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アニメーション『カクレンボ』ーー子供達は、美しくおぞましい闇を駆ける

U-NEXTを物色していたら、ふと不思議な絵柄のサムネイルが目にとまった。
『カクレンボ』
たった25分のアニメーション映画だ。

『KAKURENBO カクレンボ』イメージビジュアルより

狐面をつけた八人の子供達。
その装いは和風にも、アジアの他国の様相にも見える。
普段アニメーションを観ない(苦手)な私だったが、この独特の雰囲気と、始業までの30分で観られる短さに惹かれて、恐る恐る再生してみた。

※簡単な冒頭のあらすじを書いた後、警告文を挟んでネタバレありの考察・感想となります


■あらすじ

「鬼が出る」と噂される町。
暗闇が落ちるとき、秘密の場所にたどり着いた8人の子供達だけが参加できる“遊戯”があるという。
その夜、その場所に、狐面をつけた子供達の姿があった。
鬼なんていないと息巻くワルガキ三人組と、友人と二人たどり着いた少年とーー


以下、内容に触れての感想・考察となります。ネタバレ注意!!

□オリエンタル×サイバーパンク×ホラー!洗練された現代的センスの作り手による確立された世界観

日本、中国、東南アジア等オリエンタルな意匠と、古風さ、サイバーパンクを盛り込んだダークファンタジー。
漢字や狐の面、美術品のような鬼デザインの細部から音楽、登場する子供達の動作一つにいたるまで精緻な美しさが光る。
近年、サブカルチャー内のデザインとして「和風サイバーパンク」は、アパレル、イラスト、コスプレなどでよく見かける人気のアレンジだ。逆に言えば、一種ありがち感といおうか、アニメーションやゲーム文化で育ちクリエイターとなった現代の層が好みがちな折衷だな、という印象は否めないが、ルックで終わらない作り込まれた世界観、日本的な意匠だけでなくアジア各国からモチーフを引いて、
“和風なのに異国情緒がある”
という個性が美しく、他の似たような和風サイバーパンクものから頭一つ抜けた完成度の高さを感じる。
そんな人気のモチーフを使いつつも、少しも安っぽさだとか、いわゆる媚び(男の子をイケメンにしよう女の子を可愛くしよう、衣装の脚色や露出やアニメ的な台詞でウケを狙おう色を出そうという、アニメの個性づけとして用いられがちな文脈のてらい)がないのは本当にかっこいい。
取って付けただけ感がまるでなく、世界観単位で愛着が持てた。

多くを語らないストーリーテリングには好き嫌いが分かれそうだが、25分間、理解できずとも雰囲気と作画に没入するだけで、いや、場合によっては理解できないまま“極彩色の夜”に飲まれればこそ、言い表せない恐怖と混沌の映像体験になりうる。
美少女キャラクターや面白おかしい出来事など無くても、この絵とこの世界観であるだけで、この作品にはじゅうぶんな骨子がある。

□幻想の箱庭を照らす、美しくもおぞましい光の正体


本作『カクレンボ』は、たった約25分という短さの中に、限りなく美麗な唯一無二の雰囲気と、恐ろしい世界を凝縮した素晴らしくもおどろおどろしい作品だった。
以下は民俗学をかじってる私なりの個人的でしかない考察。

岩手県・遠野の民俗を記録していた学者柳田国男の一文から始まり、五体目の鬼である白狐の名前が“オシラサマ(遠野ほか東北で信仰される神)”、町に見られる「蚕」の看板や養蚕業を思わせる機械の文字、蒼白い蛾、そして「トコヨサマ」という言葉から考えると、これは
人の営みに利用される蚕の幼虫、及び養蚕の手法と同じに“子供の命を摘み取る所業”
を描いたダークファンタジー
だと直感した。

まず、トコヨサマの名前の元ネタと思われるトコヨノカミ(常世神)というのは、かなり昔に流行した一種のカルト信仰であり、イモムシを神聖視していたという。
オシラサマ、は、有名な遠野の養蚕神
象徴的なものはともに「幼虫」である。

そして養蚕は、幼虫に繭をつくらせて大人になる前に繭ごと煮殺し、糸を生産する産業だ。

私は、この養蚕の構図に
「子供の命を糧に町のエネルギー源とする」
という作中の世界システム(行っている業者がいるのか神によるシステムなのか?)を重ね合わせてしまった。

カクレンボを主宰する「トコヨサマ」なる存在は、イモムシの姿だという「常夜神」に、明かりを得なければ常に暗い町を形容した「常夜」の音を重ねたキャラクターではないだろうか。

トコヨサマのカクレンボに参加するために劇中で子供達がつける狐面も、安直なビジュアルのカッコよさというより、繭をつくる寸前にまで脱皮を重ねた蚕の顔から着想を得たのではと思える。

物語終盤、勝ち残った一人の子供は、次に町のエネルギー源となる子供らを集めるカクレンボの“鬼”役となる事が描写されていた。
これもまた、養蚕家のもとで卵から生まれ、繭を経ても煮沸して殺されず成虫となれた一握りの蚕だけが、次世代の糸の元である幼虫の親となる……のを思わせる。
その象徴かのように、おそらく鬼の一人「おしら様」として今回のカクレンボを導いただろう少女の側に蛾の成虫が飛んでいた。

また、蚕の成虫は飲み食いもできず、繁殖を終えると死ぬだけの存在である。
そこから想像すると、カクレンボで逃げ延び最後の一人まで勝ち残ったとしても、次の子供らをエネルギーとして調達する鬼となり、最後の一人に鬼をバトンタッチしても、その後元の世界・元の子供としての暮らしには戻れる事はないのではないだろうか。
行方不明となっていた主人公の妹は、前回のカクレンボの最後の一人=次のカクレンボを導き子供を調達する五人目の鬼「おしら様」となっていた。
次の「おしら様」は彼女の兄に引き継がれ、新たなカクレンボが始まる。

兄妹は、この町を照らす光の源となった。
それがあの世界において子供だけが知らされない摂理なのか、秘密裏に続いている悲劇なのかは分からない。
成虫となれぬまま、人の役に立つ美しい絹を残しサナギの姿で死んでいった蚕達を「天の使い」と呼ぶように、彼らの命は町にとって、そして神にとって、家畜にとどまらぬ名誉あるもの……とされて朽ちてゆくのかも知れない。

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