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第1回 “我包帯す,神,癒し賜う” Ambroise Paré:足の研究のはじまり

Ambroise Paré(1510~1590 年)


突然であるが私は放射線科医である。一応なんでも画像診断はできるが足関節・足部が私の専門である。足のエッセイを書くにあたり,足の研究のはじまりはいつからか調べてみることにした。

まずはHippocrates(ヒポクラテス:紀元前460〜370年),我らが医学の父から。彼は骨折に対しての治療方法を述べている。それは骨折部分を伸ばす(骨折面を合わせる),という整復についてであった。そして安静40日…いろいろと不自由になりそうだ,そして足に限定している記載ではない。

次はGalen(ガレノス:129〜200年),解剖によって体系的な医学を確立した大いなる外科医である。外傷を「体内の窓」とみなして治療を行ったとのこと。彼の経験と解剖(動物含む)による知識はルネサンスまで長期間続いている。うーん,外傷といっても足についての記載がわからない。

じゃあ,Albucasis(アブル・カーシム:936〜1013年)は? 彼は足関節近傍の骨折(脛骨骨折? どこだろう?)に対して包帯で圧迫・固定するという治療を行っている。彼は長きにわたってアラビアの医術を牽引したアラビアの名医である。このあたりからしばらく医術が停滞する。

時は進んでVesalius(ヴェサリウス:1514〜1564年),彼は人体解剖で最も有名な「ファブリカ(De humani corporis fabrica)」の著者である。Galenの解剖書を訂正しつつ新たな解剖書を作り上げた。芸術的なポーズの解剖図が素晴らしいが,足についてはそれほどではなさそう。

結局のところ,足関節疾患についての記載はAmbroise Paré(アンブロワーズ・パレ:1510〜1590年)の足関節脱臼についての報告が最初のようである(図1)。彼はフランスの外科医であり,患者に負担の少ない治療,血管結紮法を編み出したことで有名である。非常に患者に優しく謙虚でもあり,“我包帯す,神,癒し賜う”(Je le pansai, Dieu le guérit./私は包帯を巻くだけ,神が治してくださる。)という言葉を残している。しかしながら,この時代であっても足の脱臼骨折の治療はヒポクラテスの治療を踏襲していた。紀元前から提唱されている骨折治療が16世紀でも変わらないのは,ヒポクラテス父上に脱帽である。

足の解剖・外傷・治療の一連の流れについて報告したのはAstlley Paston Cooper(アストリー・クーパー:1768〜1841年)である。19世紀になって足関節の構成や靱帯の名称,足の機能がようやく明確になってきたのがわかる。

文献
1) Sean PFH. An historical review of fractures involving the ankle joint.Anomalous systemic venous connection. Mayo clin Proc 1975; 5: 611-5

(『関節外科2022年 Vol.41 No.8』掲載)



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