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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.08.25
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カテゴリ:夏目漱石
   鷄頭の十四五本もありぬべし(明治33)
   鷄頭の花に涙を濺ぎけり(明治33)
   鷄頭や二度の野分に恙なし(明治33)
 
 子規は鶏頭の画を多く書いています。もともと子規は赤い色が好きであり、明治31年の『小園の記』には「去年の春彼岸やや過ぎし頃と覚ゆ、鷗外漁史より草花の種幾袋贈られしを直に播きつけしが、百日草の外は何も生えずしてやみぬ。中にも葉鶏頭をほしかりしをいと口おしく思いしが、何とかしけん今年夏の頃、怪しき芽をあらはししものあり。去年葉鶏頭の種を埋めしあたりなれば必定それなめりと竹を立てて大事に育てしに、果して二葉より赤き色を見せぬ。嬉しくてあたりの昼照草など引きのけ、ようよう尺余りになりし頃、野分荒れしかばこればかり気遣いしに、思いの外に萩は折れて葉鶏頭は少し傾きしばかりなり。扶け起して竹杖にしばりなどせしかば、つつがなくて今は二尺ばかりになりぬ。痩せてよろよろとしながらなお燃ゆるが如き紅、しだれていとうつくし。二三日ありて向いの家より貰い来たりとて、肥え太りたる鶏頭四本ばかり植え添えたり。そのつぐの日なりけん。朝まだきに裏戸を叩く声あり。戸を開けば不折子が大きなる葉鶏頭一本引きさげて来りしなりけり。朝霧に濡れつつ手づから植えて去りぬ。鶏頭、葉鶏頭、かがやくばかりはなやかなる秋に押されて、萩ははや散りがちなりしもあはれ深し。薔薇、萩、芒、桔梗などをうちくれて余が小楽地の創造に力ありし。隣の老嫗はその後移りて他にありしが、今年秋風にさきだちてみまかりしとぞ聞えし」とあります。
 子規庵の庭には、まず森鷗外よりもらったタネから育った葉鶏頭が育ちつつあったのですが、台風でやや折れて元気が無くなったところに、向かいの家よりもらってきた元気な鶏頭を植え、そして中村不折が自ら鶏頭を植えてくれたのでした。
 不折は、この鶏頭について昭和9年9月発表の『追憶断片』で「正岡君は鶏頭が好きで、鶏頭が欲しいというものだから、植木屋から葉鶏頭のいいのを買って、持って行って植えたことがある。このことは「小園の記」という文章に書いてあったと思う。それから果物が非常に好きで、何でもよく食ったが、バナナをひどく珍しがった。今でこそバナナは夜店で叩き売にされているが、あの当時はまだ実に珍品であった。ようやく八百屋か何かで捜し出して持って行ったら、台湾の果物が食えるのは難有い、といって大変喜んだことを覚えている。時代の進歩というか、今更ながら今昔の感に堪えない。病床につくようになってから、画がかいて見たいが、かけるか知らん、というので、写生すりゃかける、といって、絵の具だの筆だのをいろいろ持って行った。寝ていて画くのだから、草花なんぞがいいだろう、といったのでよく草花を写生した。例の葉鶏頭なども、幾通りも写生したことがある。その代り、己は君の弟子になって画を習うから、君も己の弟子になって発句をやりたまえ、といって否応なしに発句を習わせられた。しかし僕には元来文学的素質が無いのと、専門の方が忙しいのとで、発句は遂にものにならなかった。正岡君の画については、そういう交渉があったが、先生が文学上に唱えた写生の議論は、必ずしも僕らの絵画における議論が影響したものとは思われない。その点はむしろ御互に共嗚したと見るべきであろう」と書いています。
 

 
 子規の鶏頭の句でよく知られているのが「鶏頭の十四五本もありぬべし」です。この句は、明治33年9月に子規庵で行われた句会「鶏頭闇汁会」で出された句で、日本新聞の11月10日号に掲載され、同年の『俳句稿』に収録されています。句会で子規は「堀低き田舎の家や葉鶏頭」「萩刈て鶏頭の庭となりにけり」「鶏頭の十四五本もありぬべし」「朝貌の枯れし垣根や葉鶏頭」「鶏頭の花にとまりしばつたかな」「鶏頭や二度の野分に恙なし」などの句を詠みますが、「鶏頭の十四五本もありぬべし」は評価されず、高浜虚子の「葉鶏頭(かまつか)の根本を蟻のゆきゝ哉」が多くの票を集めました。
 しかし、長塚節、斉藤茂吉らはこの句をおおいに評価しました。長塚節はこの句を名句といい、斎藤茂吉は『正岡子規』で「芭蕉は新古今時代の幽玄を味わっても万葉時代の純真素朴端的の趣がわからなかった。そこで芭蕉には『鶏頭の十四五本もありぬべし』の味わいがわからない。したがって、芭蕉を浅薄に理解して芭蕉を崇び、式を貶す人々もまたこの端的単心の趣がわからないのである」と述べています。
 ただ、この鶏頭は絵を描こうと思っている間に、霜によって枯れてしまいました。そのことを子規は残念がり、『根岸草盧記事』に「もし自分の思い焦がれている恋人の肖像を画こう画こうと思いながら、まだ画かぬさきにその恋人に死なれたら、こんな心持ちがするであろう」と書いています。
  
 我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控えたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔ける様もいとゆたかに眺めらる。始めてここに移りし頃はわずかに竹藪を開きたる跡とおぼしく、草も木も無き裸の庭なりしを、やがて家主なる人の小松三本を栽えてやや物めかしたるに、隣の老媼の与えたる薔薇の苗さえ植え添えて四五輪の花に吟興を鼓せらるることも多かりき。一年軍に従いて金州に渡りしが、その帰途病を得て須磨に故郷に思わぬ日を費し、半年を経て家に帰り着きし時は秋まさに暮れんとする頃なり。庭の面去年よりは遥にさびまさりて白菊の一もと二もとねぢくれて咲き乱れたる、この景に対して静かにきのうを思えば万感そぞろに胸に塞がり、からき命を助かりて帰りし身の衰えは、ただこのうれしさに勝たれて思わず三逕就荒と口ずさむも涙がちなり。ありふれたるこの花、狭くるしきこの庭が斯くまで人を感ぜしめんとはかつて思いよらざりき。ましてこれより後病いよいよつのりて足立たず、門を出ずるあたはざるに至りし今、小園は余が天地にして草花は余が唯一の詩料となりぬ。余をしていくばくか獄窓に呻吟するにまさると思わしむるものは、この十歩の地と数種の芳葩とあるがために外ならず。つぐの年、春暖漸く催うして鳥の声いとうららかに聞えしある日、病の窓を開きて端近くにじり出で読書に労れたる目を遊ばすに、いきいきたる草木の生気は手のひら程の中にも動きて、まだ薄寒き風のひやひやと病衣の隙を侵すもいと心地よく覚ゆ。これも隣の嫗よりもらいしという萩の刈株寸ばかりの緑をふいてたくましき勢は秋の色も思わる。真昼過より夕影椎の樹に落つるまで、何を見るともなく酔うたるが如く労れたるが如く、うっとりとして日を暮らすことさえ多かり。
 今まで病と寒気とに悩まされて弱り尽したる余は、この時新たに生命を与えられたる小児の如く、ここより萩の芽とともに健全に育つべしと思えり。折ふし黄なる蝶の飛び来りて垣根に花をあさるを見ては、そぞろ我が魂の自ら動き出でてともに花を尋ね香を探り物の芽にとまりてしばし羽を休むるかと思えば、低き杉垣を越えて隣りの庭をうちめぐり再び舞いもどりて、松の梢にひらひら水鉢の上にひらひら一吹き風に吹きつれて高く吹かれながら、向うの屋根に隠れたる時、我にもあらず惘然として自失す。たちまち心づけば身に熱気を感じて心地なやましく内に入り、障子たつるとともに蒲団引きかぶれば夢にもあらず幻にもあらず、身は広く限り無き原野の中に在りて今飛び去りし蝶とともに狂いまわる。狂うにつけて何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつらつら見れば、蝶と見しは皆小さき神の子なり。空に響く楽の音につれて彼等は躍りつつ舞い上り飛び行くに、我もおくれじと茨葎のきらい無くふみしだき躍り越え、思わず野川に落ちしよと見て夢さむれば、寝汗したたかに襦袢を濡して熱は三十九度にや上りけん。
 げんげんの花盛り過ぎて時鳥の空におとづるる頃は、赤き薔薇白き薔薇咲き満ちてかんばしき色は見るべき趣無きにはあらねど、我小園の見所はまこと萩芒のさかりにぞあるべき。今年は去年に比ぶるに萩の勢い強く夏の初の枝ぶりさえいたくはびこりて末頼もしく見えぬ。葉の色さえ去年の黄ばみたるには似ず緑いと濃し。空晴れたる日は椅子をそのほとりに据えさせ、人にたすけられてようやくその椅子にたどりつき、気晴しがてら萩の芽につきたるちいさき虫を取りしことも一度二度にはあらず。桔梗撫子は実となり、朝顔は花のやや少くなりし八月の末より待ちに待ちし萩は、一つ二つほころび初たり。飛び立つばかりの嬉しさに指を折りて翌は四、あさっては八、十日目には千にやなるらんと思い設けし程こそ、あれある夜野分の風はげしく吹き出でぬ。安からぬ夢を結びてあくる朝、日たけて眠より覚むれば庭になにやらののしる声す。心もとなく這い出でて何ぞと問う。今までさしもに茂りたる萩の枝大方折れしおれたるなりけり。ひたと胸つぶれていかにせばやと思えどせん無し。斯くと知りせば枝毎に杖立てて置かましをなど悔ゆるもおろかなりや。瓦吹き飛ばしたる去年の野分だに斯うはならざりしを今年の風は萩のために方角や悪かりけん。この日は晴れわたりてやや秋気を覚え初めしが、余は例の椅子を庭に据えさせ、バケツとかな盥に水を湛えて折れ残りたる萩の泥を洗えりしかど、空しく足の痛みを増したるばかりにて、泥つきし枝のさきは蕾腐りて終に花咲くことなかりき。園中何事も無きは只松と芒とのみ。
 去年の春彼岸やや過ぎし頃と覚ゆ、鷗外漁史より草花の種幾袋贈られしを直に播きつけしが、百日草の外は何も生えずしてやみぬ。中にも葉鶏頭をほしかりしをいと口おしく思いしが、何とかしけん今年夏の頃、怪しき芽をあらはししものあり。去年葉鶏頭の種を埋めしあたりなれば必定それなめりと竹を立てて大事に育てしに、果して二葉より赤き色を見せぬ。嬉しくてあたりの昼照草など引きのけ、ようよう尺余りになりし頃、野分荒れしかばこればかり気遣いしに、思いの外に萩は折れて葉鶏頭は少し傾きしばかりなり。扶け起して竹杖にしばりなどせしかば、つつがなくて今は二尺ばかりになりぬ。痩せてよろよろとしながらなお燃ゆるが如き紅、しだれていとうつくし。二三日ありて向いの家より貰い来たりとて、肥え太りたる鶏頭四本ばかり植え添えたり。そのつぐの日なりけん。朝まだきに裏戸を叩く声あり。戸を開けば不折子が大きなる葉鶏頭一本引きさげて来りしなりけり。朝霧に濡れつつ手づから植えて去りぬ。鶏頭、葉鶏頭、かがやくばかりはなやかなる秋に押されて、萩ははや散りがちなりしもあはれ深し。薔薇、萩、芒、桔梗などをうちくれて余が小楽地の創造に力ありし。隣の老嫗はその後移りて他にありしが、今年秋風にさきだちてみまかりしとぞ聞えし。
   ごてごてと草花植ゑし小庭かな(小園の記)





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最終更新日  2020.08.25 19:00:05
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