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No.107 1984年~ シスター須藤昭子氏のお話を聴いた子どもたちが発案・行動し、今に続く「ハイチデー」 

シスター須藤昭子氏は次のように紹介されています。
 日本医師カトリック・クリスト・ロア修道会(本部 カナダ)所属の修道女である。日本で結核治療に携わった後、1976年から修道会からハイチに医師として派遣されて以降、長年にわたり現地で医療支援および農業支援に関わりハイチマザー・テレサと呼ばれる。
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E8%97%A4%E6%98%AD%E5%AD%90
 
 シスター須藤昭子氏が初等科を訪問して下さったのが1984年のことです。ハイチから一時帰国され、初等科の子どもたちにスライドを映写しながらハイチの実情をお話して下さったのです。当時の主事(副校長)シスター木村すみ子氏が6年生の子どもたちに「このお話から初等科でできることを考えてみましょう」という呼びかけがありました。私は当時6年生を初めて担任しており、児童会を担当していました。私と児童会役員の子どもたちと話し合い、当時の委員会活動の1グループ「もゆる会」(奉仕活動を中心的に活動)を軸に児童会全員で取り組む活動にいていこうということになりました。
「もゆる会」の活動報告が、1984年度『ゆずり葉』第19号に掲載されていました。『ゆずり葉』は年に1回3月に発行される初等科の活動記録です。当時は6年生の卒業写真、校長先生と新任の先生の文章、1年生から6年生までの作文「ゆずり葉文芸館」、読書感想文、研究文、習字や美術の「ゆずり葉芸術館」、隔年で委員会またはクラブ活動の記録、6年生のグループ写真「さよなら6年生」、先生方の寄せ書き、クラスごと一人一人のメッセージ、その年度の初等科行事、教員の写真と担当学年など、校務の方の写真とお名前、編集後記で構成されていました(後のエッセーで『ゆずり葉』についてご紹介致します)。
 「もゆる会」の活動記録は次のように書かれていました。

 「なかなか活発で行動的な会です。主に校内の事や身近な事に進んで協力して奉仕し、募金活動をおこない、初等科代表で聖母ホームのおばあ様方に会いにいったりします。
 今年の活動内容は、校内での赤い羽の共同募金をし、聖母ホームに行っておばあ様方を楽しませられるようなだし物をしたり、勤労感謝の日には、皆で作った花どうきんにカードをそえてプレゼントをしたりしました。
 ハイチデーはもゆる会全員で考えました。シスター須藤がスライドを見せて下さりながらハイチの実情のお話をして下さいました。私達も病院や子供達を助けるために何か出来ることがないか一生けん命に考えてハイチ弁当を全校で協力しました。
 これからも、世界中で問題になっているうえや病気のことを考え、奉仕の心を大切にして、その名の通り、聖心の愛をともして活動したいと思います。」

初めてのハイチデーで子どもたちが作成したポスター

 子どもの文章にある「ハイチ弁当」とは、ハイチの実情を考えその日のお弁当をおかずのないおにぎりにして、節約した分を献金するということです。
 このようにして始まった「ハイチデー」はその後どのように進んでいったのでしょうか。エッセーNo.107でご紹介した『聖心の教育―女子校発の4・4・4制』で「ハイチデー」の記述があり、私が執筆したもので引用してみます。
 
「ハイチデーとは、一日の祈りや勉強・手伝いなどを全てハイチの子どもたちのために捧げ友だちになろうと児童会が中心になって行っている活動で、年に3回行われています。1984年、ハイチ共和国で医師として働いていらっしゃるシスター須藤昭子からハイチの様子、中でも学校に行きたくてもそれがなかなかかなわない子どもたちの話を聞き、当時の児童会が自分たちで何ができるか考え、話し合い、ハイチデーが設けられました。この日は、おかずを我慢しておにぎりだけのお弁当にし、その分のお金を募金します。世界には、まだまだ助けを必要としている子どもたちがたくさんいます。ハイチデーで集まったお金は、ハイチの他にも、インドネシア、ケニア、フィリピン、アフガニスタン、ウガンダ、コンゴ民主共和国、インド等海外で働いていらっしゃるシスター方を通して役立てていただいています。この活動を通して、助け合いの精神や国際協力の大切さをより深く学ぶことができるのではと期待しています。インドネシアのシスター井上、ケニアのシスター寺田、フィリピンのシスター有田など日本にお帰りになられた時には初等科生にそれぞれの国の子どもの様子をお話していただきます。
 この活動は上級生が学んだことを下級生に伝えることにより、よりハイチに関心をもってもらうことも試みています。2010年1月12日に起こったハイチ地震では、31万人以上の試写という大災害でした。5年生の児童は地震の被害経過とともに収集した新聞記事を模造紙に貼ったものを廊下に掲示し、被害の大きさを初等科に知らせる役割を果たしました。また、シスター須藤昭子著『ハイチ復興の祈り 80歳の国際支援』(岩波ブックレット、2010年10月発行)が出版された記事が新聞に掲載されました。6年生はこの本を一人一冊持ちシスター須藤の行動と歴史と現在の両面から学ぶとともに、一人ひとりが学んだことを簡潔に表現しました。何人かの表現は初等科の文集『ゆずり葉』に掲載し、他学年にも学ぶ機会が増えました。」

 上記引用の5・6年生は、私の担任最後の5年生と6年生でした。
 
ハイチ地震(2010年)
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2010%E5%B9%B4)
 
  ハイチの位置はキューバのすぐ東です。

シスター須藤昭子著『ハイチ復興の祈り 80歳の国際支援』(岩波ブックレット、2010年10月発行)より
2010ハイチ地震救援ニュース「シスター須藤 講演と対談 No.3」より

『ゆずり葉』第45号(2011年発行)に掲載された子どもたち数名の学んだことをご紹介致します。
 「自分の身より、人の身を守ろうという考えを持つハイチの人々。常に神様を信じ、共に歩もうとするシスター須藤。彼らの強い思いは、私の心に大きく響き、忘れない大切な思いにさせて下さいました。」
 「ハイチの劣悪な環境は私の想像以上のものでした。その中でシスターが30年以上もの医療に携わってこられたのは、色々な人々の支援とハイチの人々の笑顔があったから。改めて私達のおにぎり募金に喜びと誇りを感じました。」
 「『神様と二人でやっていく、共同作戦』という言葉に心を打たれました。では今の私に何が出来るだろう。そして、シスター須藤のような勇気と行動力、あきらめないで他者の助けとなれる大人を目指したいと思いました。」

 私が最初に担任した6年生の子どもたちがアイデアを出して始めた「ハイチデー」を私が最後に担任した6年生の子どもたちがハイチ地震というハイチにとっては危機的な状況を伝えてくれることにより深い学びへ導いた「ハイチデー」へたくましいバトンを渡してくれました。このバトンは今も渡し続けられています。
 この最後の担任の6年生が卒業を間近に控えた2011年3月11日、卒業式の練習後6年生の教室で「卒業アルバム」を見ていた14時46分、未曾有の大地震が東日本を襲いました。東京も大きな被害があり、この『ゆずり葉』は卒業証書とともに4月中等科に進学してから子どもたちに渡されることになったのです。この話題も後にエッセーでご紹介致します。

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