近畿地方の石造物㊱:頭塔/新薬師寺層塔(伝・実忠御歯塔)

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名称:①頭塔

   ②新薬師寺層塔

伝承など:①玄昉の首塚

     ②実忠の歯塔

所在地:①奈良県奈良市高畑町 頭塔

    ②奈良県奈良市高畑福井町 新薬師寺

近鉄奈良駅からほど近い興福寺の境内を南に出て、猿沢の池を経て新薬師寺に向かう途中の高畑町に、頭塔と呼ばれるピラミッド型の施設がある。

頭塔はストゥーパの一種で奈良時代の造立とされ、元来は「どとう」(土塔)であったのが転訛して「ずとう」となり、藤原広嗣の祟で死んだとされる玄昉の首塚と言う伝承があったことから「頭塔」の文字が当てられるようになったと考えられる。

元々は石の基壇の上に仏塔が置かれていたが、現在は基壇だけが残り、頂部には後世の五輪塔が載せられている(三枚目)。

基壇の各面には様々な石仏が彫り込まれており、見応えがある。

なお、1986年の改修以前は、直接登って石仏を見ることが出来たが、現在は柵越しの見学である。

また、以前は見学には事前の許可が必要であったが、現在は予約なしで見学が可能となり、毎年春と秋には「特別公開」としてガイドが常駐している。


頭塔からしばらく東に進んだ所にある新薬師寺は、奈良時代に聖武天皇の眼病平癒のために、光明皇后が建立した寺院と言われ、奈良時代の建造物である国宝の本堂(下の写真一枚目、創建当初は食堂であったが、後に本堂となる)内には、平安時代初期の薬師如来と天平時代の十二神将像(いづれも国宝、十二神将像のうち一体は現代の補作)が安置されている。

特に十二神将像のうちの伐折羅大将(国宝登録の名称は「迷企羅大将」であるが、これは登録時に参照した記録に誤りがあったためであり、現在の寺伝の名の方が正しい)は、天平仏の傑作として著名である。

山門を入ってすぐ左側には、「実忠和尚御歯塔」と呼ばれる層塔がある。

実忠は奈良時代の僧侶で、良弁の弟子であり、東大寺の所謂「お水取り」の創始者とされ、また頭塔の造営にも関わった。

層塔は通称の通り、実忠の歯を埋めた塔とされるが、新薬師寺に何故実忠の歯塔があるのかはよくわからない。

とは言え、寺伝では創建当初から層塔とされ、現在は五重であるが、当初は十三重の塔であったと言う。

度々倒壊に遭ったため、当初のもの下の二層のみで、上の三層は後補である。

ただし、下の二層も奈良時代の造立とは思えず、平安時代後期の作と見る説もあるが、そちらの方が妥当であろう。

平安時代の層塔の作例は奈良県内にも複数あり、それらと比べると平安時代の層塔とするには若干違和感があり、あるいは平安時代後期よりも下る鎌倉時代の作かも知れない。

いづれにせよ、寺伝とは異なるものの古塔であることには違いない。

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層塔の近くには石仏がまつられている一角があり(下の写真一枚目)、その中の中央にある三体は(下の写真二枚目)、向かって左側が奈良時代の如来石仏、右側が鎌倉時代末期の阿弥陀如来石仏、中央が室町時代の地蔵石仏、如来石仏のさらに左側にあるのが鎌倉時代後期の地蔵十王石仏(下の写真三枚目)である。

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