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君の名前で僕を呼んで Call me by your name/ルカ・グァダニーノ

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タイトル:君の名前で僕を呼んで Call me by your name 2017年
監督:ルカ・グァダニーノ

世の中には2種類の映画があると思う。ひとつは一度観て二度と観たくない映画と、何度も観たくなる映画である。例えば初見で頭を抱えてあれは何だったのか?と確認したくなるデヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」、吉田大八の「桐島、部活やめるってよ」のようなミステリアスなものや、ギャスパー・ノエの「アレックス」や上田慎一郎の「カメラを止めるな」の様に構造的に初見と二回目以降で見方が変わるものなどもある。単純に繰り返し観ることで魅力が増してくる映画も人それぞれあるはずだと思う。ある程度時間が経って、内容を忘れた頃に見返すと発見があったという経験をした人も少なくないのでは?
「君の名前で僕を呼んで」は公開当時すぐに再見したいとは思わなかった。初見の時の味わいが薄れそうな気がして、立て続けに観ることで理屈っぽく鑑賞してしまうような気がしたから。ヴィヴィッドな感情がこの映画の肝にも感じられて、初見のまま心に刻み込んでおきたいと感じた事が大きい。といった気持ちを抱えながら、鑑賞から三年弱過ぎ程よく内容を忘れたタイミングで再度鑑賞した事で、初見時に見落としていたものがあったのがよく分かった。初見時に気になったハエである。
劇中に何度も出てくるアプリコット。語源についての件でアプリコットが意味するのは早熟と尚早と語られる。オリバーはアプリコットのジュースを飲み干し、外の木にはアプリコットの実がなっている。何度もアプリコットが映り、エリオはアプリコットを使って体に熟した実の汁を垂らしながら実を使ってマスターベーションする。オリバーとエリオが結ばれる際にオリバーは「大人になれ」と手紙を残すのは、アプリコットが意味する「早熟と尚早」が含まれている。ラスト近くでのエリオと父親の会話にある通り、エリオがゲイである事を意識した事が「早熟と尚早」であり、彼自身のメタファーとしてアプリコットが描かれている。ラストの暖炉のシーンやその他でも彼にハエが違っているのは、彼自身がアプリコットである事というメタファーだったということである。
初見時は何故ハエがやたらとたかっているのか分からなかったものの、再見すると見えてくるものがあるのはよく分かる。オリバーとエリオの甘い関係は、無情にもオリバーの婚約で破綻する。想いはありながらも自らを偽る人生を選んだオリバーと、偽らない人生を選んだエリオが取り残される結果に悲恋が訪れる。
タイトルの「君の名前で僕を呼んで」が意味するのは、ユダヤ人を表すイエロースターのペンダントにある通り、ふたりが一体化したいという心の現れだと思う。相手が自分になり、自分が相手になる。ふたつでひとつになる感覚を味わう、隠語的なゲームを共有する。音楽でもタイトルになっているワードがサビなどで出てくる際に、無条件に耳に入るように、「Call me by your name,Call you by me name」という台詞があまりにも自然と入ってくるため逆に不自然さを感じるものの、ラストの電話口でお互いを自分の名前で呼び合う所でこの行為がふたりの関係を表しているが痛いくらい通じる。
個人的にこの映画で監督の力量を感じたのは、これらではなく第一次大戦の慰霊碑のロングカットのシーンだった。長いカットながら構図も演技も音楽も凄い。特に長回しの中で兵士の銅像が映し出される所の音楽の鮮やかさは、ロングカットを用いながらピークを与えている。地味ながら凄まじい労力があったと思う。
という事で、心に残った映画を少し時間を置いて観ることで見えてくるものがあると思うので、好きな映画は忘れた頃に見返すとまた違った視点で楽しめると思うので、是非見直してみてはいかがかな?


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