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ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝

まえがき

 この連載を始めるにあたって、まずはじめに謝っておかなければならないことがある。

 俺の著書「ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」と、noteでの連載「ISHIYA私観平成ハードコア史」の第一話と、雑誌ヘドバンVol.30「L.O.Xというスーパーグループ」などの記事におけるGHOULのボーカルであったマサミさんの倒れてしまった日付が1989年となっていたが、正しくは1990年の3月15日であり、記述を間違えてしまった。

 元々の資料は、唯一といっていいマサミさんに関する詳細を取材して調べた「片手のパンクスマサミはなぜ死んだのか?」という鶴見済氏の記事が元で、雑誌「ア・ハード・デイズ・ナイト」の1993年2月号と、鶴見氏の記事が収められた書籍「無気力製造工場」に掲載されていたものだ。

 ネット上の情報も全て鶴見氏の記事の表記によって統一されていたと思われるのだが、俺が自分できちんと調べもせずに、他人の情報に頼って確認もせずに書いてしまったことが、マサミさんの倒れた日付を間違えた全ての原因である。
 間違った情報を体験したかのように綴ってしまったことを、ここで深くお詫びいたします。

 本当に申し訳ありませんでした。

 しかしこの事実の発覚により、正確な年月日で調べると様々な事実を得ることができた。
 多くの当時を知る人間の多大な協力の元で、核心に迫って行く取材は大変ではあったが現在も継続中で、非常に実のある収穫となっている。
 これから記すマサミさんの話で、日本のハードコア・パンク創世記の中心がどのような世界だったかもわかるだろう。

 あくまでもマサミさんを中心とした話なので、当時のハードコアパンクシーンを知る人や当事者は、全く違った印象であるかもしれない。しかし俺の私観であることをご理解いただきたい。
 俺が感じた当時の日本のハードコア・パンクは、マサミさんが中心であり、その世界がなければ現在の俺が存在していないと断言できる。 

 現在の日本のハードコア・パンクシーンは、音楽的な面以外でも海外からの影響は多く、創世記の暴力的な世界を忌み嫌うパンクスも多く存在する。確かにそれは正しいし、その方が良いと感じる現在の時代背景もあるのだろう。 
 暴力的な世界が嫌いでパンクスになった人間も多く存在する現代の日本のパンクシーンだが、創成期の混沌とした暴力も日常的にあった「このシーン」がなければ、現在の日本のパンクシーンは存在していない。
 決して暴力を推進しているわけではないが、あなたがこの国に住み生きて来た人間で、パンクが好きであれば、これから書く世界がなかったら「あなたが今、存在していない」と言っても、決して過言ではない。

 取材中、俺を信頼して、俺だからと様々なことを話してくれた多くの協力によりこの連載が始められます。本当にありがとうございます。
 多くの方の協力によって、世界に発信する日本の文化の代表ともなっている「ジャパニーズ・ハードコア・パンク」を、後世に伝えることができます。

 本当にありがとうございます。

 文章中敬称を略す部分が多くあると思いますが、多大なる感謝と尊敬の元に執筆していることをご理解願います。

 それではマサミさんの話を始めよう。

 マサミとは1980年代初頭、日本のハードコア・パンク界に現れた、右手首から先を欠損しているモヒカンのパンクスであり、日本のパンクシーンを作り上げた第一人者である。
 1992年9月26日に34歳の若さで他界してしまったが、その逸話は数知れず、多くの噂や尾ヒレのついた話によって勝手なイメージが作り上げられていった。
 社会から逸脱しながらも、ヤクザとは違う道を辿った人間たちが多かれ少なかれ皆そうであったように、暴力的なことや危ない話もたくさんある。
 しかし「人間マサミ」に迫ることで、日本ハードコア・パンク創世記を生きた人間たちを知ることができるだろう。
 マサミを知る人間とマサミを知らない人間では、同じ世界に生きていても、全く世界が違う。それほどまでだと言い切れるマサミという人物とは?
 俺たちは皆思っていた。「マサミがいれば大丈夫」だと。
 この物語は事実であり、本当に実在した人物の実話である。

「#1 マサミが倒れた日」

 1990年3月15日、当時第3期になっていたGHOUL(GHOUL Ⅲ)のマサミは、当時名古屋の今池にあったライブハウス「オープンハウス」でのライブがあるために、車で名古屋に向かった。
 車はメンバー全員と同行者の女性Sを車に乗せ、最後にスタッフとも言える存在の女性、ゆかりの家へ迎えに行った。
 ゆかりはその場になり、体の調子もあまり良くなかったために「やっぱり今日は行かない」と言って同行するのをやめる。
 ゆかりによると、車内にいたマサミは元気がないように見えたが、最近いつもそんな感じだったので、気にはなっていたが大丈夫だろうと思い「じゃあね!行ってらっしゃい」と、マサミやメンバー、同行者に声をかけると、車は出発して行った。
 しかしゆかりは、明らかに調子の悪そうなマサミを見て、同行の女性に「マサミさん調子が悪そうだから、何かあったらすぐ電話してね」と告げることは忘れなかった。 

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!