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人は望んで弱者になる:大人のエンタメ〜タクティクスオウガ〜

もはや子供だけのものではない
エンターテイメントの世界。
大人になったから今だからこそ
楽しめるエンタメをご紹介します。


今日は
僕の人生に最も大きな影響を与えたゲームを紹介します。
これをプレーしていたのは
ただの高校生でしたが
まさかその後、
自分がゲームを作る側に
まわるとは全く思ってはいませんでした。

しかし別に、このゲームがきっかけとか
そういう事ではなく、
むしろ逆で
「自分にはこんなもの絶対作れない」
絶望させたものでした。

クエストという
全く聞いたことのない会社が
とんでもない傑作を作り上げたのですが、
何より衝撃を受けたのは
そのストーリーでした。
それ以来僕の人生観は
このゲームに大きく影響を受けています。

当時のゲームストーリーといえば
ドラクエに代表される
「誰もが安心できる王道ファンタジー」が多く
対抗馬のファイナルファンタジーにしても
せいぜい「自己犠牲」をテーマにするくらいでした。

ところがこのゲーム「タクティクスオウガ」は
信じられない問いを投げかけてくるのです。
Frostpunkの回でも
「マイケル・サンデルの授業」と例えましたが
こちらも、かなりエグい。
その問に向き合う高校生だった僕。

究極の選択

さて、あなたは民族紛争の中にいます
多数派のガルガスタン人が
少数派のウォルスタ人は弾圧されており
それを開放させようとしている一味です。
ガルガスタンから見ればテロリストですが
ウォルスタ人にとっては「解放軍」
の、、、はずでした。

あなたはある街を開放します。
この拠点は重要で、多くのウォルスタ人が捕まっていましたが
彼らを開放し、一緒に戦うように促します。
しかし、老人も多く保守的な人々を中心に
「戦って何になる。余計な事をするな」と避難されます。
「俺たちは命がけで助けたのに、
彼らは自分たちを歓迎もしてくれない」
と絶望する主人公。
そこに、(上司的存在の)騎士が
ある恐ろしい提案をしてきます。

「彼らが助けてくれないのであれば、
別の形で役に立ってもらおう。
彼らを全員殺すんだ。
それをガルガスタン人の非道だと訴えれば
全国のウォルスタ人が奮起するはずだ」

そんな酷い事はできないと言う主人公
そこまでしなければこの現状は変わらない
自分たちに勝ち目はないと訴える騎士。

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ここで、選択はゲームプレイヤーである
あなたに委ねられます。

多くの人は、恐らく
「そんなことしない」を選択するでしょう。
僕もしました。
しかし、そんな選択をしたプレイヤーを
騎士は強い説得力で責めます。

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「自分の手を汚してでも理想を貫く…、
それができなければ戦いに参加しては
いけない…、いけないんだよッ!!」


自民族を開放する為にしている戦い
自分たちも死に、相手も多く殺している戦い
そもそもそれを始めた時点で
「理想の為に命の奪い合いをする」覚悟じゃないのかと。
逆に目的を果たせなければ全ての命が無駄なのではと。
ならば、自分の手を汚しても
成果を果たさなくてはいけないのではないか、と。
君は自分の手を汚したくないだけの子供なのだ、と。

恐ろしいまでの選択肢に数時間、
下手したら数日悩んだプレイヤー多数。
しかし、このストーリーの恐ろしさはここから。

どちらを選んでも

結果、どちらを選んでも
ストーリーは進み、
「どちらを選んでも虐殺は行われます」

騎士に賛成すれば
あなたは虐殺の主導者になりながら
それにより蜂起したウォルスタ人の「英雄」になり、
その矛盾に迷いながら前へ進みます。

反対すれば
あなたは騎士に殺されかかる上に
彼らのプロパガンダで
「虐殺を行った裏切り者」として
同じウォルスタ人に命を狙われる犯罪者として
逃げ惑う生活に。

そして物語はそれぞれのルートで
進みますが後半、
そのどちらのルートでも起こるイベントがあります。
それが未だに語り継がれる伝説的なセリフ
2人のランスロットによる舌戦です。

自分の手を汚し、リスクを背負い

暗黒騎士タルタロス・ランスロットに捉えられた
聖騎士ハミルトン・ランスロット。
対象的な善悪の構図ですが
しかしその話を片方が正義だと
本当に言えるのか。。。

ハミルトン「力で人を縛り付ける、そうしたローディスのやり方に問題がある・・・そうは思わないのか?
タルタロス「縛り付けた覚えなどないな。彼らは力で支配されることを望んだのだ
ハミルトン「望んだだと?
タルタロス「そうだ・・・世の中を見渡してみろ。どれだけの人間が自分だけの判断で物事を成し遂げるというのだ?
      自らの手を汚し、リスクを背負い、そして自分の足だけで歩いていく・・・
      そんなヤツがどれだけこの世の中にいるというのだ?


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ハミルトン「・・・・・・」
タルタロス「貴公らの革命を思い出してみよ。貴公らが血を流し、命を賭けて守った民はどうだ?
      自分の身を安全な場所に置きながら勝手な事ばかり言っていたのではないのか?
ハミルトン「彼らは自分の生活を維持するだけで精一杯だったのだ・・・
タルタロス「いや、違う。被害者でいる方が楽なのだ。
      弱者だからこそ不平を言うのではない
      不満をこぼしたいからこそ、弱者の立場に身を置くのだ。
      彼らは望んで『弱者』になるのだよ

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当時のスーパーファミコン版の画面


ハミルトン「馬鹿な・・・人には自分の人生を決定する権利がある。自由があるのだ!
タルタロス「わからぬか! 本当の自由とは誰かに与えてもらうものではない。自分で勝ち取るものだ
      しかし、民は自分以外の誰かにそれを求める。自分では何もしないくせに権利だけは主張する
      救世主の登場を今か、今かと待っているくせに、自分がその救世主になろうとはしない。それが民だッ!
ハミルトン「人はそこまで怠惰な動物じゃない。ただ、我々ほど強くないだけだ

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弱者という特権

この会話は、
25年前に作られたゲームの中のセリフですが
2020年の今でも、何も変わっていない、
いや、むしろよりそう感じる今があります。

このセリフを見ながら、
虐殺の選択を思い出してください。

タルタロス「貴公らの革命を思い出してみよ。貴公らが血を流し、命を賭けて守った民はどうだ?
      自分の身を安全な場所に置きながら勝手な事ばかり言っていたのではないのか?

ま、さ、に、
命がけで守った彼らは
自分たちを非難してきました。
同じ民族の為に戦ったはずが
恨まれ、蔑まれる立場に置かれる主人公。
その体験をしてきたプレイヤーに
むしろ敵であるタルタロスの言葉が寄り添います。

救世主を待ち望むが、自分はなろうとしない

僕がもっとも心に残っているフレーズはこれです。
政治が悪いと言いながら投票にも行かない人々
安全な位置から著名人をSNSで叩く人々
会社がどう、世の中がどう言いながら何もしない人々
自分はけしてその一人になりたくない。
その思いが自分を奮い立たせてきた
と同時に
実際は何も変わらない自分
にも気づいてきました。

人はそこまで怠惰じゃない。弱いだけだ

ハミルトンは最後まで
民衆をかばう発言をし続けます。

もしあなたがこの言葉に、
少し救われた気持ちになったとしたら
あなたは自分が「愚かな民衆」
でない自信があるでしょうか?

彼らの言葉は四半世紀過ぎた今も
僕の胸に深く刺さり続けています。

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