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ひぐらしのなく頃に業の旧作との決定的な相違点を予想する

現在行われている「ひぐらしのなく頃に業」と呼ばれる一連の事件について、旧ひぐらしとの相違点を予想してみたのでここにまとめる事にする。


なお、当然ひぐらし業及び旧ひぐらし、ついでに話の流れでうみねこのなく頃にのネタバレが含まれる可能性があるため注意されたい。


決定的な相違点・ルールYの変容

鬼騙し編及び綿騙し編で繰り返し描写された旧作との決定的な相違点、すなわち「綿流しの夜に富竹と鷹野の二人が行方不明となる」点について衝撃を受けた視聴者も多いだろう。

旧作であれば後に魔女とまで成り果てるほどの「絶対の意思」の元に確定ルールとして君臨していた富竹の死亡、これが既に覆されている。不確定要素に満ち溢れたひぐらしのなく頃にというゲーム盤の上で唯一絶対の確定事項がここに崩れ去ってしまっている。これは何故か?

綿騙し編で非常に興味深い証言が飛び出した。曰く、「富竹と鷹野の二人が軽トラックを奪って逐電した」のだという。またイメージ映像では「車を運転しているのは富竹」であった。つまり二人の失踪は「富竹が主体として行われたもの」と考えられるのである。

一体どういう事だろうか?富竹が職務を放棄し、鷹野の買収を受け入れたのだろうか?それにしては村民のトラックを奪い走り去るというのは余りにも唐突で乱暴である。まるで何かに追われているかのようだ。

あくまで主体は富竹にある、そう考えるともう一つの可能性が浮かび上がる。大胆な仮説であるが「富竹は鷹野を説得、東京を裏切り二人で逃亡する事を認めさせた」のではないだろうか。すなわち「富竹・鷹野両名の行方不明は駆け落ちである」

富竹の愛が鷹野に通じた、愛の勝利である。二人の門出に祝福を!


果たしてそんな事が起こり得るのか?

鷹野三四は後に絶対の魔女にまで昇り詰める程に雛見沢症候群の解明・立証に命をかけていた。それこそ何人でも、愛する者の信頼すらも。その彼女の絶対を撤回させる事など、これまでのゲーム盤から得られる情報からはとてもではないが考えられない事態だ。

であれば、何故そのような事態が起き得るか、チェス盤をひっくり返して考えてみよう。鷹野が己の絶対の意思を貫き通せない理由とは何か?

鷹野は雛見沢症候群の原因の特定に失敗したのだ。


鷹野は雛見沢症候群を発症させる寄生虫の発見に失敗した

鷹野は高野一二三の研究を立証するべく、非情のメスを振るう。昭和54年6月、雛見沢症候群を発症し殺人を犯した検体が入江診療所に運び込まれた。彼を生きたまま解剖し、その脳から寄生虫を発見する。それが本来の歴史である。

だが業のゲーム盤において、「業世界において鷹野は雛見沢症候群発症患者の体内からついに寄生虫を発見できなかった」のだ。

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猫箱の中身は空っぽだった

寄生虫の実在を証明できなかった鷹野、及び入江機関は行き詰まる。雛見沢症候群の研究は暗礁に乗り上げ、本来ならば生まれるはずだった「H173」などの薬品もまた存在しなくなってしまったのだ。

この絶望は、自身の生きる意味とも言うべき絶対の決意を鷹野自身が放棄するに十分な理由ではないだろうか。


では、雛見沢症候群はやはり存在しないのか?

否、それは確かに存在する。雛見沢症候群は実証不能な、真のオヤシロ様の祟りとでも言うべき事象となって確かに雛見沢に存在している

鬼騙し編のレナの症状を見れば分かる通り、ルールXは業世界において未だ健在なのだ。あくまで変質したのはルールYのみである。

しかし雛見沢症候群は実存を確認されない。たとえ祭具殿を荒らしその存在を貶めるような発言をしたところで、雛見沢症候群そのものである羽入がいくら地団駄を踏んでもその音は誰にも届かないのだ。

そしてルールXの続投、ルールYの変質により、オヤシロ様の祟りも我々の知るものと違う事が起きている。


悟史は“いる”

結論から書こう、ひぐらし業の世界において昭和57年に北条悟史は失踪しなかった。より正確に言うならば北条沙都子及び園崎詩音の少なくとも2名は彼の現在の居所を知っているのだ。

これはどう言うことか、まずは次の画像を見て欲しい。

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こちらはひぐらし業コミカライズ鬼騙し編第一話の何気ない日常のシーンである。アニメでも同様の流れとなっている。が、この一連のシーンでは旧作では有り得ない出来事が起きている。

そう、「北条沙都子が泣いている」のだ。このシーンは決して嘘泣きではない

旧作における北条沙都子は兄悟史の失踪を自分の罪と定義し、彼がいつでも帰ってこれるように「もう泣かないと誓っている」のだ。だがひぐらし業では圭一の脅しに屈し「あっさりと涙を流している」ではないか。これはどう言う事なのか?

またしても前提条件が違うのである、ひぐらし業世界における北条沙都子は兄の帰還を願うためにもう二度と泣かないと誓っていないのだ。

北条沙都子は兄の失踪を自分の罪と認識しなかったのだろうか?そうではない、北条悟史は失踪などしておらず、よって北条沙都子は自分の罪を償うための罰を自らに課していないのだ。

悟史は果たして入江機関に保護されているのか、はたまた園崎家の計らいで遠くでほとぼりを覚ましているのか、その経緯が祟騙し編で描かれることになるだろう。

また園崎詩音についても、彼女の旧作における悟史とのつながりからするとややドライに思える描写が綿騙し編に存在している。

綿騙し編第二話において過去のオヤシロ様の祟りについて復習するパートでかなり意図的に昭和57年の失踪事件についてぼかされているのだ。つまり北条悟史について一切触れていない。また園崎詩音もこの事について一切無反応である。

園崎詩音が悟史の話題を出されて無反応なのは何故か?それは園崎詩音が既に北条悟史の現在の居所について知っているからと考えられるのだ。

この点がどう作用してくるかは綿騙し編後半部、及び祟騙し編で明かされるだろう。注目しておきたい。

結論:ひぐらし業世界におけるルールX.Y.Zについて

以上の事からひぐらし業世界におけるルールX.Y.Zについて、次のように整理する。


ルールX:健在【雛見沢症候群発症に伴い疑心暗鬼に取り憑かれ、凶行に誘われる】
ただしこれは解明された病理ではなく、原因不明の祟りとしてより強固になっている。
ルールY:変容【富竹・鷹野の失踪を皮切りに古手梨花が雛見沢症候群の末期症状を発症する】
富竹・鷹野は東京の追手を撒くために入江機関に工作し機能不全に陥らせる。不完全とはいえ雛見沢症候群に対する唯一の予防策の消失により、古手梨花は“絶対に”雛見沢症候群を発症する。
ルールZ:健在【園崎ブラフ及び祟りシステムの存在】
ただしこれを積極的に利用する存在はいないかもしれない。

ルールYの変容により、雛見沢大災害(滅菌作戦)は発生しないものと思われる。仲間を信じるだけでクリアできる、ただそれだけのゲーム盤、それがひぐらしのなく頃に業なのだ。

だが変容したルールYがプレイヤー=古手梨花を直接に追い詰める。富竹・鷹野の駆け落ちは、当然“東京”の怒りに触れる。そのため彼らは最大限可能な破壊工作を用い入江機関や山狗を機能不全に追い込むだろう。

そのため雛見沢症候群の発症者である古手梨花(あるいは北条沙都子)は適切な処置が受けられず、確定で雛見沢症候群のL5段階を発症する事になる。鬼騙し編の梨花と沙都子の死は、L5発症により疑心暗鬼に陥った古手梨花の凶行であり、なおかつ滅菌作戦を遂行する意味がないため梨花の死後雛見沢大災害は発生しないことになるのだ。

古手梨花はただ仲間を信じ、それを促すだけで昭和58年7月を迎えられる筈なのに、ルールYがそれを許さない。古手梨花の敵は、運命さえねじ伏せる【絶対の愛】なのだ。

再び始まったゲームの攻略法は、果たして存在するのか?今後の展開に注目したい。

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