボトルメール(EP1ゲーム盤)にはなぜ縁寿が居ないのか”
である。
というのも
・EP1ゲーム盤は偽書ではなくボトルメールである事が作中で言及
・ボトルメールはヤスが“事件より前”に書いて、海に流したものである
・縁寿は本編前年までの親族会議は参加している
・1986年の縁寿は、親族会議“直前”に体調を崩し、祖母の家に預けられた事で六軒島事件時に六軒島には居なかった
という4つの事実がある。
4つ目に関しては、あくまで“直前”という表現であり具体的に“いつ”体調を崩したのかについての言及はないが、一般論で言えば前々日~当日出発前を指す事が殆どなのではないだろうか。
その中で、例えばEP8の冒頭船のシーンでは絵羽が
「縁寿ちゃん、直前に体調を崩して今日は欠席って聞いてたわぁ」
と言っている。このセリフから考えて当日急遽・・・はありえず、縁寿の不参加が決定したのは前々日~前日と考えるのが、各描写やセリフから考えると自然かなぁと。

でですね?
そうなると、ちょっとおかしいんですよ。
漫画版EP8のConfession内の描写で、夏妃が紗音を叱るシーン
「親族会議も近いのです。もっとしっかりしなさい」
「今年の親族会議には6年ぶりに戦人君がいらっしゃいます。当日失礼がないよう今から念入りに準備するように」
という夏妃のセリフがあります。
コレ自体は特に矛盾はないです。
戦人と留弗夫の諍いが、留弗夫の謝罪により戦人が右代宮の家に戻った。
その具体的な日時の言及、及び夏妃の叱責シーンがいつなのかの言及こそないですが、夏妃の“親族会議も近い”というセリフから察するに、どれだけ遠くても親族会議一ヶ月前程度かなぁと思うし
※夏妃の性格を考えたらもっと近い日程だったら更にヒステリックに近い感じになってそうだし・・・
その少し前に戦人留弗夫戦争が終結していて、留弗夫から
「戦人が戻ってきたから、今年の親族会議は6年ぶりに戦人も連れてくわ」
という連絡が入ってるのも想像に難くないですし。

で、この夏妃の叱責シーン。
ここで戦人が今年の親族会議に来るという事実を知らされた事がヤスの最後の引き金になってしまう。
心のオーバーフローを起こしたヤスは、そこから一族心中を決意。
爆薬の実験(鎮魂の社の爆破)や、源次・熊澤、南條への協力の取り付け・・・そして、後にボトルに入れて海に流す大量の犯行計画を執筆するのである。

ね?
この流れで来ると、執筆を開始した犯行計画に縁寿が居ないのが謎なんですよ。
無論、強引に解釈するならヤスは超絶に筆が早く、縁寿不参加の連絡があってからボトルメールを書いた・・・という事はまぁ一応可能ではあるのだが、漫画版EP8の描写で、ヤスは最低8本ほどボトルメールを海に流している。
縁寿の体調不良が、先程の一般論通り前々日~前日だったとして、いくら何でもEP1のゲーム版程度のボリューム×7+Confessionは、もう岸辺露伴クラスだろう・・・。

もう1つの考え方として、仮に上記の通り流したボトルが8本、うち一本がConfessionだとして残り7本。
これを仮にボトルメール①~⑦とナンバリングした際に、①~⑥を書いたあたりで縁寿欠席の連絡を受けて、⑦のボトルメールは縁寿不在で書いた。
で、偶然流れ着いたのが⑦のボトルメールだった・・・。
という仮説もあるっちゃある。
元々、ヤスは“運命をルーレットに委ねている”からこそボトルメールなんて流しているし、そのボトルメール間で矛盾が出たとしても“そういう目が出た”という判断になるだろうから、これで問題無いように思える。
ただ、これに関しても上述した“ヤス超絶筆が早い説”程ではないがやっぱり無理がある気がしている。
まず、後の時代に実際に漂着したボトルメールは3本である。
EP1のゲーム盤であるボトルメールと、その最初に見つかったボトルメールの内容と“人が死ぬ順番と死に方”が違う2本目、そして最後に幾子が拾ったConfessionである。
そして、Confession内のヤスの心情・・・つまり、ヤスの独白において、犯行計画執筆中にヤスの想い人三人(戦人、譲治、朱志香)以外の人物に対してのコメントがあるが、そこにも縁寿は居ない。
その上、執筆中の心情として明確に
「16の駒を~」
と言っている。
更に、作中2本目として登場するボトルメールは、EP1のボトルメールと比較して人の死ぬ順番と死に方が違うくらいと1998年縁寿に言われている。
つまり、コレにも縁寿は存在しておらず、結果8本中我々読者の目に写った3本全てに縁寿が存在していない事から、少なく見積もってもこの3本は縁寿の欠席連絡後・・・と考える事になるが、さっきより減ったとはいえ、やはりかなりの筆の速さが無いと難しい文量ではあると思うのよね(笑)

とまぁこの謎に関しては“ヤスの筆が、それはもうめっちゃくちゃ速かった”という仮定をおけば、それだけで一応の筋は通るのだが、その“めっちゃくちゃ速い”という、一種の力技でしか答えが出せねぇ・・・となった次第です(笑)

最後に

ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃるのであれば、本当にありがとうございます。
“犯人”や“トリック”や“真実”とは違う方向性での考察ですが、かなり筆者の作品愛が暴走し好き勝手書いてしまいました。
そしてですね・・・?
好き勝手ついでに、最後にもう一つだけ。
筆者の思う“真実”を書かせて下さい。
この内容は、原作同人ゲームを初回プレイした時から一応筆者の頭にあったものではあるのですが、当時一緒にうみねこをプレイしていた友人一人に開示して以来、一切語れなかった筆者の思う真実。

舞台は、ゲーム盤ではない現実の1986年の六軒島。
ここで実際に起こった惨劇は既に記載してきた通り、碑文を解いた大人達による諍いから発展した、留弗夫霧江夫婦による殺戮。
そしてここの描写はEP7の終盤で明かされている。
その描写の中で、最後に生き残った絵羽と霧江。
※厳密にはこの時点で戦人とヤスも生きてはいるが、そっちは表に出ていない話なのでココでは居ないものとして扱います。
礼拝堂方向から歩いてきた絵羽。
霧江「あら絵羽姉さん、ショックだわ、あの距離で外したなんて」
絵羽「私も驚いているわ。まさか自分が生きてたなんてね」
霧江「礼拝堂裏の地下階段から戻ってきたの?」
絵羽「えぇ。礼拝堂の前で留弗夫にも会ったわ」
霧江「元気そうだった?」
絵羽「ええ、姉弟で久しぶりに仲良く語り合ったわ」
霧江「・・・そう・・・目立ちたがり屋なのにここ一番で頼りない人ね。やっぱりあの人は私が居ないと駄目なのね」
絵羽「・・・」
霧江「ありがとう。感謝するわ。これで本当に私が全てを独り占めね」

この「ありがとう」から始まるセリフ・・・これ以降から霧江の本性が出てくる。
「子供なんて寝れば勝手に出来る」
「子は夫を繋ぎ止めておくための鎹」
「あの女から彼を取り戻すための鎹」
「でも、留弗夫さんはあなたが殺した」
「私はもう誰かの妻じゃないし、母のつもりもない」
「留弗夫さんが居なくなった今、縁寿は私にとって必要なものじゃないわ」
「縁寿なんて、留弗夫さんを縛り付けるただの鎖、あるいは家族ごっこをする為の子供の役という名の駒」
「私にとって縁寿は、留弗夫さんの前で良き母を演じる時に必要な駒なだけよ」
「知ったことじゃないわ。あんなクソガキ、可愛いと思ったことなんて一度だってないわよ」

とまぁこんな有様であり、そりゃ見せつけられた縁寿は悲鳴もあげるでしょう・・・。
でね?
筆者が語りたい筆者の思う真実とはまさにこの部分なのです。
六軒島事件の真相そのものは、留弗夫霧江の凶行というのが真実であるのだが、だからと言って上記のような絵羽と霧江のやりとりが本当にあったのか・・・これに関しては人によって解釈が分かれるところでしょう。
ただ、筆者としてはEP7の描写は真実であると考えています。
というより、あれこそが現実で絵羽の日記を読んだ縁寿の精神状況を表したシーンなのではないかなぁと。
え?じゃあ真実もクソもないじゃん。もう答え出てるじゃん!
と思った方もいらっしゃると思いますが・・・。
違うのです。
描写の真実と、心の真実は違うかもしれないのです。
思い出して下さい。
この作品のテーマは“愛がなければ見えない”
筆者の最後の戯言、お付き合い下さい。

まずこの霧江と絵羽のやりとりに至る前提として
・大人達が碑文を解き明かし、礼拝堂地下の隠し部屋に到達
・そこには10tの黄金とヤス、ヤスが事件を起こす為に用意していた銃火器、金蔵の用意していた、スイッチをオンにした状態で24時を迎えると島を吹き飛ばす程の爆薬に繋がった大時計の仕掛け
・ヤスは、碑文が解かれなければ全員を殺すつもりだった事、大時計の仕掛けを告白し、黄金の一部(約10億)を現金化して入れてある口座のキャッシュカードを大人達に渡して沈黙
・黄金の分配で揉める大人達
・蔵臼、絵羽、夏妃のもみ合いで暴発した銃により夏妃が死亡
・怒りに駆られた蔵臼を止めようと秀吉と蔵臼がもみ合いになり、上記と同じく暴発した銃撃で蔵臼が死亡
・絵羽と楼座が言い合いをしている中、横から霧江が楼座を射殺
・続いて霧江が秀吉、絵羽、ヤスを射殺 ※後者二人は死んでなかったが
・本館に戻った二人は使用人達を射殺 ※後の台詞を考えると実行は霧江
・ゲストハウスの譲治、朱志香、真里亞の殺害、及び戦人の説得の為に、最初に譲治を礼拝堂前に、朱志香を本館に呼び出し、礼拝堂では留弗夫が譲治を、本館食堂で霧江が朱志香を殺害
※本来二人一緒に動いた方が安全なのだが、二手に分かれたのは、霧江のモノローグ曰く留弗夫にも手を汚させる為
・戦人を説得する為に礼拝堂前に呼び出し留弗夫が向かうが、その道中で生きていた絵羽と邂逅し射殺される
・留弗夫vs絵羽の最中、霧江はゲストハウスで真里亞を殺害。その後の帰路で絵羽に遭遇

という状況である。
そして、ココまでのEPで霧江の描写
・かなり頭の切れる人物。戦人のチェス盤理論も彼女譲り
・留弗夫への愛情は本物。というか、現代風に言うなら一種のヤンデレと言っても過言では無いレベル
・特に留弗夫の前妻である明日夢に対する嫉妬は本格的にヤバいレベル。EP3で描写されているが、18年間積み重ねた嫉妬は魔女の家具すら凌駕する
・頭脳だけでなく行動力も凄い。実際、大時計の仕掛けの話から、瞬時に“まだ撃ってない銃を持っている”楼座を射殺した事からも見て取れる
というのが霧江の人物像である。

そうなるとね?
どうも腑に落ちない事があるんです。
それは霧江と絵羽の邂逅シーン。
この時、霧江側の認識としては礼拝堂に戦人を呼び出し、その説得に留弗夫が行っていた。
戦人の説得が上手くいったなら二人で戻って来るだろう。
説得が失敗だったら留弗夫一人で戻って来るだろう。
だが、そこに現れた人影は絵羽だった。
そして、上述のような会話を行っているのだけど・・・
ココまでの話で描写されていた霧江であれば、その絵羽と会話などするだろうか・・・?
人影が絵羽だとわかった時点で射殺し
「ショックだわ・・・あの距離で外していたなんて・・・でも今度はちゃんと当たったみたいね」
くらい言う方がしっくり来る気がするんですよ。
でも、実際はそうじゃなかった。
絵羽と会話し、留弗夫の死を確認し、縁寿をボロクソに貶め、絵羽と一騎打ちして、また奇跡的に霧江の銃撃は絵羽に当たらず、絵羽が勝者となった。
この“真実”に対して、1つだけ筆者が思う真実があります。
ここまで来たら、まず結論を書きましょう。
“霧江は最後の絵羽とのやり取りにおいて、絵羽を殺す気は無く、同時に絵羽に殺されるつもりだった”
というものです。
根拠・・・と言うか、その解釈も一応出来るなって程度の話ですがつらつらと書かせていただきます。
まず、第一に霧江は相当に頭が切れる人間というのが初期のEPから描写されています。
その霧江が、留弗夫が向かった礼拝堂方面から銃を持った絵羽がやってきたという状況を見れば、留弗夫が殺された可能性を最初に考えるはず。
本編中の描写では留弗夫について絵羽に質問していましたが、まぁ最終確認的な意味合いだと取れます。
ただ、前述の通り行動力の化身でもある霧江が、その後の絵羽との会話の通り留弗夫が死んだのであれば
「誰の妻でも母でもない」
霧江として生きていくという人物像なら、やはり絵羽に確認するまでも無く邂逅と同時に射殺すると思うんですよ。
また、プレイヤー目線だとヤンデレの域に達していた霧江が、留弗夫の死=即切り替えて自分一人の人生を謳歌って言うのも正直ピンと来ない。
むしろ、留弗夫が死んだのあれば生きてる意味が無い・・・くらいの思考をしそうなんですよね、これまでの霧江の描写だと・・・。
だから、留弗夫の死を絵羽に確認した時点で、霧江は自分の命もどうでも良くなったと考える方が自然かなぁと。
※根拠と言えるレベルではないですが、漫画版の該当シーンで、一瞬霧江が俯くコマがあります

ところが、そんな霧江にも1つだけ心残りがあった。
それは縁寿の事。
留弗夫が死んだ今、自分だけが生き残る気はもう無い。
でも、もしこのまま絵羽だけがこの島から生き残ると、外に残された縁寿は、唯一の生き残りになるであろう絵羽にとって
“自分の旦那や子供、親類一同を殺した殺人者の娘”
になってしまう。
だから霧江は考える。
そして、笑みを浮かべながら絵羽に語る。
「子供なんて寝れば勝手に出来るわ」
(ごめんね、縁寿。でもお母さんは留弗夫さんの居ない世界は無理なの)
「子は、夫を繋ぎ止めておく為の鎹なのよ」
(だから、せめて絵羽姉さんの怒りの矛先は私がもっていく)
「あの女から彼を取り戻すための鎹だった」
(こうすれば・・・)
「留弗夫さんが居なくなった今、縁寿は私にとって必要なものじゃないわ」
(こうすれば、絵羽姉さんの中の貴女は)
「縁寿なんて、留弗夫さんを縛り付けるただの鎖、あるいは家族ごっこをする為の子供の役という名の駒」
(家族を殺した憎き殺人者の娘ではなくて)
「私にとって縁寿は、留弗夫さんの前で良き母を演じる時に必要な駒なだけよ」
(酷い母親に見捨てられた、可哀想な姪っ子)
「知ったことじゃないわ。あんなクソガキ、可愛いと思ったことなんて一度だってないわよ」
(自分勝手なのは分かってるけど・・・絵羽姉さん、縁寿をお願い・・・)

という心境だったのではないかなぁと・・・。
コレを補強する描写が2つあり、まず1つはこの絵羽vs霧江の決闘においても霧江の銃撃は絵羽に当っていない事。
同EP内での霧江の殺人犯っぷり、や他EPでの活躍を見ても、そうそう外す人じゃないと思うんですよね・・・。
もう一つは、漫画版の該当シーンにて、絵羽に撃たれた霧江のシーン
絵羽「あんたは爆発事故で死ぬ。死ぬ直前の瞬間までおいてきた娘の事を心配していた。そう刻むわ。猫箱の蓋の上にね・・・」
そいう台詞に対し、意味深な笑みを浮かべて死んでいく霧江のコマがあります。
直前の霧江の豹変があるから、この笑みはとても怖いものに見えるのですが、もしかしたら霧江の心境が上記のような心境だったのであれば、絵羽の中の縁寿が恨みの対象では無くなっている事に対する安堵の笑みだった・・・というのも、ありかなぁって(笑)
更に言うと、EP8でのハロウィンパーティでの会話描写もある。
この時、霧江から絵羽に
「縁寿を育てて、家族になろうとしてくれてありがとう絵羽姉さん」
という台詞も踏まえると・・・。

これが筆者が最後に言いたかった事。
いや、むしろ気づいたら4万字になろうというこのnoteで、本当に本当に言いたかった本題。
右代宮霧江は愛に生きた女で、夫が全てだった。
その夫が死んだ時に、夫が死んだから娘はもう要らないと宣ったのは事実である。
しかし、その胸中には確かに娘への愛があった。
一般論で言えば色々ツッコミどころは確かにあるけれど、それでも確かに霧江の心には縁寿に対する愛があったのだと・・・。


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