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正直な仕立て屋 | ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集

今回はまたまた『ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集』から
『正直な仕立て屋』というお話をさせて頂きたいと思います。

度々タルムード金言集のお話を動画で出していますので、毎度この話をしていますが、何でこのユダヤ人の成功哲学というものに価値があるのかというと、ユダヤ人の成功者は昔から数多くいて、ノーベル賞受賞者の20%がユダヤ人であったり、長者番付でも上位陣に常にいてたりなど、簡単に言うと成功者が多いんですね。

有名な方にはフェイスブックのマーク・ザッカーバーグさんなんかがいらしゃいます。

というわけで、早速『正直な仕立て屋』のお話に移りたいと思います。

ある国で大干ばつが起こった。
何日経っても雨は一向に降る気配がない。
作物はすべて枯れ、飲む水がないために家畜は次々と死んでいった。
そんな時に、ある村のラバイが夢を見た。
夢の中で、神がそのラバイに「この次の安息の日に服の仕立て屋の主人に、ビマー(祈り台)で祈りを捧げさせなさい。そうすれば大地に雨を降らせよう」と、話した。
翌朝、ラバイはこの夢のことを思い出したが、すぐにこう考え直した。
「あの仕立て屋の主人は、ヘブライ語も良く読めず、聖書の内容もろくに覚えていない。あんな人間に皆を代表させてビマーで祈らせるなど、どうしてできるだろうか。こんな夢は当てにならない」
神への祈りはヘブライ語でするものと決まっており、当時、ヘブライ語はきちんと勉強しなければ読めない言葉だった。
そこで、村ではヘブライ語を使える人間を集めて祈らせ続けたが、雨はまったく降らなかった。
1週間が過ぎて、またラバイは同じ夢を見た。
それも無視すると、また次の週にも同じ夢を見た。
ラバイは3度も同じ夢を見たので、これは神の意志に違いないとして、仕立て屋に祈らせることにした。
仕立て屋は、いつも使っている巻尺を持って祈り台に向かうと、気負うことなく自分の言葉で、次のように祈りだした。
「神様、私は仕立て屋の仕事を始めてもう40年にもなりますが、ただの1度も人を騙したり、ずる賢い商売をしたことはありません。
この巻き尺をご覧になってもおわかりのとおり、一分の狂いもない正確な巻尺を使っています。
他の仕立て屋は、わざと目盛りを狭くした巻尺で生地を多く使ったように見せて、高い値段で服の代金を請求しています。
私はそういうことをしていません。
どうぞ、この私の正直で適正な商売を評価していただけるならば、なにとぞ雨を降らせてくださいませ。」
すると、天空に雷鳴が轟いたかと思うと、一天にわかにかき曇り、大粒の雨が降り出した。
大地を潤す恵みの雨で会った。
人々は歓喜の声を上げ、その雨で国中が救われた。
仕立て屋の起こした奇跡を見たシナゴーグの会衆たちは、自分の店に飛んで帰り、秤や巻尺を正しいものに取り替えたり、修正したりした。
そして、これにならって国中の人が同じことをして、ごまかしたり、不正な商売をする者は誰もいなくなった。
この様子を見た神は大変満足されて、その国に毎年決まった時期に雨が降るようになり、人々が干ばつに悩まされることはなくなった。

この説話は、正直な商売をしていた仕立て屋のおかげで雨が降るようになり、国中の人々が干ばつに悩まされることがなくなったという内容です。

「正直な生き方に幸せは宿る」「偽りの商売は幸せを遠ざける」
「お金の大切さと魔力の両面を考えろ」という戒めでもあります。
ユダヤの子供たちは、こんな物語を聞いて育ちます。

なので、みんな不正なことをして儲けているんだから自分も同じようにしていいとは考えません。この説話のポイントは商売で大切なことは、お金そのものではなく『正直な生き方を貫くこと』

ユダヤ教ではお金は大切なものとして扱います。
ないよりあったほうがいい、あれば人生を幸福にするものの1つだと考えます。
「貧しくても、清く正しく生きればいい」などと恰好を付けることもしません。
ユダヤ人にとって、貧しいことは単純に「不幸」なことで、貧しければ家族も養えないし、子供たちに教育も与えられない。
「清ければいい」などというのは詭弁だと思っています。
僕もあんんまり清貧という考え方は好きではないですね。

しかし、一方で常に物事の両面を見ています。
お金の大切さだけでなく、お金の持つ「魔力」についても同時に思考を巡らせるのです。
お金を追求しすぎると「適正さ」「正直さ」という大切なことを忘れてしまいます。
日本には「正直者はバカを見る」ということわざがありますが、これは知恵でもなんでもなく、強欲な人間が自らを正当化する言い訳です。
正直者は鈍くさい、知恵がないといった差別的な視線も見受けられます。
しかし、本当に損をするのは、強者の慢心で、そうした正直な人たちをバカにする人間の心なのです。

江戸時代中期、全国的規模でビジネス活動を行い、時には海外へも進出していた近江商人の思想・哲学で、「三方良し」という言葉があります。
これは、 「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」を指します。

商売は売り手と買い手がともに満足するためにはどちらにも大きな無理を強いては一時的にうまくいっても長続きできません。

また社会貢献もできるのがよい商売であるということを意味します。
ずる賢い商売でいくらお金を貯めても、決して自分も家族も幸せになれない。
結局は不幸を呼び寄せることになる。
お金を稼ぐことだけに意識を集中させてしまいがちですが、そうではなく「適正さ」「正直さ」など、幸福になるために必要な他の要素にもしっかり意識を向けて日々仕事をしましょう。

このことをまずこのお話では伝えたかったのではないでしょうか。

もう1つの教訓

「豊かになる正直者」「バカを見る正直者」がいる。
一見、正直な仕立て屋が神に祈ったことで雨が降り、周りの人たちも自分達の正直さを見直した事が国の繫栄にも繋がった。
めでたしめでたし。
とハッピーエンドに思われるこのお話。
…何か違和感を感じませんか??

それは「なんでまじめな仕立て屋が、急に神の前で他の仕立て屋のことをディスり始めたのか?」ということです。

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