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令和に幻想水滸伝2を遊んだ

 という訳で『幻想水滸伝2』、遊びました!

 東京ゲームショウの幻想水滸伝1・2のHDリマスターの発表を見ていたら衝動的に遊びたくなり、前作『幻想水滸伝』を遊んでから約1ヶ月、無事続編もクリアしました。そして前置きは短ければ短いほど良いので3行で早速本筋に移りましょう!

 別に読まなくてもいいですが、『幻想水滸伝』の記事のリンクも貼っときます。一応な! 一応!!

※一応注釈として書いておきますが、この記事には『幻想水滸伝2』のほぼ全てのネタバレが書かれています。ご注意ください。

『幻想水滸伝』の続編としての『幻想水滸伝2』

 一口に「ゲームの続編」と言っても、様々なパターンが存在する。たとえば『FF1』から『FF2』のように、「タイトル名だけ受け継ぎ、世界観も何もかも一新する」スタイルの続編。

 『ゼノブレイド』から『ゼノブレイド2』のように、「ある程度は一新しつつも、世界観の設定やいくつかの部分で前作との繋がりを示唆する」スタイルの続編。

 が、『幻想水滸伝2』はゴリッゴリに前作から地続きの続編! 前作のキャラはもうバンバン出る! てか遊んだの1ヶ月前とかなのに前作のキャラと遭遇するだけで「あぁ、懐かしい……」と旧友に出会ったかのような気持ちになるのだからなんとも不思議なゲームです。

 特にあのフリックが大人ポジションとして出てくるのがなんかね……なんかもうね……こんなの前作遊んだ人間の大半は耐えられなくないですか?

 私が前作で最もお気に入りのキャラだった「ヒックス」「テンガアール」の両名もちゃっかり登場しつつ、「戦士の村生まれの人間は自分の剣に最愛の者の名前をつける」という設定も遵守されています。

 なのでフリックの武器もちゃんと「オデッサ」だし、ヒックスの武器もちゃんと「テンガアール」です。いやまぁ、やって当然の部分ではあるのですが、こういう細かい部分にしっかり気を利かせてくれるのが「幻想水滸伝」という作品の良さでもあると思います。

 ちなみに『幻想水滸伝2』には公式ドラマCDが存在するらしく、キャスト陣を見たら「フリック CV中村悠一」で死んでしまいました。……は!? フリック中村悠一!?!?

 そして最大の目玉と言えば、まさかの「前作主人公」の参戦

 『幻想水滸伝2』にはセーブデータのコンバート機能が存在しており、前作『幻想水滸伝』のデータを引き継ぐことによってまさかの前作主人公が前作のレベルのまま使用できるというサプライズが用意されています。

 これ、アタシだ………

 ジ、ジスロマックとジスロマックが喋ってる………………。

 今作は前作以上に「細かいメッセージ」の部分に気合が入っており、たとえば街のNPCの会話や「にげる」を選択した時のシステムメッセージもその時によって変化するように作り込まれているのですが、特にこの前作主人公イベントの「1の主人公と2の主人公の名前が同じな事にツッコミが入る」という細かさには流石に驚きました。

 100人中100人が「いや名前同じやつ2人おるやんけ」と思っていた所に、まさかのグレミオからの直々のツッコミ。確かにまぁそうなんですが……「これを想定してメッセージ仕込むか!?」という驚きが隠せませんでした。

 RPGをやっていれば誰しも一度は考えるであろう、「前作主人公が前作の最強ステータスのまま参戦しねェかな~~~」という夢がそのまま叶っています。いや、ソウルイーターの性能1ミリも変わってねえし!

  前作でグレミオが復活するベストエンディングを迎えていると、2にもグレミオが登場します。ぶっちゃけ私はグレミオの復活に「お、おう……」くらいの温度感だったのですが、こうして元気な姿を見せてくれると「あの戦いは無駄ではなかったのだな」とあの足跡に思いを馳せてしまいます。

 パーンにクレオなどの面子も登場し、さらにはカスミとの会話まで用意されているこのグレッグミンスターでのイベント。こうして共に戦った仲間たちと再会すると、「あぁ、幻想水滸伝は良いゲームだった」と改めて感じます。

 1も2もどちらも、幻想水滸伝は「キャラクターの描き方」にとてもこだわりを感じるゲームでした。だからこそ、ゲームの中の人物だったとしても「久しぶりに会った友達」のような感覚を覚えるのかもしれません。

 あ、でもグレッグミンスターにビッキーのワープポイント用意しなかった奴だけは絶対に許さないからな。

「RPG」としての物語を魅せる『幻想水滸伝2』

 『幻想水滸伝2』は、ハッキリと言ってしまえば「前作から劇的な進化を遂げた続編」という訳ではないと思います。

 いや、もちろん戦闘演出の進化や×ボタンでダッシュできるようになってたりとか×ボタンでダッシュできるようになってたりとか×ボタンでダッシュできるようになってたりとか、着実に進化している部分もあると思います。

 しかし、一方で目新しい戦闘システムがある訳でもなく、グラフィックが3Dになっているとかでもない。「108人を集める」という目的はそのままだし、「拠点に仲間が集って徐々に機能が解放される」根幹のシステムも同じ。

 ……が、「あまり変わっていない」からこそ、「幻想水滸伝」という作品の良い部分を残したまま着実に細かい部分をブラッシュアップしたタイトルでもある。

 先ほどのシステムメッセージの細かさや前作要素の拾い方もそうですが、『幻想水滸伝2』の総合的な印象としては「とにかく細かい部分に気が利いている」に尽きます。目新しさこそないですが、遊びやすさと読み応えたっぷりのシナリオが両立した元来の面白さの引き立たせ方が上手い。

 前作『幻想水滸伝』の時点で、ある程度「この作品の持ち味」が固まっているからこそ、そこを最大限伸ばすように作ったのが『幻想水滸伝2』……なのではないかとも感じました。

 が! しかし!! 
 ……さっきから何回もひっくり返してますね。すいません。

 『幻想水滸伝2』の「前作から大きく変わったポイント」がひとつあると思います。それが「縦軸のシナリオが面白くなった」という部分。

 前作『幻想水滸伝』は「108星を集めること」が最大の目的かつ第一優先事項として定められており、良く言えば「横軸の広がりが面白い」、悪く言えば「個々のエピソードの繋がりが薄く散発的」な印象を受けました。

 もちろん「ソウルイーター」を巡って起きる仲間の別れなどの縦軸エピソードも面白いのですが……エルフの村はエルフの村、戦士の村は戦士の村でストーリーが完結してしまうので、「最初から最後まで一本軸が通ったRPGとしての物語」はやや薄味だと思います。

 しかし、『幻想水滸伝2』はこの「シナリオの縦軸」の部分が面白い。

 主人公とジョウイが突如として襲われ、2人が散り散りになりビクトールとフリックに助け出されるあの導入部分の時点でなんとなく今作のシナリオの面白さが掴めたくらいには、「1本のドラマ」としての完成度が非常に高いと思います。

 もちろん今作でも個性豊かな108星を集める面白さは健在なのですが、「緊迫感のある縦軸のシナリオ」と「横軸の仲間集め」を同時に展開する手法がかなり劇的に進化した部分だと感じました。

 本編を進めていくと自然に仲間が増えるように作られていたり、一方でヒックスとテンガアールを筆頭に前作のような「完全に独立したエピソード」もいくつか用意されていたり…………ここも「前作の時点で確立されていたお面白さを最大限伸ばすスタイル」に通ずる部分な気がします。

 もう言葉を選ばずに言ってしまうと、前作のシナリオの「ちょっと退屈かもなあ」と感じた部分に推進剤が搭載されて最後までジェット噴射で駆け抜けられるのが『幻想水滸伝2』って感じです。

その強さがあれば、全てを守れると思った。

 そしてここからは『幻想水滸伝2』のシナリオを盛り上げているキャラクターたちの話です。主人公の幼馴染にして、唯一無二の親友でもある「ジョウイ・アトレイド」。

 彼はまぁ……平たく言ってしまえばこのゲームのラスボス。

 最初は主人公の親友として共に戦ってくれるのですが、自分を家族のように受け入れてくれた人たちの街が滅ぼされたり、自分を「お兄ちゃん」と慕ってくれるピリカが両親を失い塞ぎこんでしまった姿を目にしたりとか、もうソウルイーターの継承者なんじゃないかというくらい酷い目に遭う。

 そして彼はこのような争いが二度と起きぬよう、主人公たちと敵対する「ハイランド王国」側に寝返り、主人公とは別の手段で争いを収めようとする……………。

 この主人公とは別軸で展開される「ジョウイ側のストーリー」が今作の面白さに一役買っています。

 そもそも「親友だと思っていた幼馴染が敵国に付き、最終的に戦わなければならない」というストーリーラインが面白くて……………………と、ここまで書いておいてなんですが、『幻想水滸伝2』のストーリーって本当に口の出しようがないくらいちゃんと面白いので、ぶっちゃけ私が何を言おうと無駄な気がしてきました。

 「いや急に何!?」って感じですが、実際今こうして書いていて、「ジョウイ周りの話の面白さはこのゲームを遊んだ人間の100人中100人が理解しているのだから、いちいち俺がここがどうこう面白くて~~~と事細かに書く方が無粋なのでは?」という気がしてきた。

 いや、そうに違いない。なんだ!? じゃあ何を書けばいいのか!?

 そもそもジョウイはしっとりしすぎている。何かもう喋ってるだけで水とりぞうさんがパンパンになるくらい主人公に対して湿度の高い思いを向けている。全然関係ないんですが、実は私はここ最近『HUNTER×HUNTER』という漫画を読んでいたせいで、キルア=ゾルディックとジョウイ・アトレイドを交互に摂取する毎日を送っていました。

 もう「少年が少年に向ける思いの湿度」で溺死しました。キルア=ゾルディックとジョウイ・アトレイドのせいで俺の頭上だけ5月の梅雨前線と化しているし、キルア=ゾルディックとジョウイ・アトレイドのせいで俺の家の窓だけめちゃくちゃ結露してるし壁にカビが生えている。

 幼い頃より「家族」の存在が欠落していたジョウイ。そんな彼にとって最も大切な存在は、自分を受け入れてくれた友達。

 彼が全てを失ったとしてもこの世界から争いを無くしたかったのは、「兄」と慕ってくれたピリカを守るため。血に塗れた自分を愛してくれたジルを守るため。そして何より、大切な友達を守りたかったから…………

 私はジョウイを見ていると、「お前はラスボスに向いていない!!!」と思ってしまいます。ジョウイは『幻想水滸伝2』の最後に倒すべき相手にして、事実上のラスボス。しかし……彼はラスボスに向いていない。お前のようなラスボスが居るのか?

 同盟軍のリーダーとなった主人公とハイランド王国の王となったジョウイが相対するシーンは何度も用意されているのですが、その度にジョウイは「もうこれ以上戦おうとしないでくれ」という懇願を投げかけてくる。

 ジョウイが主人公を討ち取れる場面はいくつもあったのに、その度にジョウイは手を下せない。もはやこのゲームの終盤には戦いなど存在しないのかもしれない。戦場を包んでいたのは、ジョウイの祈りと、優しさだったのかもしれない。

 オメー……ラスボス向いてねえって……! 

 こんな……こんな優しいラスボスが居てたまるか!!!!!

 「その強さがあれば、全てを守れると思った。」

幻想水滸伝2

  今作のキャッチコピーでもある言葉。個人的には「パッケージの裏に書いてあったヤツ!」という印象が強いです。「最後に戦う相手の言葉がキャッチコピーになっている」こと自体が割と異質な気がしますが、まさしくこの言葉こそがジョウイを象徴する言葉なのだと思います。

 この世の平穏を願ったからこそ、力を手にする必要があった。愛する者全てを守るために、強さを持たなければならなかった。ある意味では「戦争」……または「争い」の根底にあるものとも考えられます。

 前作よりも、より写実的に、より残酷に「戦いによって失われるもの」の姿を描く『幻想水滸伝2』。そんな醜い争いを誰よりも起こしたくなかった、そして誰よりも大切なものを戦いで失ったジョウイのセリフこそ、このゲーム全体を包括する言葉足りえるのかもしれません。


ブタは死ね!!!

 ブタは死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 「邪知暴虐」という言葉はこの男のために生まれ来たのではないか!?!? ジョウイ・アトレイドが火だとすればこの男は野原に巻き散らされた油!!! 『幻想水滸伝2』というゲームを燎原の火の如く燃やし尽くす狂皇子、ルカ・ブライト!!!!!

 ジョウイの時にあんなに戦争うんたら醜い争いかんたらと高説を垂れ流してみましたが、結局私が一番好きなキャラはルカ・ブライト!!!!!!

 えっ? 何? 知ってた?
 フハハハ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!

最初のルカ様、今見るとだいぶテンション低くないですか?

 しかし、個人的なルカ様の初対面の印象は「いかにも中盤に惨めに退場しそう」というものでした。

 いや、実際中盤に退場してるんだから割と当たってるっちゃ当たってるのですが……まぁそのくらい「小物っぽい」印象を受けました。そして段々と進めていくうちに気が付いたのです…………「おや、この男“本物”なのでは?」と……………

 この手のキャラは大体追い詰められた時に無様な本性が出る。きっとこのルカとかいう奴もそうに違いない………………ルカ様は強いので追い詰められることがない!

 この手のキャラは大体部下からの不信が募って惨めに裏切られるに違いない……………本当に狂暴すぎてむしろ部下が引いてる! 結果的に裏切られたけどなんだかんだカリスマもある!!

 ルカ・ブライトは「いかにもかませっぽい言動のキャラかと思いきや、正真正銘の邪知暴虐の化身だった」という凄まじい存在。

 大体こういうのは変に感情移入できるポイントをチラ見させてきて結果的に中途半端な存在になったりもするのですが、ルカ様は頭からケツまで全てが邪悪。悪意のトッポ。むしろ自分から感情移入ポイントを蹴り飛ばしているまである。最高!!!!!!!

「バカを言うな!!!!!きさまが父などと!!!!!!」

「きさまは、妻一人も守れず!うす汚い罪人どもの国と和平を結ぼうとした裏切り者だ!!!」

「我が母が恥辱を受けたときに、貴様は何をしたのだ!!!!命おしさに逃げたのは誰だ!!!!母とこのおれは近衛隊の手で助け出されたときに、玉座でふるえていたのは誰だ!!!!!」

幻想水滸伝2

 もちろん「何故ルカ様はこれほどまでに邪悪の化身と化してしまったのか?」という疑問にもちゃんと答えているのですが、それはそれとして外道極まりない方法で父親を殺害して「ふはははははははははははは!!!!!!!!」と高笑いをしているので何の徳も積んでいないのが素晴らしい!!!

 てかこのゲームのセリフ、ビックリマーク多すぎ!!!!!!

 なんやこの量!?!?!?!?!?!?エクスクラメーションマークのコメダ珈琲か!?!?!?!?!?!!??!!?!?!?!?

 私も感嘆符は多ければ多いほどいいと思っているのでルカ様のドカ盛りビックリマークは大好きです。

 まぁこんだけ書いといてなんですがルカ様は中盤で退場してしまいます。しかし「退場に近付けば近付くほど格が上がり続ける」というもはやバグみたいな強さを発揮し始める!!! 

 そもそも「ハイランド側が同盟に情報を流し、ルカを孤立させた状態で包囲する」という絶望的な状況下において「ふはははははははははははは!!!!!おれにはブタどもがキィキィ鳴いているだけの、無人の野にしか見えんがな!!!!!!」が出てくる時点でヤバい。キャラの格がオーバーフローすることってあるんですね。

 実際、『幻想水滸伝2』全編を通しても、ここの主人公・フリック・ビクトールの3部隊にわけて実質的なレイドバトルを行うルカ・ブライト戦が最も難しいバトルと言っても過言ではない。私は正直RPGのバトルは簡単な方が好きなのですが、このルカ・ブライト戦に限っては「難しさ」が「盛り上がり」に直結してるのがすごい!!!!!!

 「すばらしい!!!すばらしいぞ!!!!この身をかけていた、うずきが!!!!皮膚を焦がす渇きが癒えていく!!!!!!」
「聞け(主人公名)!!!きさまらは千人でおれを殺したが、おれは一人で、その何倍も、きさまらの同胞を殺した!!!!」
「おれは!!!
 おれが想うまま、おれが望むまま!!!!
 邪悪であったぞ!!!!!!!!」

幻想水滸伝2

  あーーーーーーーーもう最高!!!!!!!!!!

 割と真面目に考えても、「たったひとりの敵キャラクターの力でここまで物語を牽引してしまっている」のがルカ・ブライトのすごいところ。

 特に前作『幻想水滸伝』にそこまでスター性のある敵キャラクターがいなかったのも含めて、『幻想水滸伝2』という作品におけるルカ・ブライトの存在感は凄まじい。ぶっちゃけ私は最後の最後まで「ルカ死亡シーンが幻水2の頂点では……?」という気持ちが拭いきれませんでした。

 私も死ぬときは「おれは!!!おれが想うまま、おれが望むまま!!!!邪悪であったぞ!!!!!!!!!」って言いながら爆散したい。今度から履歴書の「尊敬する偉人」のところに「ルカ・ブライト」と書きます。

 おれは!!!
 おれが想うまま、おれが望むまま!!!!
 邪悪であったぞ!!!!!!!!!

 ドカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


もおおお、おこった!ゲンカクじいちゃん直伝!奥義・花鳥風月百花繚乱竜虎万歳拳をくらわすわよ!!

 最後に紹介するのは、主人公の姉でもある「ナナミ」。

 ナナミって……お母さんに似てるんですよね。え、誰の親って……?
 いや、私の親です。私のです。だから俺、俺です。

 なんか……ビジュアルとか……中身とか……全てがリアルジスロマック母に似てる…………だからこう、一言では表せないような複雑な感情がナナミにはあるのです。

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………何かこれすごい話題としての発展性がない気がしてきました。いやでも、「血が繋がっていないながらも弟を想う姉」としてのナナミもすごく好きです。

 特に、中盤で見ることができるナナミと2人きりで戦いから逃げ出すルートは、このゲームの中でもぶっちぎりで好きなルートです。実は序盤から「こんな戦いはもうやめにしてどこか平和なところで暮らそう」という提案はしていたナナミ。

 主人公とジョウイの対立が激化していく中で、その決心はより強くなりついに主人公に対して「逃げ出す」ことを提案してきます。

 まぁこれは事実上のバッドエンドではあるのですが、最後の最後まで戦線復帰する選択肢が残されていたり、ナナミの「家族を守る」という覚悟を垣間見ることができたり……個人的には「悲しい終わり」ではないと感じました。

「でも、でも、でも、
 わたし、(主人公名)をよけいに苦しめただけだったね。」
「ごめんね。ごめんね。ごめんね。
 じいちゃんに誓ったのに。お姉ちゃんなのに…………」
「(主人公名)…………どっちに行ってもいいんだよ。お姉ちゃんは、どこにでもついていって……絶対守ってあげるから…………」

幻想水滸伝2

 この「ティント逃亡ルート」は、「優しいバッドエンド」なのではないかと私は思います。ゲームはここで終わってしまうけど、主人公とナナミは平和に暮らす。

 元より戦いに参加するような年齢ではない主人公。ナナミはそんな主人公をなんとしてでも守ってあげたかった。お姉ちゃんだから。家族だから。血は繋がっていないけど、大切な弟だから……。

 まぁ私は攻略サイトをガン見しながら進めるスタイルなので「逃亡バッドエンドがある」と書かれていた時にはそれはそれは悲惨な展開にワクワクしたものですが、実際はナナミの兄弟愛をこれでもかと見せつけるメリーバッドエンドだったので、かなり面を喰らいました。

 そして私が一番好きなシーンは、やっぱりロックアックス城での最期です。『幻想水滸伝2』のベストエンディング条件は「108星を集めること」と「ナナミが生存するか否か」となっているくらい、ナナミの生死は重要な要素となっています。

 ちなみに私が好きなのは死亡パターンですね。

 …………「散々親に似てるとか姉として好きとか言っておきながら死亡シーンが好きってお前…………」とドン引かれていないか怖くなってきました。いや、だって、事実として死亡シーンが好きだから仕方ないだろ!!!!!!

 何かさっきも死亡シーンが好きとか言ってましたね…………いや、別にそういう趣味はないです。本当です。でも、私は「人が輝いている姿」が好きなので、結果的にその人が死にゆく場面に偏ってしまうのかもしれません。

「あ……あのね……わ……わたしはね……だいじょうぶ……だよ…………で、でもね……ちょっとだけ……おねがい……お、お姉ちゃん……って呼んで………」

「お姉ちゃん……………」

「あ……ありがとう…………あんしん……できるよ……」
「ねぇ……(主人公名)……わ……わたしと……(主人公名)と……ゲンカクじいちゃんは……血は……つながって……なかったけど……ほ……本当に……家族だったよね……………」
「わ……わたし……ゲンカクじいちゃんの子供で……よかった……(主人公名)のお姉ちゃんで……よかった………ジョ……ジョウイと友達で……よかった……み……みんなといっしょで……よかった……」

幻想水滸伝2

 今作の「主人公は基本的にしゃべらない」というルールを逆手に取った、最後の「お姉ちゃん」呼び。俺……シスコンになっちまうよ………

 今改めて見返すと、ティント逃亡ルートで「お姉ちゃんが絶対守ってあげるから」という優しい覚悟を見せた後に、本当に守ってくれていることもわかります。なんでそんなことするの? そうだよな、テッドを生み出したゲームだもんな。そういうことするよな幻水ってさあ!

 とにかく、私は『幻想水滸伝2』ではナナミが一番好きです。ルカ・ブライトも一番好きなキャラではあるんですが、それぞれ別部門での「一番好き」です。

 何よりも私は彼女の「誰かのために動くことができる」という優しさが好きです。もちろん家族だから……ではあるのだろうけれど、一方で主人公とナナミの間には厳密な血縁関係はない。だからこそナナミは「弟を守るお姉ちゃんであろう」という気持ちが強いのかもしれません。

 私はとても自分以外の誰かのために動ける人間ではありません。ほとんど自己の利益しか考えていないので、ナナミのように優しさを誰かに向けられる人は、とても素敵な人に見えます。ナナミの笑顔は優しさに溢れていて、私もそんなナナミの笑顔を見続けていたかった。

 お姉ちゃんだけど、血は繋がっていない。そんな関係が、彼女の愛情の深さをより引き立たせていると思います。







あなたたちにとって、世界は広い。

 ………終わってません!

 やっぱり最後はベストエンディングを紹介しなければ終われません。

 正直、ベストエンディングを見る前は「ナナミを最後に書いて終わりで良いかな~」という感じで脳内で記事を組み立てていたのですが、その脳内プロットがひっくり返るほどベストエンディングが良かったということです。

 ベストエンディングの到達条件は「108星を揃える」「ナナミが生きている」に加えてあともうひとつ、「ジョウイとの一騎打ちでジョウイを倒さない」こと。ゲンカクとハーンを終わりに導いた始まりの紋章が、本当の意味で「始まり」になる。

「あなたはこの地に残り、いまだ定まらぬこの国をみちびいてほしかった。そして、それができる人間でした。」
「しかし、止めはしません。あなたはじゅうぶんに代償を払ったのですから、これ以上を、もとめることはいたしません。」
「この世界を……その目で見て下さい。そのはだで感じてください。あなたたちにとって、世界は広い。」

「そして……これはあなたの軍師としてのわたしの最後の言葉です。
 お気をつけください、(主人公名)どの。」

幻想水滸伝2

  『幻想水滸伝2』のベストエンディングが好きな理由、それは「旅立ち」の終わりになっているからです。

 戦争が起きている所から物語が始まり、戦いによって奪われていった人の命や、戦いの最中で本来得られるはずだった世界の素晴らしさを享受できなかった2人の少年と、1人の少女の姿が描かれ続けた今作が、「世界へと旅立つ」終わりを迎える。エンディングこそが、主人公の旅立ちを奏でるプレリュードになっている。

 前作の『幻想水滸伝』が、ソウルイーターの宿命のためにグレッグミンスターからグレミオと2人で離れていく主人公が描かれるやや悲壮感のある旅立ちだったのに対し、『幻想水滸伝2』は彼らの人生はまだこれからであることを祝福する旅立ちになっているのも好きです。

 どうか彼らの道行く先に、幸福があらんことを!