自#441「人に嫌われても、別段、気にしませんが、すべての人に嫌われていると思うと、きついです。ごく少数でいいので、信じられる誰かがやっぱり必要です」

          「たかやん自由ノート441」

 アクティウムの海戦から逃げて、エジプトに帰って来たアントニウスは、普通に考えて、誰にも顔を合わせられないと云う状態に、陥ったと推測できます。アントニウスは、ファロスの海岸に住居を設け、アテナイ人のティモーンのように、人々から離れて暮らします。ティモーンは、人々の忘恩に傷めつけられて、人間を信じられなくなっている、気難しい人間嫌いです。あらゆる交際を拒絶していましたが、アルキビアデスが来た時は、歓迎します。周囲の人が、不思議に思って、その理由を聞くと
「あの青年は、アテナイの人にとって、禍(わざわい)の元になることが、わかっているからだ」と、答えたそうです。つまり、将来、確実に不幸を撒き散らす人間だから、歓迎したわけです。ティモーンは、ある時、集会にやって来て、演壇に立ち
「市民諸君、私には僅かな地所があって、そこに無花果(いちじく)の木が植えてある。すでに、多数の市民が、その木で首を吊った。ところで、私はその土地に家を建てようとしているから、もしも、諸君の中で、首を吊りたいと思う人があるならば、無花果の木を斬(き)る前に、やって貰うように、ここで公に予告しておく」と、伝えたそうです。徹底した腹を括(くく)った厭世主義者です。ティモーンは、死後、海岸の近くに葬られますが、予め墓碑銘は自分で準備してありました。
「ここに、私は重苦しい生命を絶って横たわっている。邪悪な人々よ。名を訊くな。みじめに果てろ」と。

 アントニウスは、ティモーンのような筋金入りの厭世主義者ではありません。本来、気立てが良くて、フレンドリー、快活な性格です。が、戦争から逃げ出して来ましたから、自殺以外の人生の選択肢は、もう残されていません。気まずかったクレオパトラとも、ヨリを戻し「死を共にする会」という結社を作り、それに入会した友人は一緒に死ぬことを誓い、持ち回りで宴会を行って、刹那主義的な享楽をenjoyします。

 クレオパトラは、宴会の合間、死の手段を模索します。様々な効能のある致命的な毒薬を集め、どの程度、苦痛があるのかを調べるために、死刑囚に飲ませて、実験します。実験の結果、速く死ねる毒薬は苦痛を伴って死に方が激しく、穏やかな毒薬は死ぬまでに時間がかかるという、いたって常識的な結論を得ます。が、さらに徹底的に観察と実験を重ね、殆(ほとん)どすべての中で、アスピスという蛇が咬(か)んだ場合、痙攣(けいれん)や呻吟を起こさず、睡(ねむ)くなり、顔に軽く汗が出るだけで、感覚が容易に麻痺して弱り、熟睡して行くように死んで行けるということを、発見します。死の手段はこれで、決定しました。

 オクタヴィアヌスが、エジプトにやって来ます。アントニウスは、オクタヴィアヌスに、一騎打ちを申し入れます。が、オクタヴィアヌスは
「(アントニウスの)死に方は、他にも沢山あるだろう」と、この申し出を断ります。

 クレオパトラは、オクタヴィアヌスを籠絡しようとして、失敗したと、普通、言われていますが、プルタークを丁寧に読んでも、そのあたりは良く解りません。ただ、どんなにみじめな境遇に陥っていても、クレオパトラは魅力的な女性だったようです。生きている限りは、カリスマを発揮し続ける、真の女王だったと言えるのかもしれません。

 アントニウスは、墓の中で、日々、過ごしているクレオパトラに会いたいと伝えます。クレオパトラは、侍女に「女王様は、自殺しました」と、伝えさせます。クレオパトラは、もう死を覚悟しています。アントニウスは、クレオパトラが死んだと聞かされて、自殺を図ります。腹を剣で突き刺して、ベッドに倒れ込みます。が、まだ死に切れてません。クレオパトラから、アントニウスを自分のいる墓の中に、連れて来るようにと、使いが送られて来ます。アントニウスは、もうほとんど死にかけです。墓の戸口まで運ばれますが、扉は開かず、窓から綱が下ろされます。人々がその綱でアントニウスを縛ると、墓の中にいる侍女2人と、クレオパトラの3人で、血まみれのアントニウスの身体を、引っ張り上げます。映画でも、舞台でも、ここはサビのsceneです。強烈な狂気と、ロマンを感じさせてくれる場面です。中に迎え入れられたアントニウスは、床に横になり、自分が陥った不幸を嘆かず、「自分は、これまで様々ないい目にあって来た」と感謝して、最後、葡萄酒を所望し、葡萄酒を飲み終えて死にます。軍人として戦場で死ぬよりも、この死に方の方が、アントニウスらしいと思ってしまいました。

 クレオパトラは、無花果の木に巻き付かせたアスピスを取り寄せ、アスピスを胸ではなく(どの絵を見ても胸になってますが)、腕に咬ませて死にます。

 オクタヴィアヌスは、女王の死に方に感服して、アントニウスと一緒に立派な葬儀を実施し、女王にふさわしく葬ります。

 クレオパトラが、アントニウスを愛していたかどうかは、プルタークを読んでも解りません。アントニウスは、出会いの日から、最後の死ぬ瞬間まで、クレオパトラを愛していました。アントニウスとクレオパトラが出会ったのは、クレオパトラが28歳の時です。クレオパトラが死んだのは39歳です。20代、30代の20年間くらいは、女性は美のカリスマをkeepし続けることができるんだろうと、想像できます。40歳を超えると、美のカリスマにおそらく陰りが出てしまいます。クレオパトラが魅力的だった11年間を、共に過ごすことができたアントニウスは、やはり幸せだったと言えそうな気がします。誰かを愛することが、人生のミッションだと言う、生き方もありかなと思ってしまいます。

 籠絡した側のクレオパトラは、たとえアントニウスを愛してなくても、自己の美を発揮し、それを受け止めてくれる相手がいたことは、やっぱり、それはそれで幸せだったような気がします。窓から、綱を下ろして、血まみれのアントニウスを引き上げた意図は判りません(普通に扉を開けて入れたらいいのにと思ってしまいます)。が、後世の我々にしてみると、その狂気のsceneがheartを打つわけで、後世の人たちのことも、きちんと考えた、天性のカリスマの演出だったのかもと、考えたりもします。お前は、いい死に方をしたなと、カエサルの亡霊が、アントニウスを羨ましがっていると云う風なことも、ちょっと思ってしまいました。

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