見出し画像

建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史  [10]2006年〜2007年:保存再生の決定と現況調査および改修・改築基本計画の策定

花田佳明(神戸芸術工科大学教授)

 前回書いた通り、2005年12月10日に八幡浜で行われた「八幡浜の文化資産を考える—日土小学校の再生を目指して—」によって、硬直していた状況が再び動き始めた。鈴木博之先生の「重要文化財になる可能性がある」という発言は大きな後押しとなったが、しかし保存再生へと一気に空気が変わったわけではない。
 市の「八幡浜市立日土小学校再生計画検討委員会」では、建て替えを希望する地域の皆さんからは厳しい意見が出続けた。保存再生を訴える側からその場に出席できたのは愛媛大学の曲田先生だけであり、日本建築学会四国支部内の委員会では、曲田先生からの報告を受けながら、「八幡浜の文化資産を考える」で示した案を改良しては検討委員会へ提出した。
 たとえば2006年2月27日の第3回の検討委員会には、以下の案が提出された(提出図面の一部を切り取ったもの。引出し線による書き込みは本稿用に筆者が入れた)。

001/2006年2月27日の第3回の検討委員会用案

2006年2月27日の第3回の検討委員会用の案

 「八幡浜の文化資産を考える」で提示した案とも、もちろん最終案とも異なり、運動場側から見て左側(北東側)に職員室などのある管理棟を新築している。これは、クラスター型の東校舎を普通教室のまま使う案だが、もともと職員室が遠く子供たちのの安全管理上問題があるとの指摘が地域の皆さんからあり、それを解決しようとしたものである。そして職員室は図工室に変え、さらに右側(南西側)にはランチルームを新設している。クラスター型の東校舎を普通教室のまま子供たちに使ってほしいという願いからの案だが、今から思えば、運動場側から見た眺めが大きく変わるので、配慮不足の案と言わざるを得ない。
 一方、検討委員会には建て替えを希望する地域の皆さんの案や、市が委託した設計事務所からの建て替えをも含む改修案も提出され、妥協点がみつからないまま緊張状態が続いた。
 そのうち、建て替えを希望する地域の皆さんは、子供たちが学校で一番長い時間を過ごす普通教室を新しくすれば納得してくださるのではないかということになり、東校舎を普通教室として使うことを諦めて特別教室に変え、松村の設計ではない西校舎を壊して、そこに新しく普通教室棟を建てる案が浮上した。そうすれば、新校舎は体育館の奥に隠れ、運動場側の風景にも大きな影響はないと思われた。この方針でまとめたのが、以下の2006年4月12日付けの案である。

002/2006年4月12日案

2006年4月12日付けの案

 右側の青い丸の部分が新築する普通教室棟で、1階には2つの普通教室を設け、その左の部屋(家庭科室)を改修し、合わせて3つの普通教室とする。2階は新校舎に1つの普通教室と音楽室を作り、その隣の部屋(音楽室)を普通教室へ改修して、全部で6つの普通教室を確保するという計画だ。それ以外に、中校舎では職員室の前に職員ラウンジを設け運動場への見通しをよくする提案もしている。
 東校舎は、1階に児童会室、家庭科室、理科室、2階に生活科、図工室、多目的室と用途を完全に変え、昇降口も半分にしてフリースペースを生み出している。トイレも全面的に改修することを提案した。教室の配置も違うし、既存部への手の加え方も大きいが、最終案に近づいている。

 そしてさまざまな議論はあったが、2006年4月、「八幡浜市立日土小学校再生計画検討委員会」は、保護者らの要望を改修計画に反映させるという条件のもと、日土小学校の保存再生を八幡浜市に提言した。ついに日土小学校の校舎は残されることになったのだ。
 この提言を受け、八幡浜市は日本建築学会四国支部に対し、日土小学校の現況調査および改修・改築基本計画の策定を正式に依頼した。そして以下のメンバーによるワーキンググループが組織され(所属や職位は当時)、日土小学校の改修計画が具体的に動き出したのである。

 主査:東京大学教授 鈴木博之(建築史)
 委員:愛媛大学教授 曲田清維(住居学)、神戸芸術工科大学教授 花田佳明(建築計画)、東京電機大学教授 吉村彰(学校建築)、東京大学助教授 腰原幹雄(構造)、日本建築学会四国支部 賀村智(支部長)、武智和臣、和田耕一、三好鉄己
 アドバイザー:文化庁参事官(建造物担当) 堀勇良
 研究協力:愛媛大学助教授 杉森正敏(森林学)、東京大学腰原研究室 佐藤孝治(構造)

 まず、2006年8月19日から27日かけて現況調査が実施された。日土小学校についてはそれまでもさまざまな調査が行われているが、あらためて建物全体を調べ直し、改修設計や構造補強を考えるための基本資料を作ることが目標だった。8月1〜4日には主要メンバーが松山に集合し、調査や改修計画についての事前打ち合わせを行った。
 調査項目は、市役所に残る実施設計図との照合を軸に、地盤、コンクリート基礎、各所の部材寸法、床や屋根のたわみ、柱の傾斜、損傷部位など構造性能に影響をおよぼす要因から、材料や色など仕上げの仕様にいたるまで、できる限り詳しく調べ記録した。
 調査には、日本建築学会四国支部、日本建築家協会、東京大学生産技術研究所、松山建築楽会、愛媛大学、神戸芸術工科大学、早稲田大学、信州大学などから建築関係者や学生が参加し、延べ140名もの人数となった。私も8月23日に大学院生たちと一緒に八幡浜に入り、27日まで参加した。

003/現況調査0824

日土小学校外観。

004/現況調査0824

初日のミーティング。

006/現況調査0824

天井裏の調査の様子。

007/現況調査0825

実測する神戸芸工大の大学院生。

008/現況調査0825

図書室の壁に残された輪切りの竹による星座模様の痕跡。

009/現況調査0825

図書室の天井。手斧がけの梁、銀揉紙貼り、焼杉板竪張り、ベニヤ板。

010/現況調査0825

テラスで休憩。

011/現況調査0826

東大の腰原さん(右から2人目)による指導。

012/現況調査0826

基礎に鉄筋があるかどうかの調査。

013/現況調査0826

基礎のコア抜き。

014/現況調査0826

八幡浜市役所で松村正恒の部下として設計に携わった柳原亨さん(中央)からお話を伺う。

015/現況調査0827

木の部材の接合部で使われているネイルプレート(織本道三郎のORIMOTO CLAMPSと同形式)の予備を発見。東大で強度を確認した。

 最終日の8月27日には、恒例の夏の建築学校の2006年度版(「夏の建築学校2006」)として、八幡浜市福祉文化センターにおいて、前日までの調査結果に基づいた報告会が行われた。一番心配だった構造については、腰原さんと佐藤さんから調査内容とそれに基づく第一報が語られたが、予想以上に健全な状態であるとのことで安心した。また私からは、武智さんと一緒に調べた内容と、かつて八幡浜市役所で松村正恒の部下として設計に携わった柳原亨さんから伺った話をもとに、竣工時の仕上げや色について報告した。
 最後に参加者へ「日土小学校の現状調査に参加して思ったこと」というテーマでレポート提出をお願いした。そして、腰原さんによる構造調査の分析結果や調査と報告会の様子の記録とともにそれを収め、翌2007年3月に、『夏の建築学校2006 日土小学校の再生に向けて』という冊子を刊行した。

016/『夏の建築学校2006 日土小学校の再生に向けて』の表紙

『夏の建築学校2006 日土小学校の再生に向けて』。

 また現況調査の様子は、愛媛新聞や南海日日新聞で報じられた。

017/愛媛新聞2006年8月25日

愛媛新聞2006年8月25日の記事。

018/南海日日新聞2006年8月26日

南海日日新聞2006年8月26日の記事。

 こうして、汗だくでの現況調査という文字通り暑かった夏が終わり、日土小学校の改修案づくりが本格的に始まった。
 2006年10月3日には愛媛の関係者の皆さん(曲田・賀村・三好・和田・武智さん)、東大の腰原さんと佐藤さん、文化庁の堀さん、そして私が東大の鈴木先生の元に集合し、現況調査に基づく構造補強や、文化財としての価値を失わない改修計画の方針、今後の進め方などについて話し合った。
 これからの課題リスト、改修のコンセプトを示すキーワード群、部材ごとに改修の程度を示す一覧表の素案、各所の構造計算結果などの資料が持ち寄られ、考えるべきことの多さを実感した。腰原さんからは、1教室あたり1箇所しかない鉄筋ブレースを3箇所増やしてほしいと言われ困ったなあと思い、堀さんや鈴木先生からは、大きな理屈から細部のデザインまでさまざまな指摘が出て、文化財的価値の高い建築を改修する難しさを再認識した。
 会場は歴史研がはいっている工学部1号館の建築学科3階の小ぶりの部屋で、大きな机を皆で取り囲むといっぱいになり、学生に戻りゼミをしているような気持ちになった。また、日土小学校が本当に残るのだという喜びがあらためて込み上げてきたことを覚えている。

 10月26日には、ワーキングの関係者が八幡浜に集合し、市の建築課と教育委員会の方々も加わって、今後の流れ、地元の皆さんへの説明の仕方、改修計画案と報告書のまとめ方などについて意見交換を行った。
 この時期の改修案は、大きなゾーニングは本稿の冒頭で示した4月の案のままである。しかし、ランチスペースの位置や新校舎の平面構成などをいろいろと検討した。たとえば以下の案である。

019/2006年10月案

2006年10月頃の案。

 そして、何より地域の皆さんへ進捗状況を報告することが重要だというわけで、11月26日の日曜日に、日土小学校の体育館で「日土小学校現況調査報告会」を開催した。
 まずは教育長と学校教育課長さんから、市としての日土小学校に対する判断、改修方針、日本建築学会への現況調査依頼の経緯などが説明された。次に鈴木先生が日土小学校の価値をさまざまな視点から説明され、その後、現況調査の結果について、武智さんが意匠と構造の観点から、腰原さんが耐震性能の観点から解説をした。そして最後に、吉村先生が現代の優れた小学校の事例を紹介した。
 会場には40〜50人ほどの方が参加されていた。若干の質疑応答があり、最後に鈴木先生と教育長さんから、今後は現況調査と地元の皆さんの意見を踏まえながら市と学会が協力して基本計画をまとめていくので、要望等があればぜひ言ってほしいということなどを話し閉会した。
 当日の様子は翌日の愛媛新聞に記事が出た。

020/愛媛新聞2006年11月27日

愛媛新聞2006年11月27日の記事。

 そこからは具体的な設計が進んで行った。実務的なまとめ役は愛媛の二人の建築家で分担していただいた。既存部(中校舎と東校舎)の改修については、木造建築に詳しい和田耕一さん、新たに作る普通教室棟については、現代建築の状況にも明るくシャープな作品を作る武智和臣さんである。最高の組み合わせだった。
 2007年になり、1月17日には文化庁の堀さんが日土小学校を訪問された。後に重要文化財指定される久万高原町の岩屋寺大師堂を見にこられた足で、日土小学校にも立ち寄られたのだ。県と市の教育委員会の方と和田さんらが案内され、後日、日土小学校について好印象だったとの連絡を曲田先生から聞き安心した。なお岩屋寺についてはさらに続きの話があるので、次回に回したい。
 3月10日には、基本計画検討委員会が八幡浜で開かれ、市の教育委員会の関係者とワーキングのメンバーが集まった。そこにPTAの皆さんの出席も依頼したが実現せず、改修計画に対するいくつかの要望事項のみが伝えられた。その中には、重要文化財指定をめざすことには反対ともあった。しかし教育委員会は基本的に現在の建築学会案で進めたいという判断を示され、3月18日に地域の皆さんへの基本計画の説明会を開くことになった。それにしても、建物の去就を巡る合意形成の難しさをあらためて痛感したことであった。
 ところで、この検討委員会に先立つ3月8日、全体としてほぼ最終形となっていた改修案の中の新築校舎について武智さんと私で打ち合わせをし、重要な変更を行った。それは階段の位置の変更である。
 新築する校舎は、その後ほぼ正方形の平面となり、それを田の字型に4分割し、対角線上の2コマをオープン形式の普通教室、1コマを多目的コーナー、残りの1コマをトイレと階段に割り当てていた。以下の図面の通りである。

021/最終案直前の案

新築する校舎の階段を検討した案。

 しかし、この平面図を眺めていると何となく落ち着かない。そのうちはたと思い当たったのが、新築する校舎の階段の位置のことだった。既存2棟の階段は、東校舎の昇降口横にあるものを除き、中校舎の内部階段も外部鉄骨階段も東校舎の外部鉄骨階段も川側にあり、しかも川と直交する方向に配されている。それに対して新築する校舎の階段は、運動場や体育館に近い方がよいだろうとの判断から、川とは反対側に設けていた。しかしこれが3つの棟の関係性を弱め、座りの悪さを生んでいる原因だと気づいたのだ。そこでさっそく階段を川側に移したスケッチを描いたところ、全体のバランスが格段によくなることがわかり、これだこれだとなったのであった。

022/階段変更スケッチ

新築する校舎の階段の位置を変更したスケッチ。上が川側。

 運動場や体育館との距離は問題ないし、トイレまわりには余裕が出て、子供たち用の小さなスケールの空間(「DEN」と表記)も作れそうだった。これは最終的には教員用の棚とカウンターに変化したが、いずれにしても教室棟の豊かさが向上した。何より、階段を昇り降りする際に、川面と向かいの山の緑が目に飛び込んでくることが予想された。もちろんこの変更は、最終案に反映された。
 武智さんの事務所の打ち合わせ机に二人で横に並び、図面を前にして海外の学校建築の作品集を開きながらあれこれ話しているうち、あっという感じでひらめいてこの変更案のスケッチを描いたときのことはよく覚えている。やや大げさかもしれないが、このときの感触から、利活用をめざす建築の保存再生は、単なる「運動」や「活動」ではなく、まさに「設計」行為なのだと思うようになった。

 そして3月18日の日曜日、日土小学校の体育館で、地元の皆さんへの「日土小学校校舎改修(改築)に伴う基本計画報告会」が開催された。今回は、保護者の方など30人ほどが集まってくださった。
 最初に教育長と学校教育課長さんから挨拶や基本計画報告会の概要説明があり、その後、曲田先生が現況調査、私が基本計画案、腰原さんが耐震改修、和田さんが細部の改修方針について、それぞれ説明をした。平面図はもちろん、各所の透視図も示し、完成した際のイメージをできるだけ具体的に伝えようとした。このときの平面図は次の通りである。新築する校舎の階段は川側に移してあり、基本的に最終案といってよい。

023/3月18日の基本計画報告会の平面図

3月18日の基本計画報告会に提出された平面図

 当日の様子は翌日の愛媛新聞に記事が出た。

024/3月19日愛媛新聞

愛媛新聞3月19日の記事。

 これをもって基本設計完了ということで、3月28日には東京で鈴木先生と堀さんにその内容を報告した。お二人からは、オリジナルの部材の残し方、オリジナルからの変更の許容範囲、それらの記録の仕方などについて、細かなアドバイスをいただいた。堀さんは「残せるものはラワンベニアですら残してほしい」とおっしゃった。
 その後さらに細かな検討を加え、現況調査と基本計画については、一旦2分冊で作ったものを統合し、少し後になるが、2008年8月に『八幡浜市立日土小学校 現況調査及び改修・改築基本計画 2006年度版』という大部の報告書が完成した。一方、2007年の9月からは実施設計が始まった。

025/現況調査及び基本計画の報告書

『八幡浜市立日土小学校 現況調査及び改修・改築基本計画 2006年度版』