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【感想】NHK 歴史探偵「肉食解禁!明治天皇の晩さん会」を視聴しました

2022年9月28日(水)22:00~22:44、NHK 歴史探偵「肉食解禁!明治天皇の晩さん会」を視聴しました。

<始まる前に>
肉食ってそんなに新しいものでしたっけ。
猪肉とか熊肉とかもっと昔からあったような印象が?

<NHKのあらすじ>
探偵事務所を飛び出し、由緒ある宴会場を舞台に「日本人と肉」のドラマチックな歴史を捜査。
江戸時代、天皇に供された珍しい料理や、明治の晩さん会料理を完全再現!

■再現!明治天皇の晩さん会

明治22年に作られた宮中晩餐会のメニューを再現しました。
日本人と肉食の歴史についてがテーマです。
牛ヒレ肉のトリュフ風煮込み、薄切り羊肉青豆添い、フォアグラのゼリー寄せ
この背景には幕末の国家の存亡にかかわる大失敗が関わっていました。

■幕末の大失敗

横浜開港資料館へ
資料館の巨木、「たまくすの木」樹齢180年のタブノキです。
ペリーの絵の右に描かれた絵にある木のことです。
170年前の黒船来航、ペリー一行の様子を描いた絵です。
強大な軍事力の前に開国を迫るペリーに対し、起死回生の策、豪華な食事を振る舞いました。
料亭百川に料理を依頼、総額1億5千万円で用意したといいます。
客をもてなす時の最も由緒ある本膳料理です。
国家の命運を書けた料理いったいどんなものだったのでしょうか?

■ペリーをもてなした幻の味

・山菅浩一郎さん
独自に研究を重ねた、ペリーの料理を再現してもらいました。
鯛筏、米つみれ、ヒラメとメジマグロのお包みなど12膳、趣向を凝らしたお膳が並びました。
果たして成功を納めることはできたのでしょうか?
『ペリー提督日本遠征記』
見たことがない奇妙なものであり、食欲を満たすことができなかった、と書かれています。
おもてなし作戦は失敗に終わりました。

■スタジオで
佐藤所長「肉を食えると思ったんでしょうねえ」
膳の数によっておもてなしの度合いが現れていました。
河合先生「肉が大好きで、アメリカからアフリカ経由で半年以上かかってきました。」
「蒸気船の中で羊が飼われていました」
唯一ペリーが喜んで食べたのが、「しょうがパン」でした。
再現してみました。
佐藤所長「カステラですね!?」
実はこの甘味、みりんで出しているのです。
肉料理を出せなかった深い事情があったのです。

■宮中の食事情

京都上京区老舗料亭へ
・小西将清さん
見せてくれたのは、徳川が後水尾天皇を二条城に招いてもてなした天皇の食した献立です。
巻物の長さ10メートル、75膳に及びます。
すぎたか盛で演出され、からすみ、鯛、かずのこ、全国の山海の珍味、お肉はありません。
なぜ肉料理がないのでしょうか?
実は、宮中ではお肉は食べないという決まり事がありました。
肉食はタブーの存在でした。
始まりは天武天皇4年の一つの法令に端を発します。

■始まりは1300年前

牛や馬などの肉を食すことを禁じる、肉食禁止令です。
なぜ肉食は禁じられた?
これは、特別な食の儀式、式庖丁を見ればわかるといいます。
この儀式の中に肉食が禁じられた理由があります。
まな箸と庖丁刀で鯉を切り分けていきます。
一切、直接手を触れないで調理しているのです。

■宮中伝統の儀式

式庖丁は、穢れをなくすための儀式でした。
古来、死や血にまつわるものは穢れとして忌み嫌われていました。
忌むべきものとして宮中では遠ざけられていました。
やがて日本文化に根を下ろし肉は食卓から姿を消していったのです・

■スタジオで
もう一つ大きな理由がありました。
河合先生「大和政権が仏教を保護したことで肉食が厳しく禁じられたのです」
佐藤所長「魚もだめだったの?」
魚は、穢れを取り除けばOKだったです。
もう一つの例外がありました。
「焼鳥」野鳥の肉はOKでした。
「鴫壺(しぎつぼ)」ナスの上に鴫の頭が載せてあります。
「鴫壺」を再現してみました。
うずらの肉とナスが入っています。
佐藤所長「温かい!いいバランスですよ」

■明治天皇の一大決心

明治5年、伝統を打ち破る衝撃的なニュースが新聞で報じられます。
明治天皇が肉を食すと表明、明治天皇の肉食解禁宣言です。
肉食こそ文明開化の象徴と言われる時代になります。
味の素食の文化センターへ
「宮中献立」料理のメニューカードです。
明治8年9月30日の日付です。
太政官を招いて牛、豚、鶏、相当肉を食べていたということです。
明治天皇は、近臣たちと西洋料理を食べる練習をしていたといいます。
近代国家への生まれ変わりは最重要課題、天皇が日常から肉を食すことを求められていたのです。
明治22年、一大イベントが開かれます。
大日本帝国憲法の発布を祝う大晩さん会です。

■近代国家をアピール

新生日本を世界に認めさせる重要なイベント、西洋風木造建築の中で大晩餐会が開かれました。
当時残されていたメニューカードが残されていました。
全12品のフランス料理のフルコース。
ペリーのときとは大違い、肉料理が並びました。
肉牛の国産化に成功、十分な量の肉が用意できました。

■有田焼に込めた思い

佐賀有田町へ
日本を代表する焼き物、400年守り続けてきた伝統工芸品「有田焼」
皇室に収められている食器、明治時代から100年以上デザインは変わっていません。
菊御紋、パルメット文、外国のデザインが入っていました。
国内産洋食器を備えることで、欧米に技術力とプライドを示そうと考えたのです。
更に、一つ洋食器を使った仕掛けを用意していました。
鳥獣戯画からとったような獣絵を描き、日本ならではの至極のデザインを施していました。
ペリーへのおもてなし失敗から35年、強い思いとともに明治天皇の大晩餐会が幕を上げることに。

■スタジオで
大晩さん会で出された牛ヒレ肉のトリフ風煮込みを再現しました。
・八芳園のシェフ・新田周平さん
エスコフィエさんのレシピを元に再現してみました。
佐藤所長「めっちゃうまいです!」
河合先生「完食しました」
食材を集めるだけでも大変だった、先人たちの苦労がわかりました。
河合先生「招待客は非常に満足した状態だったそうです」
河合先生「欧米と肩を並べる道筋がこの晩さん会で見えました」
最後のデザートは富士山型アイスクリームです。
佐藤所長「今日試食したものをテイクアウトできないでしょうか」

ーーーおわりーーー

次回は「鉄道開業150年」10月5日(水)再放送です。

■感想

天武天皇の肉食禁止令に、豚肉は入ってなかったそうです。
つまり、庶民は豚肉、猪肉が食べられていたようです。
もちろん、犬肉、猿肉、牛肉は禁止、人肉なんて論外。
渡来人が持ち込もうとする悪癖はしっかり取り除く。
しっかりと日本では食べてはいけない肉を選定していた、それが今の日本の食文化に受け継がれてきた、といえます。
天武天皇ありがとうといいたいですね。
特に日本は悪い文化が入りやすい場所にあるので、良いものと悪いものを区別をする意識が高かったんでしょう。

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